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(〔野村克也氏〕が死去、84歳 戦後初の三冠王、「ID野球」で優勝請負人)

2020年02月11日
(〔野村克也氏〕が死去、84歳 戦後初の三冠王、「ID野球」で優勝請負人)


https://www.sankei.com/sports/news/200211/spo2002110004-n1.html


・そうか、先般逝った大投手:〔金田正一(カネやん)氏〕の後を追うように、大捕手:〔野村克也(ノムさん)氏〕も逝ったか。日本の復活・高度成長を支え、日本の衰退と共に逝く・・・ロマンを感じるなぁ。


・本人らの好悪の感情は別として、今『日本プロ野球界の智将』と呼べる〔古田敦也氏〕も、大リーグ屈指の投手として活躍する〔田中将大氏〕も、みんな〔野村克也氏〕の教え子であることに間違いはない!プロ野球を分かり易く。国民に浸透させた名将でもあった。


・ノムさん、あんたにとっては掛け替えの無かった愛妻:〔サッチーさん〕が待ってるよ。転ばないように真っ直ぐ行ってあげておくれな。長い間ありがとうノムさん!南無。


・産経ニュース から、記事を以下。


・「【野村克也氏が死去、84歳 戦後初の三冠王、『ID野球』で優勝請負人】産経ニュース 2020.2.11 09:54」


・「現役時代はプロ野球の『南海』などで活躍し、『ヤクルト』、『楽天』などの監督を務めた〔野村克也(のむら・かつや)さん〕が死去した。84歳だった」


・「京都府出身。峰山高を経て昭和29年、<南海にテスト生として捕手で入団>。3年目の31年からレギュラーに定着し、40年、<戦後初の三冠王に輝く>など南海の黄金時代を支えた。45年からは選手兼監督となり、48年に優勝へと導いた」


・「その後、『ロッテ』、『西武』に移籍し、昭和55年に現役を引退。通算3017試合出場は歴代1位、通算657本塁打は歴代2位。9度の本塁打王を獲得し、史上最多となる通算19回のベストナインにも選ばれた。平成元年に殿堂入りを果たした」


・「〔ノムさん〕の愛称で親しまれた野村氏は平成2年、ヤクルトの監督に就任。緻密な分析に基づくデータ重視の『ID野球』を掲げ、ヤクルトを4度のリーグ優勝、3度の日本一に導いた」


・「その後は『阪神』、社会人野球『シダックス』の監督を経て、18年に楽天の監督に就任。21年、球団初となるクライマックスシリーズ出場を果たした。監督としての通算成績は3204試合で1565勝1563敗76分け。楽天の監督退任後は『野球解説者』として活躍していた」


・「現役時代は捕手として打者に話しかける『ささやき戦術』を取り入れ、経験に基づく巧みなリードで打者を翻弄。監督としては、投手のクイックモーションの導入など現代野球の基礎を築いた。また、戦力外などを経験した選手を再び1軍の戦力として甦らせる手腕は『野村再生工場』と呼ばれた。インタビューなどで愚痴をつぶやく『ボヤキ』でも話題を集めた」


・「現役時代には、元巨人の〔長嶋茂雄氏〕、〔王貞治氏〕と自らを比較し『王や長嶋がヒマワリなら、オレはひっそりと日本海に咲く月見草』とたとえた。また、『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし』『生涯一捕手』など多くの名言を残した」・・・


《プロ野球ヤクルトOB戦で挨拶する野村克也さん=2019年7月11日、東京・神宮球場(矢島康弘撮影)》

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