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([正論] 御代替わりの諸儀をかえりみて)

2019年11月18日
([正論] 御代替わりの諸儀をかえりみて)


https://special.sankei.com/f/seiron/article/20191118/0001.html


・流石〔国学院大学名誉教授〕の論説だけに、伝統との比較論は面白い。ただ今回は『特例』ではあっても、昭和の『天皇崩御後の慌しい践祚(せんそ)』、2年にも亘る『大葬の礼』、その間の『自粛ムード』の暗い月日を思い出せば、今回の上皇陛下の熱心な『退位論』はヒットだったのではないか?


《「供饌の儀」のため、祭服を着て大嘗宮の主基殿に向かわれる天皇陛下=15日午前0時31分、皇居・東御苑》

Photo_20191118144201


・お陰で日本は、『祝賀ムード』で御世代わりを迎えられた。何代かに一度、『退位』による今回の様なことが有っても良いではないか?私の母は〔明治〕〔大正〕〔昭和〕〔平成〕を生きた。私も今回の『4cmの肝細胞がん』のヤマを乗り越えて、〔昭和〕〔平成〕〔令和〕そして〔その次の御世〕も体感しなくっちゃ!


・産経スペシャル・[正論] から、記事を以下。


・「【[正論] 御代替わりの諸儀をかえりみて 国学院大学名誉教授・大原康男】産経スペシャル 2019.11.18」


≪厳粛に斎行された祭儀≫


・「14日夕刻から15日未明にかけ皇居・東御苑に建てられた大嘗(だいじょう)宮の悠紀(ゆき)・主基(すき)両殿にて大嘗祭『供饌(きょうせん)の儀』が厳粛に斎行された。これで令和度の御代替わりの主たる祭儀はめでたく終了したのである」


・「周知のように、わが国の皇位継承にかかわる制度・儀典は、古代より長い年月をかけて幾多の変遷を経ながら、近代になって初めて成文法として整備された」


・「明治22年に明治憲法とともに公布された『皇室典範』は、男系による皇統維持を改めて確認した上で、皇位継承資格を男子に限定して女帝の存在を認めず、皇位継承原因を『天皇崩御』に限定して譲位を否定するという2つの原則を明確に宣明。法の未整備から政争の具とされ、幾たびか動乱の因となった弊を二度と繰り返さないという悲願が背後に込められている」


・「こうして明文で制度化された御代替わりの諸儀は『践祚(せんそ)』(先帝崩御の後新帝が直ちに皇位に即(つ)かれる)・『改元』(元号を改定する)・『御大喪』(先帝のご葬儀を行う)・『即位の礼』(践祚後時日を置き即位を宣示する)・『大嘗祭』(新帝が初めて新穀を神々に供え、自らも共食される)の五儀から構成される」


・「『御大喪』を除く四儀は典範の下に制定された皇室令の一つである登極令に詳細な規定が設けられた(「御大喪」は皇室喪儀令に拠(よ)る)」


・「大正・昭和両度の御代替わりは本典範に忠実に則(のっと)って行われた。しかし戦後GHQにより皇室典範と皇室令が廃止され、新たに制定された同名の皇室典範を始めとする関係法規も不十分で、現憲法下で初めてとなった平成度の御代替わりでは憲法と皇室の伝統をどのように調整するか、政府も相当苦慮した跡が窺(うかが)える。それは令和度の御代替わりにも繋(つな)がっている」


・「言うまでもなく、今次御代替わりの最大の特徴は旧典範を踏襲して現典範でも唯一の皇位継承原因とされる『天皇崩御』によるものではなく、高齢社会における天皇の公務のあり方を憂慮された〔上皇陛下〕のご意向を承って制定された『天皇の退位等に関する皇室典範特例法』に基づく『特例』であることに改めて注意を喚起したい」


≪長らく踏襲された流儀回帰も≫


・「さて個々の儀礼に話を進めるが平成度では典範4条の『即位』を践祚と同義に解し、皇位の表徴とされる〔剣璽(三種の神器の剣と勾玉(まがたま))〕と〔御璽(天皇の印章)・国璽(日本国の印章)〕を受け継ぐ『剣璽等承継の儀』が国事行為として最初に執り行われた。令和度は新例である『退位の礼』に始まり『剣璽等承継の儀』と続く」


・「次に『改元』は昭和54年に制定された元号法に拠って何の波乱もなく行われたが、条文に『元号は、政令で定める』とあるだけなので、新天皇と関係なく閣議決定だけで成案に至る危険性が多分にあり、事前に『御聴許』を得るべきだとの見解もあれば、政令ではなく、登極令にあるように詔書によって公布するよう求める声もある」


・「もう一つ、新元号「令和」は新天皇が即位される前に決定・公表されたが、これは一世一元の制に悖(もと)ることになりはしないか。そもそも御代替わりの諸儀は、先帝への追慕・哀悼と新帝の御代を奉祝・慶賀するという2つの思いが重なる中で約2年間にわたって営まれる一連の祭儀を指すのだが、今回は譲位によるものなので1年間の諒闇(りょうあん)(天子が父母の喪に服する期間)を必要としないため、同じ年のうちに終えることとなったのである」


・「御代替わりのクライマックスとも言うべき『即位の礼』においては平成・令和両度の間に大きな差異が生じた。それは天皇が高御座(たかみくら)に、皇后が御帳台(みちょうだい)に昇られる経路である」


・「平成度では正殿『松の間』の北側からお出ましになり、中庭に面した『梅の間』の側面、正面の回廊を経て『松の間』にご入場、階段を昇られて帳(とばり)の中に入られたが、令和度は『松の間』の後方から直ちに入られた。実は今回の方が昭和まで長らく踏襲されてきた流儀であり、いわば伝統に回帰したといえよう」


≪伝統踏まえ次代の叡智を≫


・「一方、国民を代表して寿詞(よごと)を申し述べ、万歳三唱の音頭をとった首相の服装が政教分離に過剰に配慮したのか、両度(海部俊樹、安倍晋三両首相)とも燕尾(えんび)服であったのはいささか残念に思う」


・「大正・昭和度では〔大隈重信〕、〔田中義一〕両首相が慣れぬ束帯姿で懸命に奉仕していたからである。束帯は平安朝以降の朝廷の公務服であり、何らの宗教色も帯びていない」


・「政教分離に関連して最も論議されたのは大嘗祭であるが、平成度では国事行為ではないものの、皇室の公的行事とされてすべて国費で賄われた(令和度もこれに倣(なら)う)。それを不満として提訴された4件の訴訟もことごとく原告敗訴の結果に終わっているので法的には決着済みと断じてよい」


・「以上、略述したように、現憲法下で2回目となる令和度の御代替わりの諸儀は、法制の不備もあって前回同様に解決すべき課題として残されたものが幾つかあった。次代の叡智(えいち)に期待したい。(おおはら やすお)」・・・

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