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(佐々木朗希のいない決勝戦。選手たちは納得していたのか)

2019年07月26日
(佐々木朗希のいない決勝戦。選手たちは納得していたのか)


https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190726-00840151-number-base


・1992年8月16日に阪神甲子園球場で行われた第74回全国高等学校野球選手権大会2回戦の〔明徳義塾高等学校〕(高知)対〔星稜高等学校〕(石川)戦で、明徳義塾(馬淵史郎監督)が星稜の4番打者〔松井秀喜〕に〈5打席連続して敬遠する作戦〉を行ったことが思い出される。


・あの折は、『甲子園の勝利至上主義』が随分叩かれたが、今回の〈佐々木朗希のいない地方決勝戦〉を演出した大船渡の〔国保陽平監督〕も、私に言わせりゃ『ヘタレ』である。どんな言い訳をしても『ヘタレ』は『ヘタレ』、二人とも〔高校球児〕に「消しがたい傷」を負わせたヘボ監督である。


・YAHOOニュース から、Number Web の記事を以下。


・「【佐々木朗希のいない決勝戦。選手たちは納得していたのか】Number Web 7/26(金) 11:56配信」


・「大差のついた最終回、仲間たちがみんな立ち上がり、身を乗り出して声をからしている中で、〔佐々木朗希〕はひとりベンチ奥に腰を下ろしたままじっとグラウンドを見つめていた。胸に何が去来していたのか。〔エース〕であり、〔4番打者〕の彼は甲子園をかけた決勝戦という舞台に立つことのないまま、最後の夏を終えた」


・「ゲーム直後、すぐに敗れた大船渡ベンチ前で〔国保陽平監督〕がメディアに囲まれた。異例の光景である。矢継ぎ早に質問が飛ぶ」


・Q:なぜ、佐々木を投げさせなかったのか。


・「故障を防ぐためです。連投で、暑いこともあって。投げたら壊れる、投げても壊れないというのは未来なので知ることはできないんですけど、勝てば甲子園という素晴らしい舞台が待っているのはわかっていたんですけど、決勝という重圧のかかる場面で、3年間の中で一番壊れる可能性が高いのかなと思いました。投げなさいと言ったら投げたと思うのですが、私には決断できませんでした」


・「前日の準決勝・一関工戦で9回、129球を投げた佐々木にこの日の朝、登板させないつもりだと伝えた。すると笑顔で『わかりました』と返してきたという。そして、大船渡は6回までに9点を奪われ、2-12という大差で敗れた」
.

■甲子園至上主義に別れを告げる決断

・「国保監督への質問は続く」


・Q:佐々木抜きで勝つとすればどういうイメージだったのか。


・「30-29というような。(佐々木の笑顔も)そこに期待していた笑顔だったのかなと、可能性はあるよ、あるぞっていう」


・「30点という数字が現実的でないことは誰よりも国保監督がわかっているだろう。今大会の第1シード、花巻東を相手に佐々木が投げなければ勝機が薄いこともわかっていただろう。もし言葉通りに点の取り合いにするつもりならチームで最も長打力のある佐々木を外野や一塁で起用しても良かったはずだ。ただ、それも『スローイングの時、100%で投げてしまうリスクがある』という理由でしなかった」


・「前日の準決勝前に医療スタッフに右肘の違和感を訴えていたという情報もあるが、この時はその上で129球の完投をさせた。そして決勝の朝は筋肉が張ってはいたが、投げられる状態にはあったという。つまり、甲子園に出る確率を下げてでも、ひとつの才能を守ることを選んだ。目の前の一瞬よりも未来を選んだ。〔さらば甲子園至上主義〕。そういう決断である」


■大船渡のスタンドから飛んだ怒声

・「国保監督は盛岡一高から筑波大を卒業後、1年間、岩手で働いてから『アメリカ独立リーグ』で野球をしたという。その2010年、オレンジカウンティというチームとの試合で、かつてカブスでサイ・ヤング賞候補になりながら、肘の故障に苦しんだ右腕〔マーク・プライアー〕と対戦したという」


・「『まだ若々しく見えた中で、オールスターに出たような投手がこのステージにいるんだ。投手、才能については何とかしなければならないなと思いました。彼と対戦してからです』」


・「その時に肌で感じたものが指導者としての信念になり、佐々木という才能に出会い、この大きな決断につながったという」


■「甲子園に行きたっちゃねーのか!」


・「報道陣の質問に答える国保監督の頭上に、大船渡側のスタンドから怒声が飛んだ。投げさせるべきか、否か。判断基準はどこにあるのか。何球ならば安全なのか。気温が何度ならば危険なのか。この試合を見た誰もがスタンドで、テレビの前で、携帯電話の前で頭をめぐらせたのではないだろうか」


・「4回戦以降は〈5日間で4試合〉という大会日程が変わらない限り、この煩悶は続く。複数の投手をそろえることが難しい公立校はなおさらだ。8秒間の沈黙の末に絞り出した一言。

