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(私の余命は6ヶ月か1年か?)

2020年01月10日
(私の余命は6ヶ月か1年か?)


・昨日「2時間半待ち」を凌いで、【大阪重粒子線センター】医の〔断り状〕を【大阪市立大学】の主治医に届けに行ったが、主治医は「やっぱり懸念した通りだったか、ううん」・・・・そして私をジッと見てこう言った。

「名古屋でアレコレされて来たので、もう打つ手がありません」

「このまま何も治療せず6ヶ月、抗がん剤に換わる『分子標的治療薬』(エーザイの〔レンビマ〕など)を服用しながら、遣り残したことをやられては?」

・私:「先生、もうあと4ヶ月で78歳になります。せめて80歳までは無理ですか?」

・「我々は趣味で手術をしているのではありません。患者さんに元気になって戴くためです。手術が出来るとして、手術後〔肝不全〕になるのを承知されても、80歳は無理でしょうね」

「今お元気なのは、〔がん〕が未だ血管に入り込んでないからです。入れば一気に全身に〔がん〕が回ります」

・私:「余命6ヶ月では部屋の片付けしか出来ないので無念です。予後が体調不良でも、もう少し生きたいですよ。『肝切除』のお付き合い戴けませんか」


主治医:「では名古屋ではやられた緑の薬剤を入れた15分置きの採血検査をやって、切れるかどうか決めましょう。来週は私が出張なので、20日(月)の9時からやってみましょう」


・【愛知県がんセンター】。私が2000年58歳の折に〈ステージⅣ・末期大腸がん〉が肝臓に多数個転移して、病名もおどろおどろしい〈切除不能・結腸がん肝転移〉。末期大腸がんは開腹・切除し、連続して2001年07月まで、通院で25回の抗がん剤を投与した。(肝動注手法)


・もう大阪からの通院だったが、CEA腫瘍マーカ値が上がっていたので2008年年初に検査入院。〔その1個〕が肝臓裏側に逃げ込んで、2cmに成長していたのが発見され、同時に胃がんも発見された。2008年02月には〈肝臓転移がんと近接部位の胆嚢切除〉。05月には〈分化型早期胃がんの内視鏡剥離手術〉。


・そして2015年の定期胃カメラ検査で、今度は〈未分化型早期いがんの内視鏡剥離手術〉。これは性質(たち)の悪い未分化型だったので、教科書通りなら「胃の3/4を切除」だったが、(1)独り暮らしの大男が、(2)1/4になった胃を抱え、(3)死ぬ程暑い大阪の夏を凌ぐ自信が無かったので、〔経過観察〕を決め込んで2019年まで〔定期健診〕だけで生き延びられた。


・ところが2010年に大阪で痛めた右膝の悪化が進み、「大阪への転院願い」をいつ切り出そうか?と思っていた2019年秋、分厚い脂肪肝で写らない筈のCTが、「便秘が嵩じて吐き、2日の絶食と9日の禁酒のせい」か、4cmにも成長した〈肝細胞がん〉をハッキリ捉えたのだ。


・それまで長年の〔肝臓のMRI撮影〕だったが、2000年の〔肝動注〕で肝臓に置かれた〔コイル〕が反射して診えなかったのだ。かくて『4がん5バトル』を闘った私も『5がん6バトル』を闘う羽目になり、〔膝痛〕〔経済事情〕も大きかったが大阪では主流の『ラジオ波焼灼法』と、名古屋には無い『重粒子線照射』に戦運を賭けることになったのだ。


・〔肝細胞がん〕の位置が悪く、『ラジオ波焼灼法』は使えない、最終兵器と頼んだ『重粒子線照射』も、「胃が近過ぎて」使えない。『塞栓法』は2000年の〔肝動注〕の残骸が邪魔をして使えない。大阪市大の主治医が「もう打つ手がありません」と仰る気持ちはよく解る。


・あとは直近の1月20日、「肝臓切除手術、出来ますよ!」に賭けるしかない。そしてフツーの人の肝臓なら1年も待たずに蘇生するそうだが、私の肝臓に〔蘇生能力〕〔余力〕が有るのを祈るだけだ。肝不全で定期的に溜まった〔腹水〕や〔胸水〕を抜いて、生きて80歳はシンドイ。


・【生還へのフォアボール】の姉妹編:【心の陽だまり(がん連戦と山頭火)】は書けるだろうが、【誰が言ったかオリベッティ・マフィア(昭和を駆けぬけたセールスマン群像)】が、気力の問題で書き残せないだろうが、何とも無念だ。


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コメント

冴えちゃんからの応援です。
これまでの織伊さんの強運から見て、今回も狭い狭いう可能性という扉をなんとかこじ開け、未来へ前進されるだろうと思っています。
20日に私の故郷に近い阿倍野の大阪市大病院の主治医から良い話が聞けることを祈っています。

冴えちゃん様、

応援コメント、有難うございます。大阪の主治医の怒りは、同じ人間として
よく解ります。19年間も、愛知県がんセンターがゴテゴテにした患者が、
14年も前から大阪に住んでいるのに、右膝の痛さに耐えられなくなって
来たわけですから。

大阪では主流の〔ラジオ波焼灼法〕は使えない。最新・最強の〔重粒子線
照射〕も使えない。がんを栄養失調にする〔塞栓法〕も、〔肝動注〕の残骸
だらけで使えない。じゃぁ「切るか?」となっても、大阪風来坊の暮らしでの
酒で肝硬変が進んでいる・・・

抗がん剤に換わる『分子標的治療カプセル』でも服用しながら、半年位、
まぁまぁの体調で死んで行く方が良くはないか?と考えてアタリマエです。

ところが私は能天気で、(1)1/20(月)の矢継ぎ早採血の結果、「切れる」
となって入院・開腹肝臓30%切除・予後療養・退院(10日間ほどか?)、
(2)肝臓蘇生も、30%は無理として20%ほどは戻って、80歳の峠を
越せる・・・ことを未だ夢見ています。土俵の徳俵の発想です。

応援宜しくお願い致します。そうそう、どこの病院も高台に在りますから、
日本橋からTAXIの行き来ですが、初診の帰り、冴えちゃんが描いて
送ってくださったチンチン電車の始発駅を見つけましたよ!頑張ります!

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