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秀吉:後世の人間まで騙し続けた不徳の男

2018年11月28日
(秀吉:後世の人間まで騙し続けた不徳の男)


http://ironna.jp/theme/529


・凡庸な織田信長の子らにあって、三男信孝は気性の激しさも風貌も、父・信長に似ていたと言う。野間大坊に残るという辞世の句:「昔より主を討つ身(内海)の野間なれば むくいをまてや羽柴筑前」 にその無念さが現れている。


・源氏の黎明期、源義朝(頼朝や義経の父)が入浴中に家臣・長田某に闇討ちされ。『せめて木太刀の1本も有れば』の遺言により、未だに木太刀が奉納されている。


・iRONNNA発から、井沢元彦(作家) 氏の記事を以下。


・「【後世の人間まで騙し続けた不徳の男、〔豊臣秀吉〕の『大魔術』】iRONNNA・井沢元彦(作家)2018/11/27」


・国民作家、〔司馬遼太郎〕は〔豊臣秀吉〕のことを『史上、類を絶した大悪党』と呼んでいる。〔徳川家康〕を主人公とした小説【覇王の家】においてである。


・同じ作者の【新史太閤記】や【関ヶ原】を読んだ読者にとっては意外かもしれない。私に言わせれば、関西人である司馬遼太郎はどちらかといえば豊臣びいきであり、関西人特有の『家康嫌い』についてもかなり賛成のように見受けられるからだ」 


・「確かに家康は秀吉と固い約束を交わしたにもかかわらず、その死後あっという間に天下を乗っ取った。しかも秀吉の子孫を根絶やしにした。ここだけ見れば家康の方が大悪党である」


・「しかしながら秀吉という男も実は褒められたものではない。〔織田信長〕の天下を、信長が死んだ途端乗っ取ったからだ。しかもその過程で信長の息子の3男〔信孝〕を切腹に追い込み、その母と娘つまり本能寺の変以前は秀吉にとって『お方様』であり『姫』だった女性を自らの手で処刑している。まさに大悪党なのである」


・「家康にしてみれば『秀吉よ、お前が織田家に対してやったことを、オレはやったに過ぎない』と弁明したいところだろう。しかし、秀吉には家康にない優れた能力がある。これも司馬遼太郎が小説【覇王の家】で述べている言葉を使えば『大魔術』の使い手であった」


・「これを読んでいるあなたは中年以上か、それとも若者だろうか? 中年以上の人ならば秀吉は『大悪党』などとは夢にも思っていない。むしろ子孫が滅ぼされた気の毒な人というイメージすら持っていないだろうか?」


・「その点はその通りなのだが、一方で秀吉の『織田一族に対する仕打ち』というのは、まさに大悪党の仕業と言っていいのが歴史上の事実である。秀吉にとって信長は卑賤の身からとりたててくれた『大恩人』である」


・「『足を向けて寝られない」』ほどの存在だ。にもかかわらず本能寺の変が終わって、わずか数年の間に3男〔信孝〕は切腹に追い込み2男〔信雄〕はいったん追放した。主君の直系の孫である〔秀信〕(三法師、長男信忠の子)には美濃一国は与えたが、天下は返さなかった。まさに『忘恩の徒』である」


・「しかし後世の人間は秀吉を悪く言わなかった。同じことをした家康は散々悪口を叩かれたのに、極めて不思議な話では無いか。ここが『大魔術』なのである。最近は新しい傾向として、秀吉のこうした点に注目して、秀吉を腹黒い悪人に書いた小説もある」


・「私が書いた【逆説の日本史】(小学館刊)では秀吉の悪をきちんと追及しているので、こういうことが影響を与えたのかもしれない。つまり若者の中にはあまり秀吉の『大魔術』に騙されていない人もいるということだ」


・「だが、そうはいってもやはり『秀吉はいい人』というイメージを抱いている人は少なくない。秀吉の『大魔術』、つまり後世に対する情報操作はそれほど卓越しているのである」


・「しかし、やはり真実は隠せない。最近、秀吉が『忘恩の徒』であることを証明する史料が発見された。秀吉の腹心で天下取りに大きく貢献した大名〔脇坂安治〕(初代龍野藩藩主)に、天下取りまっただ中の秀吉が細かく指示を出した手紙がまとまって発見されたのである。脇坂家の領地にあった龍野神社(兵庫県たつの市)の旧蔵文書からである」


・「その内容を簡単にまとめると、まず『アメとムチ』が目立つ。安治の仕事ぶりを責め、こんなことでは担当者を代えなければならないなどと脅すのである。そのうえで本人の適性を見極め能力を最大限に発揮させる」


・「この史料の整理に当たった東京大学史料編纂所の〔村井裕樹助教〕は『天下人でありながら、しつこいぐらい細かい性格』(2016年1月21日神戸新聞電子版、以下引用は同記事)と述べている」


・「そして極めつきは1585年(天正13)秀吉から安治に宛てた手紙であろう。『秀吉の御意に違う侯輩(ともがら)、信長の時の如く少々拘(かか)え候へとも苦しからずと空だのみし許容においてはかたがた曲事(くせごと)たるべく候(秀吉の意思に背く者ども、信長の時代のようにかくまっても許されると思い込んでいると処分する)』というのである」


・「信長の死後をわずか3年しか経っていない。この時点で秀吉は大恩人信長を呼び捨てにしているのである。まだ関白になったわけでもないのに、いかに親しい間柄宛ての手紙とはいえ、呼び捨てはないだろう」


・「つまりこれが秀吉という男の本当の姿なのである。しかも秀吉自身が『信長の時代のように甘くはないぞ』というからには、多くの人が抱いている『信長は残酷だが秀吉は優しい』というイメージも実は『大魔術』に乗せられたものだとわかる」


・「これから先は推理だが、なぜこんなにたくさんの『秀吉の意思に背く者ども』が出たのだろうか?それは秀吉の織田家に対する仕打ちはあまりにも酷いと思っていた人間が大勢いたということではないか」


・「その筆頭であった〔柴田勝家〕は賤ヶ岳の合戦で敗北し死んだが、裏切りによって戦いを勝利に導いた〔前田利家〕はちゃっかりと生き残り秀吉政権下では重く用いられた」


・「だが秀吉が死に利家も後を追うようにこの世を去ると、前田家は直ちに家康に人質を出してその傘下に入ることを表明し、〔石田三成〕の『家康討つべし』の呼びかけにも応じなかった。そして、一時はその呼びかけに応じ関ヶ原に西軍として出陣した大名のうち、まさに賤ヶ岳の合戦における前田利家のように、最初から西軍を裏切り家康に味方することを決めていた武将がいる。脇坂安治である」


。「要するに関ヶ原の敗戦、そして豊臣家の滅亡は秀吉の『不徳のいたすところ』であるというのが私の考えである」・・・


《大阪城二の丸の〔豊國神社に建つ豊臣秀吉公銅像〕=平成22年12月18日、大阪市中央区(竹川禎一郎撮影)》


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