〈ただ、いくら考えたところで基準はないように思う。壊れるか、壊れないか。監督が言うように未来のことなんてわからないのだから〉


その中で唯一、この決断を測る物差しがあるとすれば、それは選手たちの胸の内である」


・「そもそも佐々木は『この仲間と甲子園に行きたい』という理由で強豪私立の誘いを断って、地元の県立校に進んだ。その佐々木と、彼と一緒に甲子園を目指そうと集まった仲間たち。彼らが納得していれば、もはや外野がとやかくいう問題ではない。この決勝は、汗を流してここまでたどり着いた彼らのものなのだから」


・「だが試合後、佐々木の表情は神妙だった。登板しなかったことについてどう思うか。そう問われると、およそ8秒間沈黙した後に『監督の判断なので……』と声を絞り出した。投げられる感覚はあったのか、という問いには『はい』と答えている」


・「偽らざる本音だろう。決勝進出を果たした前日の会見では『ここで負けたら1回戦で負けるのと同じ』と語り、自らの投球で甲子園を決めに行く覚悟を感じさせていたのだから」


■最初は声を張り上げていたが……

・「この日、序盤は声を張り上げ、ベンチのムードをつくり盛り上げていたが、10点差となり、残りイニングが少なってきた終盤からは言葉も少なくなり、最後は何かを考え込むようにじっとベンチの一番奥に座っていた。敗戦後には整列した仲間たちの嗚咽を聞きながら、こみ上げるものを堪えているようだった。涙もろい彼が思い切り泣けなかったのは、なぜだったのか」


・「試合後、レギュラーの中には『朗希が投げないというのは予想できませんでした。投げていればいい勝負ができたという思いはあります。自分たちのベストの力を出せていれば……、という思いも少しはあります』と複雑な表情で語った選手もいた」


・「そして、今大会初登板が決勝での先発となった右サイドハンドの〔柴田貴広〕は『自分が先発するということは朗希を休ませたいということだと思いました。朗希が甲子園でいいパフォーマンスをするためにも自分が抑えようと思いました。朗希と3年間やれたのはすごく大きくて……と語ったところで、涙が止まらなくなってしまった。『朗希の夢を……、終わらせてしまったんで……、申し訳ないって気持ちが出てきて……』抱えきれない責任を背負う彼を見ているのが痛々しかった」


■監督「そこは僕が引き受けようと思いました」

・「勝者になれなかったのは仕方ない。ただ、彼らはきちんと敗者になれたのだろうか。敗れた後の彼らの表情や様子が残念でならなかった。大船渡は練習メニューも、試合の運び方も佐々木を中心として選手たちが考えてきたという。試合中も監督は極力サインを出さず、ともに伴走するスタイルで戦ってきた。そうやって最も難しい自主性を伸ばすことに成功し、決勝にまで導いた国保監督が、なぜ最後の最後で選手たちと話し合うことをしなかったのか」


・「もし、みんなが頼りにしているエースを投げさせられない事情を監督だけが握っていたのならば、なぜ、それをこれまでと同じように選手たちと分かち合わなかったのだろうか。『生徒たちにとても大きな、一生心に残るような決断を……、そこは自分で僕が引き受けようと思いました。そこは大人が、と思いました』」


■選手は監督の決断に納得していたのか。


・「そう聞かれて、国保監督はしばらく考えた。『納得……、しているんですかねえ。うーん……、まだ、わからない。何年後になるかわからないですけど……』 おそらくは納得してもらえなくても、という覚悟があったのではないだろうか。選手たちはいつか納得できるのだろうか」

・「巨大な才能を預かるという重圧を抱えながら、貫いた信念は素晴らしいと思う。投げさせないことの方がよほどの勇気が必要だったはずだ。高校野球における価値観、既存の大会運営に一石を投じたという面もあるだろう。ただ、なぜかそこではなく、一生のうち二度とやってこない一瞬を『なぜ?』という表情のまま終えることになった選手たちにばかり目が向いてしまった」


・「試合の後、国保監督は全員に言ったという。『負けたのは俺の責任だ』。選手たちの胸にはどう響いたのだろうか。もしも、彼らが自分ではどうすることもできない悔いを抱えたとしたら、それを払拭できるのは何年後のことになるのだろうか。佐々木がプロの世界で活躍するようになれば、それで払拭できるのだろうか。第三者がこの決断をどう評価するかなんてどうでもいい。他でもない彼らがいつか納得できる日がくればいいなと思う」


・「沿岸部の大船渡から2時間以上の道のりを毎試合駆けつけて、声援を送ってきた応援団席からも、父兄の間からも、こんな声が聞こえた。『こんな終わり方って、ありますか……』  何か忘れ物をしたかのような空気に包まれた岩手県営球場に、一瞬の夏を生き尽くす蝉の鳴き声が響いていた」・・・


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