« (中東オマーン沖に自衛隊派遣 有志連合は参加せず) | トップページ | (在韓米軍撤収となれば『第2次朝鮮戦争』勃発!) »

(オーラスに臨場感:【心に陽だまり:(がん連戦と山頭火)】

2019年10月18日
(オーラスに臨場感:【心に陽だまり:(がん連戦と山頭火)】


・思い返せば2008年3月の『全身麻酔:肝臓転移再発がんと近接部位の胆嚢の切除』、5月の『新生〈分化型〉胃がんの内視鏡剥離手術』・・・私の中では〈3がん4バトル〉をオーラスにして『がん闘病記』を書き込み、東京の【青月社】の若き〔望月勝社長〕の男気で2009年12月26日に発刊出来た初版本:【生還へのフォアボール】だった。


・多くの友人・知己・先輩諸氏の〔浄財〕と、ご協力を戴いての〔織伊友作・初版本〕の発刊だった。ただ「幾許かのがん患者への応援歌」にはなっただろうが、〔闘病本〕としては売れなかった!(興行としては大失敗だったと言うか)・・・だから姉妹本としての【心に陽だまり:(がん連戦と山頭火)】は、〔種田山頭火〕の『自由律俳句』の力を大いに借りている。


・ただ〔がん連戦〕は、2015年4月の『新生〈未分化型〉胃がんの内視鏡剥離手術』が加わっただけ。つまり〈3がん4バトル〉が〈4がん5バトル〉になっただけである。勿論教科書通りだったら「胃の3/4は切除」という命運に弄ばれ、結果「逆らって何もせず」に生き延びた3年半だったが。


・そこへ今回の降って湧いたような「直系4cmの肝細胞がん」である。「織伊さん、肝臓に埋められたコイルの向こうは、MRIでは見えないんですよ」とは、何度も主治医の〔山浦秀和ドクター〕(IVR放射線診断部)に言われ続けていたので、何の恨みも無い。


・私の肝臓は、長年の大酒が祟って脂肪肝が分厚くて、2000年の初手から「CTでは写らない」自業自得だった。だから私にとっては「肝臓はMRI」、「CTは胸部、胃の周辺、骨盤辺り」を見て来た19年だったのだ。


・事の発端は「私の胃の3/4を切る」筈だった〔伊藤友一ドクター〕の「老人性栄養失調・鉄分不足」のご託宣である。本年8月の話だ。院内処方の『鉄分錠剤』はやがて無くなり、大阪の住まい近くのかかり付け医:『山本クリニック(山本一成ドクター)』から「同じ錠剤」を処方して貰い、服用するようになったのだが、以降「便秘の症状」が進み、とうとう9月23日深夜から朝までに〔16回吐く〕ことになった。


・自覚症状も有った。3日以上便秘で、大腸も小腸もガスが充満、「胃から腸に降りて行かない」感じがあった。24日は『山本クリニック』へ行ってレントゲン撮影。25日も絶食して、「この大酒呑み」が9日間(計11日間)の禁酒。コンビニの『粥・雑炊』を『パン・飯』に徐々に変え、酒も復活しての10月15日【愛知県がんセンター中央病院】、いつもの『CT撮影』だった。


・ただ「ぶっ倒れての11日間の禁酒」「6kg痩せて88kgになった」ことが原因なのか、「雲の晴れ間」のように「CTが私の肝臓を写していた」のだ!主治医:山浦ドクターはEIZOの大型モニターで『直系4cmの肝臓細胞がん(MRIが見つけられなかったコイルの先)に(恐らく)仰天し、私が外来に行くまでに『PIVKA-Ⅱ』という、特殊な腫瘍マーカの分析依頼をしていたのだろう。


・誰も誉めてくれない「〈4がん5バトル〉が〈5がん6バトル〉になる!」という現実。しっかしま、「書き終えて、何度も推敲を重ねている【心に陽だまり:(がん連戦と山頭火)】が、俄然「臨場感に包まれる」ことになった。


・「又かよ!」とは努々(ゆめゆめ)思うまい。〈あの鉄分錠剤の処方が無ければ〉〈慢性便秘が募らなければ〉〈16回も吐いて、ぶっ倒れなければ〉・・・今回の「発見」は無かっただろう。全身麻酔・開腹は、58歳・66歳でやっている。2度死んだも同じだ。


・もう77歳になって、膝も悪くして「歩いてない」ので、体力も無かろう。10月28日(月)から2泊3日の「どうやって闘うか?」の検査入院があるが、恐らく『放射線・リニアック』になるだろう。これで4cmのがんが2cmに縮めば、その後は『抗がん剤』か?


・初版本:【生還へのフォアボール】の表紙は、力強い『夏の入道雲』である。77歳になっても、日一日と体内に『闘争心』が充満して来るのを感じている。〔人生100年時代〕の前に、私を心底可愛がってくれた父・88歳、母・91歳の寿命を、先ずは越えなければ!


・【生還へのフォアボール】のオーラス部分、今から10年前の文章である。「このヤマ」を越えて、【心に陽だまり:(がん連戦と山頭火)】のオーラスに、どんな文章が書けるのか、今から楽しみである。以下。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


・対岸の大都会・大阪の摩天楼群を甘い視界の中に置き、名も知らぬ鳥の群れが逃げもせずに草の実をついばむ堤の上を、風に吹かれながら歩く約一時間は、私にとっては足腰を鍛えることだけでなく、魂の開放と遠い想い出の数々と向き合う至福の時間である。


・今、釣瓶(つるべ)落しの晩秋の夕陽のような、気忙(きぜわ)しいばかりの老残の日々を送っている身にとって、想い出、特にあの青春の日々の悠久がひたすら恋しい。青春の時は、いつまでも姿を変えない夏の日の入道雲に似て、ゆっくりゆっくり流れていた。いつも餓えていたくせに、徒手空拳の強がりの口笛も吹けていた。へこんだ夕暮れも、眠りにさえつけば明日の太陽は又、東の空から無限回昇ってくれる確信すら有ったものだ・・・


・淀川堤の上に展開される壮大なパノラマとオゾン、過ぎ行く風の心地良さに驚くほど心が穏やかになって、満天の彼方から、それこそ降り注ぐように想い出が落ちてくる。忘却の彼方に隠れ住んでいた人達も、殆ど忘れていた言葉や映像の数々も、開放された心にキラキラと舞いながら落ちてくる。雲に言葉を投げかけてみて、この淀川堤の散歩のあと、書きかけの原稿が推敲(すいこう)されて行った数は、数え切れないほどだ。


・私の背中を押す淀川堤の風は、過去に吹く風に似ているのかも知れない。過去に吹く風は、いつも優しいフォローの風であり、甘い香りさえする。人は弱いものだ。過去の想い出の、温かい陽だまりに暫しまどろみ、心身の傷を癒したら又、決然と立って強いアゲインストの風の未来へ向かって歩き始めなければならない。


・しかし年を取れば取るほど、その過去に留まる時間は、少しずつ長くなる。そしてついには過去から出られなくなってしまう。それが人生大団円の心情なのだろう。だから死は、悲しいだけのものではなく、或いは昔の栄光と安らぎに満ちた、至福の時の訪れなのかも知れない・・・

« (中東オマーン沖に自衛隊派遣 有志連合は参加せず) | トップページ | (在韓米軍撤収となれば『第2次朝鮮戦争』勃発!) »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« (中東オマーン沖に自衛隊派遣 有志連合は参加せず) | トップページ | (在韓米軍撤収となれば『第2次朝鮮戦争』勃発!) »

最近のトラックバック

2019年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ
フォト