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あの御岳大噴火から、今日で6年

2020年09月27日
(あの御岳大噴火から、今日で6年)


・そうか、木曽御岳の大噴火から、今日で丸6年なんだ。世の中には『無名の英雄』ってのが確かに居る!それが〔私28歳で最初に持った部下〕の中に居た!・・・あの折の誇らしい感覚が胸に蘇る。ネットの世界とは有り難いもので、図書館よりも簡便にデータを取り出せる。


・ではその『無名の英雄』:〔瀬古文男氏〕の奮戦記を新聞記事も含めて詳しく知らせてくれた〔税理士:阿部哲也氏〕のことも思い出しながら、大阪の私の小部屋で復元・回想・・・


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2014年09月30日
(数奇な人生:瀬古文男氏:御嶽山大噴火)


・御嶽山の噴火は思ったより大惨事の様子だが、この記事の主人公:〔瀬古文男氏〕と親交の深い税理士の〔阿部哲也氏〕が、新聞記事を送ってくれた。(携帯留守電にNHKニュース出演も知らせが有った!)


・瀬古文男氏、高崎経済大卒。私が新卒入社の外資系コンピュータ販社で、名古屋から三重で苦労し、28歳で晴れてスーパーバイザーになり、大阪へ転勤した折の最初の部下である。独立独歩の気概が強い彼には、神戸を担当して貰った。会計事務所専属部隊だったが彼のテリトリーには会計事務所が極端に少なく、「酒販業を開拓させてくれ」という彼のチャレンジマインドに任せた結果、素晴らしい成果を挙げてくれた。


・彼は山岳部で、若い時に谷川岳で滑落して脊椎を痛め、九死に一生を拾っている。その時に懸命の看護をしてくれた看護師さんがカミさんである。しかし大阪から名古屋に戻った私に従ってくれた彼は、東名高速でトラックが落としていったあの大きなタイヤに乗り上げて車が横転、大怪我を負い、その大手術にも耐えて命拾いをしている。


・その後、外資系コンピュータ販社から大手会計事務所連合体に引き抜かれ、計算センターの所長も立派に勤めた。私も国産光学系メーカー販社に転進し、暫く関係が途絶えたが、私が42歳で会社を立ち上げた折は、それまでのキャリアを捨てて取締役営業部長で参画してくれた。


・ただ体を心底痛めている彼には、中小企業の営業部長職は過酷過ぎた。彼は独立し、コンサルタントの道を立ち上げて成功したが、好事魔多しでそれを畳み、南木曽の元営林署跡で合宿研修所を開き、猪が棲家の前を横切る環境で10余年を過ごした。


・名古屋に戻り、阿部税理士の引き合わせで昨年、名古屋で久しぶりに杯を酌み交わした。信心の篤い彼は、熊野古道に傾倒し、その道案内を買って出ていた。「熊野三山の行者か?いかにも瀬古らしいなぁ」と私は感嘆すると共に、「安住の地」を見つけたらしい彼のことを安心して旧交を温めたものだった。


・ところが降って沸いたような「御嶽山の噴火」(2014/09/27)である。その御嶽山の八合目の山小屋を、人に請われて彼が守っていたとは全く知らなかった。多くの人々が彼の管理する山小屋に逃げ込んだが、その山小屋の危険を諄諄と説明し、急ぎ下山するよう勧めたというのが彼らしい。


・或る女性は疲労と恐怖で、2時間も説得に費やしたらしいが、全員を説得して下山させたあと、山小屋のスタッフと強力して山小屋を整理・整頓し、最後まで残った彼は自衛隊のヘリコプターに身を委ねたのだという。全くどこかの国で、真っ先に沈没船から逃亡した船長とは、精神に雲泥の差が有る。


・数奇な運命に翻弄されながら、御嶽山大噴火の非常時に突然登場し、多くの人命を救った私の昔の部下を賞賛したい。いや、私は単に「ろくでなし」の爺に過ぎないが、昔々の部下1号は真に偉い!と、皆様に胸張ってご報告出来る次第です。

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