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(支那人はチャンスを失った、もう『民主化』は不可能だ!)

2019年06月10日
(支那人はチャンスを失った、もう『民主化』は不可能だ!)


https://www.sankei.com/premium/news/190610/prm1906100006-n1.html


・先ずは〔鼎談(ていだん)〕とは、鼎(かなえ)の足が3本のことから、「三人が向かい合いで話をすること」を言う。


・〔矢板明夫氏〕は、〈1972年中国天津市生まれ 88年、15歳の時に残留孤児2世として日本に引き揚げ97年慶応大学文学部卒業〉〈02年から産経新聞社記者 07年から中国総局(北京)特派員〉であるから、私からすれば『産経・北京特派員』は天職のように映る。


・〔楊海英氏〕・〔石平氏〕は投稿記事に年中登場して戴いているので説明不要だろう。しっかしま、〔楊海英氏〕・〔石平氏〕・〔矢板明夫氏〕の鼎談ってのは面白い。しかもあの『天安門事件』の学生らの民主化運動が、〈毛沢東政権の極端な個人独裁に対する反省からの運動〉であり、〈30年経った今、振り返ってみれば、当時の学生リーダーたちも本当に民主主義とは何かを理解していたのか〉は疑問?・・・


・〈学生たちが人民大会堂に行って共産党に対して跪いて請願した〉というのが象徴的ではないか? 学生らは『共産党内の党改革』を望んだだけで、『多党制・選挙の真の民主化を望んだ訳では無かった』というのだ。生々しくて失望的だが、それが真実なのだろう。


・産経ニュース・[正論7月号] から、記事を以下。


・「【[正論7月号] 天安門事件から三十年 《反共鼎談》民主化は不可能だ 中国人はチャンス失った 評論家・石平/静岡大学教授・楊海英/産経新聞外信部次長・矢板明夫】産経ニュース 2019.6.10 02:00」

・「〔楊海英〕:『来たる6月4日で、民主化を求める中国の学生たちが武力で鎮圧され、虐殺された天安門事件から30年になりました。あの事件は起きるべくして起きたものでした』


『中国の民主化運動は学生たちが中心となり抗日・反帝国主義を訴えた1919年の五・四運動から始まったといえますが、49年に中華人民共和国が誕生、そして59年に人民公社の成立と反右派運動があり、同じ年に民族問題の典型的な事例としてチベット人が蜂起し、ダライ・ラマ14世がインドに亡命しました』


『69年になると文化大革命が最盛期に突入し、その後、一応文革は収束しましたが、89年の天安門事件でせっかくの民主化の芽が摘まれるわけです。私はモンゴル人ですから、五・四運動の前までは漢民族の革命の対象で、つづいて『五族協和』の対象となりました。五・四運動からの中国の課題は、民主化とともに少数民族問題への対処がありました』


『天安門事件の少し前まで私は北京第二外国語学院で助手をしていましたが、〔石平さん〕がおられた北京大学にもよく顔を出して、少数民族出身の学生に会って、民主化が実現したら少数民族はどうするのか、我々のところはどうするのか、ということを議論していました』


『でも、ほとんどの学生は民族問題に関心を持っていませんでした。私の大学に、共産党の中央党学校を出た若い先生が来たのですが、彼は過激な民主派だったものの、少数民族問題については『あなたたち少数民族はもう十分、優遇されているからいいじゃないですか』という具合でした。私は民主化運動の限界を感じて、〈天安門事件が起きる前の89年3月に日本へ来たのです〉』」


■民主化運動は誰に「利用」されたのか


・「〔石平〕:『それはたしかに民主化運動の限界だったと思います。民主化運動に参加していた人間は当時も今も、中華思想については中国共産党とそんなに立場が違いません。というのも、例えば民主主義は主張しても、台湾独立は絶対反対なんですね』


『楊先生が仰った『天安門事件は起きるべくして起きた』という背景には、その中の当事者だった私からすれば、やはり〔毛沢東時代〕、特に〔文化大革命時代の個人独裁の弊害〕が極端にまで達してしまったことがあったと思います。毛沢東の晩年は、彼の全くの一存・指示で国家国民の運命が翻弄され、何千万人の命が失われました』


『共産党の高級幹部でさえ、いつでも毛沢東に殺されかねない、人権とか権利とかが極端にまで剥奪された時代でしたから、毛沢東死去後の反動も大きかったのです。若者たちや知識人の一部、あるいは共産党の開明派の中に、このままではこの国はもうどうにもならないという一種の共通認識があった』


『そこにまた80年代、改革・開放政策の中で西側の思想がいろいろ入ってきたのです。だから当時は、大学の中でも〈ルソーを語らないと女の子も話を聞いてくれないほどでした(笑)〉』」


