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いつかある日 山で死んだら

2018年05月23日
(いつかある日 山で死んだら)


https://news.google.com/articles/CBMiIWh0dHA6Ly9idW5zaHVuLmpwL2FydGljbGVzLy0vNzQ3NNIBAA?hl=ja&gl=JP&ceid=JP%3Aja


・記事編集中、ずっと「高校2年の剣道部部室で、1年の〔林クン〕の指導で、ウクレレ片手に唄った懐かしい【いつかある日】が頭の中を流れていた。少し記憶が曖昧になっていたが、ネットの【二木鉱三】氏の『うた物語』がフォローしてくださった。


・(原詩:Roger Duplat、日本語詞:深田久弥、作曲:西前四郎)


1 いつかある日 山で死んだら
  古い山の友よ 伝えてくれ

2 母親には 安らかだったと
  男らしく死んだと 父親には

3 伝えてくれ いとしい妻に
  俺が帰らなくても 生きて行けと

4 息子達に 俺の踏みあとが
  故郷(ふるさと)の岩山に 残っていると

5 友よ山に 小さなケルンを
  積んで墓にしてくれ ピッケル立てて

6 俺のケルン 美しいフェイスに
  朝の陽が輝く 広いテラス

7 友に贈る 俺のハンマー
  ピトンの歌声を 聞かせてくれ


・登山家・〔栗城史多(くりき のぶかず)さん〕が亡くなった。この記事は『栗城史多さんとは何者だったのか』で書かれている。


・登山家には「無理は禁物」が金言であることは私でも知っているが、彼は「その無理を押して、有名人を目指す冒険の勝負に出て、そして敗れた」のではないか?と私は思う。いずれにせよ、彼はたった35歳で逝った。安らかに眠って欲しい。


・GOOGLEニュースから、森山憲一氏(登山誌編集者・フリーライター)の記事を以下。


・「【“賛否両論の登山家”『栗城史多さんとは何者だったのか』 エベレストで死亡した登山家の実像】森山憲一(登山誌編集者・フリーライター) 2018/05/23」


・「登山家の〔栗城史多〕さんがエベレストで亡くなった。これを書いている5月22日現在では、死因などについての詳しい情報が入ってきていないので、事故についてはなにもわからない。現時点で言えることは、栗城さんが亡くなったことは間違いないようだということだけ。事故の詳しい状況は、おいおい明らかになっていくと思うので、その時点で、なんらかの論評はできるのだろう」


・「栗城さんというのは、『なにかと物議を醸してきた登山家』だ。世界7大陸最高峰の無酸素単独登頂をめざして活動し、注目され始めたのは、2009年ごろ。6大陸の最高峰に登り、残るエベレストに挑戦を始めたころだ」


・「このころから、彼を取り上げたテレビ番組が数多く放送され、著書はベストセラーになり、現役の登山家としては圧倒的な知名度を獲得していった。一方で、その『登山の内容や発言には疑わしいものが目立つ』として、激しいバッシングも受けていた。これほど評価の振れ幅が大きい登山家は、栗城さん以外にはちょっと記憶にない」


・「★絶賛から否定まで、さまざまな評価・・・・ 評価は、『絶賛から罵倒』まで、本当にさまざまで、大ざっぱにいえば、『一般社会からはおおむね好意的評価』を受け、『登山を知る人からは逆に否定的』に見られていたことが多かったように思う。私は登山雑誌編集者およびライターであるが、肯定・否定いずれからも距離を置き、離れたところから静観してきた立場だ」


・「なぜ静観してきたのかというと、『わからなかったから』である。栗城史多という登山家を、栗城史多という人物を、自分のなかでどう位置づけてよいのか、ずっとわからなかった。栗城さん本人を知る人に聞いても、評価はまさに真っぷたつ」


