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(モンゴルの草原から、「チベット仏教の復活」の夢)

2019年04月17日
(モンゴルの草原から、「チベット仏教の復活」の夢)


https://special.sankei.com/f/seiron/article/20190417/0001.html


・中学生の頃だったか、「地球には『地中都市』が有り、ポタラ宮殿の地下から繋がっている」という本に熱中し、77歳になる今でも、時々「地中都市大冒険の夢」を観る。チベットは古代史では〔吐蕃(とばん)〕と言われ、山岳兵の強い国だったそうな。


・産経スペシャル・[正論] から、記事を以下。


・「【[正論]チベット仏教復活は夢ではない 文化人類学者、静岡大学教授・楊海英】産経スペシャル 2019.4.17」


・「今年はチベットの指導者、〔ダライ・ラマ法王〕が人民とともに蜂起し、中国に武力鎮圧されてから60周年に当たる。言い換えれば、法王がインドに亡命して60年の歳月が過ぎたことになる」


《インド・北東部アルナチャルプラデシュ州タワンを訪れたダライ・ラマ14世=2017年4月8日(岩田智雄撮影)》


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・「法王が1989年にノーベル平和賞を受賞して30周年。同じ時期に中国共産党は天安門広場で民主化を求める学生と市民を虐殺したので、北京にとっては不名誉な年でもあった」


≪大清帝国を支えた「屋台骨」≫


・「チベットは『世界の屋根』にある、独立国家だった。高原の住民は自国を『チュシ・ガンドゥク』、即(すなわ)ち『4つの河、6つの山脈』と呼ぶ。広大なチベットにさまざまな方言集団が分布するが、どのグループもチュシ・ガンドゥクという言葉を聞いただけで涙を流し、胸を躍らせて、深い愛情を覚える。その地を平和に統治してきたのが、ダライ・ラマである」


・「ダライとはモンゴル語で『大海原』を、ラマはチベット語で『師』を指す。1578年にモンゴルの〔アルタン・ハーン〕が時のゲルク派の高僧〔ソナム・ギャツォ〕と青海で会見し、授与した称号である」


・「ソナム・ギャツォは遡(さかのぼ)って同派の師匠らを1世と2世として追認し、自らを〔3代目〕と位置づけた。もっともこの時に3世ダライ・ラマはアルタン・ハーンに転輪聖王の称号を授けて、元朝の〔フビライ・ハーン〕とその〔国師サキャ・パクパ〕との檀家(だんか)・施主の関係を再度、実現させた。それほどチベットとモンゴルは深く結ばれていた」


・「満洲人が大清帝国を建立してからも、チベットに多大な敬意を払っていた。満洲人の歴世の支配者たちはモンゴルなど内陸アジアの遊牧民の前では『大ハーン』として、〔チベット政権〕に対しては敬虔(けいけん)な檀家として、中国人にとっては皇帝として施政し、中国史上稀(まれ)に見る長期政権を運営してきた」


・「清朝時代にダライ・ラマをはじめとする宗教指導者たちの精神的感化がすっかり定着し、漢人の信者も増えた。チベットから青海、甘粛、そして満洲平野を通ってシベリア南部に至るまで広大な『チベット仏教世界』が形成された。この平穏な『チベット仏教世界』の安定こそが、大清帝国の長期政権を支える『屋台骨』であった」


≪民族を殲滅した中国の侵略≫


・「様子が一変したのは、〔中華人民共和国〕の成立後だ。1950年10月、〔毛沢東〕の指令を受けた『人民解放軍』が東チベットを占領、翌年には首都ラサに進駐し、中国への帰属と『平和的民主改革』を強制した」


・「中国がいう『平和的な民主改革』とは、遊牧民を『搾取階級の地主』として認定し、その放牧地を『土地』として略奪して外来の漢民族に分け与え、寺院を破壊して僧侶を還俗させることだった」


・「当然、チベット人は反発し抵抗した。59年3月17日、14世ダライ・ラマはついに首都から脱出し、3月30日にインドに亡命した。以来、法王は二度と祖国の土を踏むことはなかった」


・「法王を追放しようとして、中国はチベット各地で『大規模なジェノサイド(虐殺)』を進めた。政府のデータによると、『殲滅(せんめつ)した反乱分子は34万7千人』に達する。そのうち、甘粛省のチベット人は実に3分の1に当たる8万人が『消滅』した。このような殺戮(さつりく)を〔周恩来〕は『チベット人をヨーロッパの中世よりも暗黒な農奴制度から解放した』と宣言していたのに対し、もう一人のチベット人指導者の〔パンチェン・ラマ〕は『七万言の書』を書き上げて反論した。『政府は仏教の経典を破り捨てて馬に食わせ、仏塔と寺院を破壊した』と例示していた」


・「パンチェン・ラマはダライ・ラマと異なって中国との共存を図ろうとしたが、文化大革命中に人糞(じんぷん)を食べさせられるなどの凌辱(りょうじょく)を受け、1989年1月急死した」


≪モンゴルからダライ・ラマを≫


・「『宗教はアヘンだ』と見なす中国政府はチベット仏教の自然消滅を促そうとして、パンチェン・ラマの転生を見つけようとしなかった。そこでダライ・ラマ法王がインドから次世パンチェン・ラマを認定すると、北京当局は慌てて独自の転生を擁立したが、こちらは『傀儡(かいらい)』と見なされ、チベット人に全く人気がない。そして、法王が認定したパンチェン・ラマはそれ以来、行方不明のままである」


。「高齢に達したダライ・ラマ法王との対話を頑(かたく)なに拒む〔習近平当局〕は恐らく、極秘に『次世ダライ・ラマ』、それも『中国を祖国として熱愛する傀儡』の選定作業を進めているだろう。一方、法王自身も宗教改革の必要性を訴え、次世の転生を認めないのも選択肢に入ると語る。またチベット人に人気がなければダライ・ラマは意味がないとも述べている。モンゴルはどうだろう」


・「法王がウランバートルを訪問する度に、次はモンゴル草原から生まれ変わるのではないか、との推測と希望が現れる。事実、4世ダライ・ラマはアルタン・ハーンのひ孫で、名門チンギス・ハーン家から誕生している。独立国のモンゴルが中国の顔色を気にせずに法王を支援すれば、新しい『チベット仏教世界』の構築も夢ではなく、真の平和も訪れるだろう。(よう かいえい)」・・・


《チベット・ポタラ宮殿》


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