・「〔楊〕:『ルソーを語って愛を語っていたわけですね』」


・「〔石〕:『それが流行でしたから。そういう中で89年の天安門事件は80年代の時代的雰囲気の集大成で、60~70年代の中国共産党、特に〈毛沢東政権の極端な個人独裁に対する反省からの運動〉であったわけです。私などは当時、血が沸いて、理想・理念のために命を投げ捨ててもいいと思っていました。しかし〈30年経った今、振り返ってみれば、当時の学生リーダーたちも本当に民主主義とは何かを理解していたのか〉、といえば必ずしもそうではなかったのです』


『89年4月15日に〔胡耀邦元中国共産党総書記〕が亡くなったことを機に運動が始まったわけですが、考えてみれば奇妙なことであって、天安門の民主化運動のきっかけは共産党独裁政権元トップの死去だった。もちろん胡耀邦は共産党の中で開明派だったのですが、開明派といっても共産党は共産党でしょう』」


・「〔楊〕:『〔周恩来首相〕が亡くなったことがきっかけだった、76年の天安門事件も同じでしたね』」


・「〔石〕:『そして89年の天安門事件では、本当の意味での民主化要求はそんなにありませんでした。訴えの中心は〈反腐敗〉と、〈自分たちの行動は愛国行動であることを認めてほしい〉、ということだったのです。象徴的な出来事は、〈学生たちが人民大会堂に行って共産党に対して跪いて請願した〉ことでした。中国3千年の伝統で結局、民主化運動といっても政府に対するお願いだったわけです』」


・「〔楊〕:『百年前の五・四運動は人民が下から立ち上がったものでしたが、共産党政権が成立してからの何回かの学生運動は皇帝に対して上奏文を出すときのやり方と同じで、封建時代とやり方が一緒なのです。89年のとき、我々は愛国的であることを標榜していました。ちなみに反日運動を起こすときも、常に『愛国無罪』ということを表明しなければ当局に取り締まられる、と中国人は肌で分かっているのです』」


・「〔石〕:『今から思えばそれも天安門事件の限界でした。しかしそれにしても、天安門事件はその後の中国に非常に大きな影響を及ぼしたと思いますが、矢板さんはどう考えますか』」


・「〔矢板明夫〕:『共産党一党独裁である限り、中国は大きく変わることはないでしょう。その一党独裁の歴史をみると、まさに権力闘争の歴史であって、新しい挑戦者が出てきて既存の勢力と力が拮抗してくると、世論を利用したりして国民を巻き込んで政敵を倒そうとするわけですね。30年前の天安門事件もまさに共産党内の〈改革派〉と〈保守派〉との激しい衝突があって、改革派が学生たちを利用したという側面もかなりありました』


『当時、学生リーダーだった〔王丹さん〕とはつき合いが長いのですが、彼は天安門事件の後、しばらく刑務所に入って、98年に米国へ亡命しました。私は当時、ある雑誌の仕事で米国に着いた直後の彼にインタビューしたのですが『あなたが一番、尊敬する人は誰ですか』と聞いたら『周恩来です』と答えたのです。私はビックリしました。共産党の刑務所から出てきたばかりなのに、ですよ』


『やっぱり洗脳はすごいと思いましたし『共産党内に周恩来のように立派な指導者が出てくれば中国は良くなる。〈我々は汚職官僚を倒すため、立派な指導者のために戦っていたんだ〉と、当時の学生のトップリーダーまでが思っていたわけです。まさに〈共産党内の権力闘争に利用された〉ということに他なりません。さすがに王丹も洗脳が解けたようで今はそうは思っていないようですが』


『そう考えてみると、〔鄧小平〕が改革開放を行って経済が良くなり、しばらく激しい権力闘争はありませんでしたが、〔習近平〕の登場でまた雲行きが怪しくなっています。振り返れば〈毛沢東の文化大革命も学生や若者を煽って劉少奇を倒した権力闘争だった〉わけで、共産党の一党独裁体制である限りは今後、また形を変えた天安門事件が起き続けるのではないかと思います』」


■消された趙紫陽


・「〔楊〕:『私は中国の大学で助手だったころ、授業するよりも『民主化とは何か』ということを学生に対して熱弁していました。そうすると文化大革命時代の反右派闘争と『下放』を経験した老教授がやってきて『それは危ない。お前たちは共産党の本当の怖さを知らない』と言うのです』


『老教授が『一生を投げ捨てることになる。場合によっては殺されるぞ』と言うのを、『そんなことはあり得ない』と聞き流していたのですが…』」


・「〔石〕:『天安門事件当時、すでに私は北京にはいませんでしたが、私を含めた学生たちは最後の最後まで、〈人民の代表である共産党政権が機関銃や戦車で学生を武力鎮圧するなんてことは絶対にあり得ない〉と信じていたのです。その信頼が6月4日にすべて崩壊しました』


『それまで数十年間、毛沢東時代にひどいことがあったとしても、若者たち・知識人たちには共産党への揺るぎない信頼がありました。それがあの一夜にして崩れ去った』」


・「〔楊〕:『今の石平さんのお話からいきなり結論めいた話になってしまいますが、私はいつかまた天安門事件と似たようなことが起こり得ると思います』」・・・


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