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(戦後封印された『海ゆかば(鎮魂曲)』復活を!)

2019年08月14日
(戦後封印された『海ゆかば(鎮魂曲)』復活を!)


https://special.sankei.com/f/seiron/article/20190814/0001.html


・万葉集:大伴家持(おおとものやかもち)の長歌からの抜粋である。私なんざ海軍軍人だった父の膝の上で育ったようなものだから、物心が付くと同時にこの【海ゆかば】が擦り込まれていた。


〈海ゆかば 水漬く屍 山ゆかば 草生す屍
大君の 辺にこそ死なめ かへりみはせじ(長閑(のど)には死なじ)〉


・筆者の言う『日本民族の鎮魂歌』は、正に「コレ」しか有るまい。作曲は、1880年に当時の宮内省伶人だった〔東儀季芳〕だというが、荘厳な曲行きである。例えば8/15の『全国戦没者追悼式』で、大合唱団によって「コレ」が唄われたら、国民の戦没者への鎮魂の思いは、会場だけでなくテレビを通じて日本全国津々浦々に染み込んで行くだろうて。


・歌の着地が「かへりみはせじ」と「長閑(のど)には死なじ」と2つ有るが、私の父が教えてくれたのはその2つともだったから、大伴家持自身が2つ、書いていた可能性も有る。


・産経スペシャル・[正論] から、記事を以下。


・「【[正論] 令和の8月に思う 戦後封印された『鎮魂曲』復活を 文芸批評家・新保祐司】産経スペシャル 2019.8.14」


・「6月28日、神奈川近代文学館で映画『戦艦大和』を観(み)た。昭和28年6月に公開された作品である。原作は、吉田満の『戦艦大和ノ最期』で、この上映会は、吉田満没後40年を記念して行われた。(解説:ハハン、藤田進が〔能村次長〕を演じた初期版だな? 私も小4で観た!)


≪映画「戦艦大和」のラストで≫


・かねて、『戦艦大和ノ最期』を戦後文学の傑作と考えているので、必ず行こうと思っていた。この名作が、映画化されたことがあるのは知っていたが、まだ観たことはなかったからである。特に、ラストシーンに『海ゆかば』が流れるということを聞いた記憶があって、それを確認したかった」


・「映画は、戦艦大和の大小2つの模型を使った特撮を駆使したもので、今日のようなCGを使った実物そのもののような感じをもたらすものではなかったが、そんなことは少しも気にならなかった。この映画は、そもそもそんな効果を目指してはいない。静かな鎮魂のトーンが流れていて、それにはモノクロの画面も相応(ふさわ)しかった」


・「映画は、ついに戦艦大和が轟沈(ごうちん)して、生き残った者が海に漂っている最後のシーンになる。そのとき、『海ゆかば』が流れたのだった。やはり流れたのだと私は思い、深い感動に襲われた。これでいいのだ。これで鎮魂は完成したのだからである。この映画が、今後もっと多くの場で上映されることを願う。令和の日本人が、ぜひとも観るべき歴史だからである」


・「観終わった後の深い感動の裡(うち)に、なぜ、『海ゆかば』が戦後の長きにわたって、ほぼ封印されてきたのかについて思いを巡らしていた。この映画が公開されたのは、前述した通り、28年の6月である。制作は前年くらいからであろう。ということは『サンフランシスコ講和条約』が発効し、占領が終わった27年4月28日以後である」


・「そもそもこの映画の原作となった吉田満の『戦艦大和ノ最期』初版が刊行されたのが、27年の8月である。初稿は、敗戦の直後、ほとんど一日を以(もっ)て書かれたという。雑誌『創元』に載る予定であったのが、GHQ(連合国軍総司令部)の検閲によってかなわなかった。やっと主権回復後に刊行されたのだ。そしてこの映画が翌年に公開されたのであり、その中で『海ゆかば』が流れたのである」


≪「海ゆかば」以外にない≫


・「映画と『海ゆかば』といえば、内田吐夢監督の『血槍(ちやり)富士』を思い出す。30年2月公開の時代劇映画である。内田は、『大菩薩峠』(32年)や『宮本武蔵』(36年)などの名作で知られる巨匠だが、敗戦のとき、満州にいたために、8年間も中国に残留することとなった」


・「28年に帰国し、その帰国第1作が、この傑作時代劇『血槍富士』である。GHQによって、時代劇、いわゆるチャンバラ映画は制作が禁止されていたというが、内田が帰国した頃には可能だったわけである。これも、主権回復後に作られたからであろう」


・「主人と旅をしている槍持ち(片岡千恵蔵)が、ふとしたいさかいから殺された主人のために、八方破れの闘いをして見事、仇(あだ)討ちをする。そして、主人の遺骨を抱いて槍持ちが故郷に帰って行くラストシーンに『海ゆかば』が流れるのだ。時代劇に、12年に作曲されたこの曲が使われるのはおかしなことだが、内田は鎮魂曲として『海ゆかば』以外のものは思い浮かばなかったに違いない」


・「この復帰第1作の、制作協力のところに、小津安二郎の名前が出てくるのが印象的であるが、小津の映画『父ありき』(17年)にも、実は『海ゆかば』がラストシーンに流れていた。今日、われわれが観る『父ありき』には、流れない。これは戦後、GHQによって削除されたからである」


≪精神の「独立自尊」回復を≫


・「このように、『海ゆかば」の使われ方を考えてくると、27年4月28日の主権回復が日本人の精神にとって深い意味を持っていたことに改めて気がつく。占領下にあったとき、『父ありき』から『海ゆかば』を削除したのは、確かにGHQであったが、〈戦後長きにわたってこの曲を封印してきたのは実は日本人〉なのではないか」


・「なぜなら、主権回復直後に作られた『戦艦大和』や『血槍富士』には『海ゆかば』が流れたからだ。〈回復後の数年間には、『海ゆかば』を使うほどの独立自尊の精神の姿勢があった〉のである。だから、〈やはりこのとき自主憲法の制定に着手すべき〉だったのだ。しかし、この好機に着手しようとしなかった精神の在り方が、その後、『海ゆかば』を封印することになっていったに違いない」


・「今年の8月15日は、令和の御代になって初めての『全国戦没者追悼式』の日である。毎年、テレビで見て黙祷(もくとう)しているが、式が始まる前に会場にかかっている音楽は、本来は、『海ゆかば』であるべきであろう」


・「それが、真の『鎮魂』だからである。『海ゆかば』が、そのような場で当たり前に流されるようになったときに初めて、日本人の精神の独立自尊の『回復』がなるのである。(しんぽ ゆうじ)」・・・

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