『大阪の妹』四十九日
2018年08月16日
(『大阪の妹』四十九日)
・私は.「関西人ではない」ので、「『四十九日』とは、故人が亡くなった日から数えて49日目=8月16日がその日」だと信じて来た。6/29日の『大阪の妹の衝撃死』からホント長かった。前回投稿したように、「涙と酒の海にポッカリ浮かんでいる」ような、虚ろだが辛い日々だった。
・しっかしま、夕方腹が減って、「うぅん、ほぼ出前専門のような『あの寿司屋』なら、お盆の15日もやっているのではないか?」と狙いをつけて出掛けてみたら、大正解だった。お盆に「子や孫が来るお宅」では、出前寿司が『おもてなし』だろうと読んだ次第だ。
・「おう!お盆にやっている食い物屋は、大阪風来坊にとって『神か仏』だぜ!」と大将らを喜ばせ、「チャイナ産・冷凍うなぎ」候の『うな重』を食った。不味かったが、『じゃがいもサラダ』と『ビール』と『そのうな重』で、腹は満ちた。勿論此処も、亡くなった『大阪の妹』の紹介で、数え切れないほど二人で通った。
・その帰り、「マスターの所へ行ってやるか」と思ったが、信号が『赤』に変った。この信号は長い。右折して大通りの歩道を自転車で走りながら、同じ通りなので「6/29の昼、反対側の歩道を反対側の『大橋』にひたすら向かう『大阪の妹』の幻」を観てしまった。
・気がついたら「慣れた交差点」だった。信号を左折して渡ったら、『大阪の妹』の団地前に行く道だった。慌てて1本目の四つ角を左折して右折。『マスターの店の行灯』が遠くに見えるのを確認して自転車を漕いだ。危うくまた、『死神の罠』に嵌るところだった。
・マスターの所へ着くと客は『いつもの散髪屋の大将』独り。この人は【村田英雄】ばかり20曲は唄う。「しゃぁない!」と定席に座ると、マスターが「惜しい!今まで『ママ』がそこに座ってた、遅い!」と言う。今体調不良で私も心配している『ご近所の鉄板焼き屋』の美人女将のことだ。
・「だったら、携帯に電話して来いよな!」と内心忸怩としていたが、京都人のマスターの追い討ち。「四十九日は、前日を1としますやろ?今日があの子の四十九日だから、『ママ』も顔を出してくれましたねん」・・・女将は「四十九日で転生したら、あの子は『花』になればいい」と言ってくれた人だ・・・ナヌ、知らんぞ!
・そうしたら、私に「姐さんは60歳で死んでたかも知れん。68歳まで生きた姐さんの最晩年は、兄さん(私のこと)で笑いに包まれて幸せだったと思う」・・・と言ってくれた『マスターの想い人』も登場。更にマスターから『出禁』になっている『おっさん(71歳)と彼女(67歳)』まで現れ、マスターも「四十九日だからいいか?」という度量。あと『止めた散髪屋夫婦とその愛人婆』など、ワケが分からん客ら。
・特にその『出禁彼女』には「ワンワン」と泣かれて、私は「関西風カウントだなぁ」と思いながら、その「優しい心根」に貰い泣き。戻りの自転車で、「違うと思うけんど、帰ったら記事にしなきゃ」と、その流れで今キーボードを操作している。
・日付が変わって『8月16日』、私の四十九日カウントの日だ。『大阪の妹』の転生は、「二人が慣れ親しんだ『公団バス停背後の大きな桜』の一輪」であることを私は望んでいる。毎年、若葉に覆われ、「兄さんは今年も元気なんだ!」と開花して、その後青葉で私を元気付けてくれればいい。 私の望み通りの「『大阪の妹』の転生であって欲しい」と願う。
・因みにこの「病んだ日本」では、毎日「100人強」の自殺者が出ているという。これはもう『戦争状態』なのだと断言していい。しかもその「死にたい!」という脳のスイッチは、「何が原因なのか」さっぱり解らないままの状態なのだ。
・あの日あの時、「パニックで手首や頚動脈を切る!」という私の臆病判断が、マスターの「合鍵で鍵を開けるよ!」というのを制止した痛恨を、私は残り少ない人生、背負って行くことになった。
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