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(首里城再建について)

2019年11月05日
(首里城再建について)


https://special.sankei.com/f/sankeisyo/article/20191105/0001.html


・沖縄戦での消失は止むを得ないものがあるが、〈15世紀半ばに『琉球王国』が成立してから、明治12年に沖縄県が設置されるまで、琉球王の居城だった。その間、何度も焼失、修復が繰り返されてきた〉の記事(事実)はイタダケない!〔ウチナンチュー〕任せでは、消失は今後も続くのではないか?


・寄付金なんざ、『京アニ』の例を見ても〔32億円〕だ。アニメファンの若者の浄財である。首里城再建に〈日本中が燃える〉とも思えない。特にウチナンチューだけが結束し、我ら〔ヤマトンチュー〕を阻害するような文化が目立つのは痛い。〈寄付金での再建〉など夢のまた夢だ。


・国と沖縄県が協力しての再建となろうが、管理・保守は徹底して『消防庁直轄』でやった方がいい。それこそ〔AI〕など多数利用したらどうなのか? 私は「このがんで、ひょっとして死ぬな?」の2001年に、ジックリ見て来ている。様々な石垣群と辺野古も、『美栄さん』の料理も。そして長閑な水牛馬車も・・・


・産経スペシャル・【[産経抄]11月5日】 から、記事を以下。


・「【[産経抄]11月5日】産経スペシャル 2019.11.5」


・「昭和20年の沖縄戦で、那覇市にある『首里城』は米軍の砲撃により徹底的に破壊された。戦後『首里城復元』の機運が高まるのは、米統治下にあった沖縄が本土復帰を果たしてからだ」


・「▼首里城は15世紀半ばに『琉球王国』が成立してから、明治12年に沖縄県が設置されるまで、琉球王の居城だった。その間、何度も焼失、修復が繰り返されてきた。プロジェクトの中心メンバーだった琉球史が専門の〔高良倉吉(たから・くらよし)さん〕は、一つの決意を固めていた。それは『『中古車』ではなく『新車』の復元』である」


・「▼すでに外壁の色がはがれていた戦前の姿に戻すだけなら、中古車の復元にすぎない。王国時代のピカピカの新車の状態で、蘇(よみがえ)らせようとしたのだ。もっとも、当時のくわしい史料は、戦災でほとんど失われていた」


・「▼そもそも、『赤い城』との伝説が残っているだけで、実際には何色で塗られていたのか、見当もつかなかった。突破口を開いたのは、沖縄の歴史文化の研究で知られる染織家が、地元の大学に寄贈した古文書である。なんと1768年に作成された改修工事の記録だった。そこには『朱ぬり』『赤土ぬり』と記されていた」


・「▼平成12年の沖縄サミットでは夕食会場となり、その美しさを世界に発信した。実はその後も復元作業は続いていた。今年2月にようやく完了してから、わずか8カ月後の焼失である。高良さんは、自宅の窓から炎に包まれる首里城を確認して言葉を失った」


・「▼ただ、三十数年の復元工事の間に多くのノウハウが蓄積されている。新たな歴史的な発見もあった。『沖縄のシンボル』の早期再建を求めて、全国から集まった寄付金は昨日の午後時点で2億円を超えていた。『令和の再建』の物語はすでに始まっている」・・・


《再建までは、昔ながらの〔守禮之門〕で我慢》

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