2019年03月13日
(「元日や一系の天子不二の山」)
https://special.sankei.com/f/seiron/article/20190313/0001.html
・「元日や一系の天子不二の山」・・・動かざるもの、繋がって行くもの、受け継がれて行く系譜・・・見事に五・七・五で顕されている。正直「この句」以外は要らない程だ。
・しっかしま、私が蛇蝎の如く嫌う「サヨク」は、そういうことには無縁の「馬鹿」である。特に『官公労』なんざ馬鹿の上に「卑怯!」が付く。自分は安全な「役人」で保身しながら、勝手な御託を並べおる。サンフランシスコのケーブルカーみたく、自分の右手はしっかり乗降ポールを握っているのだ。そしてスッカスカで実の無い「ハート」のくせしおって、概してみな能弁だ。「口説の徒」と言ってよい!
・私の父は明治28年生、日清戦争戦捷の年である。明治・大正・昭和と88歳まで生きた。母は明治40年生だが、身長164センチの我体で、明治・大正・昭和・平成と91歳まで生きた。私が〔4がん5バトル〕の身ながら、最初の『末期がん』(58歳)から19年も生きているのは、偏に両親の生命力の系譜なのだろう。
・私は父母に溺愛されて育ったため、明治も大正も「日本人の系譜」として感じることが出来る。押入れ一杯に、明治・大正・昭和戦前 が詰まっていたものだ。
・産経スペシャル・[正論] から、記事を以下。
・「【[正論]『一世一元の制』を守り続けよう 拓殖大学学事顧問・渡辺利夫】産経スペシャル 2019.3.13」
≪個人はすべて歴史的な存在だ≫
・「山梨県の私の生家に住まう者が誰もいなくなり、しばらく前にこれを解体した。家具などを整理していたところ、1枚の古びた写真が出てきて深く心を動かされた。母方の祖父が日露戦争に出征する日の朝、家族全員を集めて撮った写真である」
・「裏書きをみると、明治三七年一月 山梨県中巨摩郡にて、とある。中央に軍服姿の祖父が座し、胸にはいくつかの勲章が垂れている。墓誌で確認したところ、祖父は日露戦争の10年前の日清戦争にも出征、軍功により賜(たまわ)った勲章であることを知らされた」
・「祖父の左には祖母が、右には曽祖父母、その他の血族が並ぶ。祖母は生まれて間もない赤子を抱えている。この赤子が長じて結婚し5人の子供をもうけ、私はその1人となった」
・「日清戦争や日露戦争といえばすでに遠い歴史物語になってしまったようだが、この写真を眺めていると、いずれもつい先だっての我が血脈の中に息づく物語であったことを思い知らされる。私も2人の子供をもち、5人の孫に恵まれている」
・「個人の生命は〈生老病死〉のサイクルから逃れられない。しかし、曽祖父母、祖父母、父母を通じて自分にいたり、そこから子、孫、曽孫へと繋(つな)がっていく血脈の中に生きて在るという自意識を忘却して生きる人生は、いかにも虚(むな)しい」
・「現世の自己の存在のみがすべてだと考えて生きる人生はニヒリズムであろう。個人の属性は、血脈を通じる祖先からの遺伝情報として伝達され、そうして現在の自己となってここに生きて在る。その意味で、個人はすべて歴史的な存在である。現世の個人は、連綿とつづく血脈の中の一人の旅人なのであろう」
≪血脈の連続性が直覚できる≫
・「御代替わりが近づいてきた。明治、大正、昭和、そして平成までが過ぎ去ろうとしている。『一世一元の制』は明治の改元以来のものだが、改めて優れた『制度設計』だと思わされる」
・「天皇家の血脈が瞬時たりとも途絶えることなく紡がれていることが証され、そうして曽祖父母があり祖父母があり父母があって自分が在るという私どもの血脈の連続性を、天皇家の血脈の連続性の中に投影することができる。限りある個々の人間の人生が代々とつづく血脈の中にある、そういう連続性を私どもに直覚させてくれるものが一世一元の制ではないかと私は考える」
★「元日や一系の天子不二の山」
・「〔平川祐弘氏〕によって教えられた句だが、〔内藤鳴雪〕の作だという。平川氏はこういう。『個人は死ぬが子孫や民族はつづく、天皇がつづくことに民族の永世を感じるから“一系の天子”を有難く思うのだろう』(平川祐弘・牧野陽子『神道とは何か-小泉八雲のみた神の国、日本』)」
・「そうなのであろう。一人の天皇を一つの元号によって表すこの制度は、そういう日本人の心をより深いものとしているのではないか。富士山という自然の巨塊に神々しいものを感じ取り、そこに一系の天子を仰ぎみるという研ぎ澄まされた感覚は、鳴雪のような天才をもってしか表現できないものではあろう」
・「しかし、このように言語化されれば“確かにその通りだなあ”という感覚に多くの日本人は誘われるのではないか。平川氏はこれを『神道的感情』だともいう」
・「一世一元の制はこれを守りつづけなければならない。第二次大戦後、旧皇室典範が廃止され、新たに制定された皇室典範には元号に関する条文がない。一世一元の法的根拠が生まれたのは、昭和54年6月6日の元号法の成立によってである。ここで『元号は、皇位の継承があった場合に限り改める』とされた。大戦敗北から30年以上の空白がようやくにして埋められたのである」
≪左翼的言説が頭をもたげないか≫
・「日本学術会議は昭和25年5月6日の『元号廃止 西暦採用について(申入)』において『新憲法の下に、天皇主権から人民主権にかわり、日本が新しく民主国家として発足した現在では、元号を維持することは意味がなく、民主国家の観念にもふさわしくない』と断じたという」
・「国会審議の中でも当時の法務府法制意見長官(後の法制局長官)が一世一元の制について否定的な見解を明らかにし、その上で『代りに何を持つて来るかということになつて参りますと、大体勢のおもむくところというものは決つておるじやないかというような感じがいたします。即(すなわ)ちいわゆる西暦というようなことに落ち着くのではないだろうか』(昭和25年2月28日、参議院文部委員会)」
・「アカデミズムはもとより、国会での審議においても元号に対する嫌悪感や敵愾(てきがい)心、ご都合主義がまかり通っていたことを知り驚きを禁じ得ない。左翼リベラリズムの影響がいまだ濃厚な現在の日本においては、そのような言説が再び頭をもたげてこないとはいえない」
・「一世一元の制は盤石のものでなければならないと、この御代替わりの歴史の時点に身をおいて改めて、そう思う。(拓殖大学学事顧問・渡辺利夫 わたなべ・としお)」・・・
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