・「世間的な評価だけでなく、一次証言としての評価もこれほどブレの大きい人は滅多におらず、ただただ、『よくわからない不思議な人』というイメージしか持てなかった」


・「であるが、昨年、私は、自分のブログで、栗城さんに批判的な論調の文章を公開した(森山編集所『栗城史多という不思議』『栗城史多という不思議2』)。栗城さんは、昨年のこの時期にも、エベレストに挑戦しており、フェイスブックなどで随時報告されるその登山のようすを見て、『いくらなんでも、あまりにもむちゃくちゃだ』と、自分の明確な感想として初めて感じたからである」


・「なにがむちゃくちゃだったのか。ひとつは、『登山∞として。もうひとつは、栗城さんの掲げる『冒険の共有』として」


・「まず、登山として。栗城さんは昨年、『北壁』というルートからエベレストに登頂しようとしていた。エベレストは現在、多くの人が登る大衆登山の場となったが、それはノーマルルートと呼ばれる、もっとも簡単な登路から登り、さらに、熟練のプロガイドがついてこその話」


・「近年、最高齢登頂で話題になった〔三浦雄一郎さん〕や、日本人最年少登頂者となった〔南谷真鈴さん〕も、みなこの手法で登頂している。一方で栗城さんは、はるかに難しい北壁を登路に選び、ノーマルルートから登るほとんどの登山者が利用する酸素ボンベも使わず、しかもたったひとりで登るという」


・「同じエベレストといえど、この両者は難易度において、『雲泥』という言葉では足りないほどの差がある。プロガイドと酸素ボンベ付きのノーマルルートが、普通の大学生でも達成可能な課題である一方、北壁の無酸素単独登頂は、世界中の強力登山家が腕を競ってきた長いエベレスト登山の歴史のなかで、まだだれも成し遂げていないのだ」


・『そんな困難な課題だからこそ挑戦のしがいがあるのだ』という意見もあるかと思う。登山はもともと、未知未踏を切り拓くものであって、冒険を否定しては成り立たないものだ。私自身がそんな冒険の魅力に惹かれて登山を始めた人間であるから、人の挑戦は否定したくない」


・「だが、そんな私から見ても、栗城さんの実力と、掲げる目標の乖離は、度を超しすぎていると感じた。栗城さんの登山の実力は、やってきたことを客観的に見れば、多くのノーマルルート登山者と同程度と思われる。その実力で、北壁を無酸素単独で登ろうとするのは、どう考えても自殺行為だ。『登山としてむちゃくちゃだ』と感じたのは、こういうことなのである。ここはとても重要なところなので、本当に理解していただきたいと思う」


・「★栗城さんの価値は『冒険の共有』にこそあった・・・・ もうひとつは『冒険の共有』として。栗城さんは、たんに山頂に立つだけでなく、その過程を中継などで見せることによって、見ている側にも冒険を追体験してもらうことに重きをおいていた」


・「このことについて、『登山のショー化』などとして批判する人も多かったが、私個人はここに否定的感情は持っていない。むしろ、これまでの登山家ができなかったことを実現していると肯定的にとらえていたくらいだ」


「実際、エベレスト挑戦初期(2009年~2012年)は、この試みは成功していたと思う。いわゆる登山記録としては、栗城さんの成し遂げてきたことは特に意味のあるものではないが、栗城史多という登山家に価値があるとすれば、ここにこそあったと思うのだ」


・「★誰かが『暴走』を止めなければいけなかった・・・・ ところが、2015年ごろから、この部分も中途半端になってきて、昨年2017年にいたっては、お粗末にすぎた。公開される映像はもともとわずかなうえに、本格的な登山活動に入ってからのものはほとんどなし」


・「GPS発信器を携帯して、現在地をネット上でリアルタイムに表示するということも行なっていたが、発信が切れ切れのため、ときたま思い出したように表示されるだけで、ほとんど追体験ができない。フェイスブックなどでの情報発信も途切れ途切れで、ついにはそれもぱったり途絶え、どこでなにをしているのかがわからなくなった」


