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(ユーラシア史にみる令和の意義)

2019年05月29日
(ユーラシア史にみる令和の意義)


https://special.sankei.com/f/seiron/article/20190529/0001.html


・〔楊海英・静岡大学教授〕は、中華人民共和国内モンゴル自治区(南モンゴル)出身の文化人類学者であるからして、モンゴル人としての誇りが高い。記事の括りに「漢字を使用しただけで『中国文明の一部』だと断定するのは、飛躍である」とあるが、充分に理解出来る。


・古代日本人は「漢字」を「音(おん)の表現」に多用した。典型なのが『経文』ではなかろうか?
いずれにせよ日本の元号は皆『日本語』で発音されて来て、今回の『令和』でもreiwaと発音されるから、チャイナ文化では無い!


・産経スペシャル・[正論] から、記事を以下。


・「【[正論]ユーラシア史にみる令和の意義 文化人類学者、静岡大学教授・楊海英】産経スペシャル 2019.5.29」


・「国書から初めて採用した元号、『令和の時代』が幕を開けた。その元号は、日本の辿(たど)ってきた歴史がユーラシア史と、より一層連動が強まったことを意味している」


≪朝貢に元号を利用した中国≫


・漢字で以(もっ)て元号を示すやり方は、古代中国に前例がある。君主の在位年数を基準にして時間を数え、即位の年かその翌年を元年とするのが一般的であった。日本も中国から導入して独自に発展させたが、国家体制は根本的に異なる。中国は易姓革命即(すなわ)ち異なる姓を有する実力者が革命によって政権を獲得し、新しい王朝を建立する流れである」


・「都市国家を原型とし、力の強弱によって伸縮自在に拡張する中国は自らの元号を外国に対しても強制した。外国使節が持参する国書も中国の元号を用いなければ、朝貢を認めなかった。もっとも朝貢も決して服従を意味する行為ではなく、貿易や儀礼的な訪問が普通であった」


・「それでも、中国は一貫して朝貢を自国への隷属だと詭弁(きべん)して今日に至る。いわば一方的な空想によって国際関係を処理してきたのである。このような中国に対し、日本は終始、慎重に付き合ってきた。遣唐使が後に決して国書を持って行かなかったのは唐の元号で日付を記せば、『日出ずるところの国』も当の属国にされてしまう危険性があったからである(岡田英弘【世界史の誕生】)」


・「中国歴世の王朝制度を完全に革(あらた)めたのは、13世紀の『モンゴル人』である。1271年、〔チンギス・ハーン〕の孫〔フビライ・ハーン〕は長城以南の中国本土を征服し、国号を『元』とした」


・「建国の詔書では、『従前の王朝名で『秦』と『漢』は地名で、『隋』と『唐』は都市名に過ぎぬ。我(わ)が『元』は、『易経』内の乾元から採る』と宣言した」


・「この『元』は天を意味する。それは、中央ユーラシアの遊牧民の〔匈奴(きょうど)〕や〔突厥(とっけつ)〕が古くから『永久なる蒼天』(フフ・ムンフ・テンゲル)を最高神とし崇(あが)めるシャーマニズムの伝統に由来する信仰を中国の制度と結びつけた政策である。中国史の文脈で位置づけると、文字通り『天命が革まる』一大『革命』であった」


≪「拝天」思想と中国統治≫


・「国号を地名からではなく、拝天思想から採った政策は、従前の中国の制度を抜本的に『革命』して、ユーラシア世界に組み込んだことを意味していた。事実、元朝支配下の中国はモンゴル帝国の4分の1程度を占めたが、大帝国の一植民地行政府にすぎなかった」


・「今日、『中華人民共和国』はモンゴル人の元朝が支配した領域をそのまま継承して自国の領土だと主張して、〔内モンゴル自治区〕や〔新疆ウイグル自治区〕、それに〔チベット〕を『中国の古くからの国土』だと弁じるが、事実はむしろ逆である。『中国がモンゴル帝国の一部』だったのである」


・「モンゴル人は1368年に中国本土から撤退して草原に帰った後も、元という国号を放棄せずに1636年まで保持し続けた。かたや中国で成立した王朝は、その国号を『明』とした」


・「中国の明を征服し、ユーラシアの東部を再度併合したのが、『大清』である。この大清は明からではなく、大元王朝最後のハーンから『伝国の玉璽(ぎょくじ)』を受け継ぐ形で1636年に成立した。大清は『大いなる清(きよらか)』ではなく、満州語のダイチンの当て字で、大元同様、天を意味すると言われている」


・「満洲も、マンジュという言葉の当て字である。かくして、マンジュ人の大清帝国は再びユーラシアの拝天思想を中国統治に活用したのである」


≪独自の文化と国際性見える≫


・「大清は1912年に幕を閉じたが、モンゴル人はその前の1911年に独立を宣言していた。新たに擁立された独立国の元首は『オロンナイ・エルグークダサン』という元号を用いた。漢字では『共戴』と表現するこの元号は、人類最初の王、古代インドの王が用いていたものだ、とモンゴル人とチベット人は認識している」


・「大元にしても、大清にしても、そのハーン(皇帝)の元号にはモンゴル語ないしはマンジュ語による独自の表記があると同時に、漢字も併用した。例えば、〔康煕(こうき)帝〕の『康煕』はモンゴル語でエンヘ・アムーランである。要するに、モンゴル人やマンジュ人にとって、国語はまず彼らの母語で、国書もまずモンゴル語とマンジュ語によって書かれていた。ここに、元と清の国際性が認められよう。日本の令和もシナ語の発音ではなく、reiwaと発音しているので日本独自の文化である」


・「令和の典拠となった『万葉集』は、漢字の音を借用して用いられた文字、万葉仮名が使われている。漢字は日本語を表記するための符号となっている。同様の事例もまたモンゴル帝国期に見られた」


・「13世紀末に成書したとみられている『モンゴル秘史』も、漢字で以てモンゴル語を表記した書物である。中国人が明朝を建てた後も、漢字表音の『モンゴル秘史』を使って、体系的にモンゴル語を学んでいた。漢字を使用しただけで『中国文明の一部』だと断定するのは、飛躍である。(よう かいえい)」・・・

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