・「発信が再開されたら、なんと北壁があるチベット側から、ネパール側に移動してきていて、西稜にルートを変えるという。聞いたことのないような行き当たりばったり。そして西稜への再トライも、ごく低い標高で中止となって終わった」


・「つまり、登山としても、冒険共有事業としても、やっていることがあまりにも支離滅裂で、アンコントロール状態にしか見えなかったのだ。登山に限らず、アンコントロールというのはもっとも危険な状態だ。どんなに難しく思える挑戦でも、本人が情熱と確信をもって取り組んでいるかぎり、他人がそれを止める権利はないし、情熱と確信があるかぎり、望みはゼロではない。しかしアンコントロールは違う。暴走をだれかが止めなければいけない」


・「登山雑誌はそれまで、栗城さんについてはほぼ黙殺状態だった。そのことについて、当事者として引っかかりをずっと覚えていた私は、それを解消するためにもブログを書いた。家族や近しい人をのぞけば、暴走を止めるべき筆頭候補は登山界なのだろうし」


・「すると、ブログを読んだ栗城さん本人から連絡があった。『森山さんは僕のことを誤解しています』と。栗城さんは、10年くらい前に一度会ったことがあるのだが、私は何を話したのか記憶がなく、栗城さんは私に会ったことを忘れていた。おたがいほとんど知らない間柄なので、それは誤解もあるかもしれない。ならば、詳しい話を聞かせてほしいと思い、栗城さんに会いに行った」


・「★実際に会った栗城さん本人は…… 実際に会う栗城さん本人は、にこやかで腰が低く、批判をしたライターに対しても、普通に接してくれた。だが、話に聞いていたほどのストレートな明るさはなく、どこか陰のある感じが気になった。そして、話は最初から最後まで噛み合うことはなかった」


・「『北壁は難しすぎる』という私の指摘について、栗城さんは『僕は登れると思っている』と答える。その根拠を聞くと、自分は血中酸素飽和度が人より高いという、あまり本質的でない理由を繰り返すだけだった。会話は終始そんな調子で、私は栗城さんに抱いていた謎が解けることはなく、栗城さんは栗城さんで、私の言うことに理解を示してくれるようなこともなく、おたがい収穫はなしに終わった」


・「そんなかかわりを持ったこともあり、その後もときおり、栗城さんのフェイスブックをチェックしていた。栗城さんの活動から受けるアンコントロールな印象は、今年2018年のトライでも変わらず、それどころかさらにエスカレートしていた」


・「情報発信は昨年以上に少なく、その一方で、目標ルートは、北壁より難しいとされる、エベレスト最難関の『南西壁』にまでグレードアップしていた。南西壁という言葉が出てきたときは、いよいよ混迷は極まったと感じた」


・「★どこで歯車が狂ってしまったのだろうか・・・・ 昔の栗城さんは、こんなことはなかった。登山ルートも、ここ数年ほど、でたらめに困難なところを選ぶことはなく、冒険の共有についても、意欲的に、主体的に行なっているように見えた」


・「テレビで放映される派手なパフォーマンスには、好き嫌いはあっただろうが、だれかの心を揺さぶるものは確実にあったはずだ。私は心は揺さぶられなかったクチだが、その行為に一定の価値は認めていたし、なにより、意欲をもってやっている以上、部外者が口を差し挟むことではないと思っていた」


・「あるときから、栗城さんのなかで、『どこか歯車が狂ってきていた』のだと思う。最悪の結果になり、とにかく残念――という言葉もしっくりこない。残念というのは、近しい人であったりファンであったり、なんらかの思いを寄せていた人に使うべき言葉であって、2回しか会ったことがない人に対して、軽々しく口にするのは、かえって不誠実な気がする。現段階では、なんともいえず、虚しい、空虚な感情しか抱けない結果である」・・・


《35歳で亡くなった〔栗城史多さん〕》


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