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友との『別れ』は辛い!

2018年05月15日
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http://www.sankei.com/entertainments/news/180515/ent1805150001-n1.html


・他の記事では、「1963年、パクさんが27歳、僕が22歳のときに初めて出会いました。初めて言葉を交わした日のことを今でもよく覚えています」と、『雨上がりのバス停』での天才2人の出会いを伝えている。この『雨上がりのバス停』ってのが、クッキリとそのまま「アニメの世界」に繋がっているようで素敵だ。


・私のように76歳にもなると、別れも多くなる。60歳で逝ってしまわれた5歳上の恩人、65歳で要ってしまわれた、これまた5歳上の畏友は別として、2008年初頭から始まる私の『がん戦争』(1月に検査入院。3月に〔再発肝臓がんと近接部位の胆嚢・胆管 開腹切除手術〕〔5月に分化型胃がんの内視鏡による剥離手術〕)の壮行会が2007年01月(箱根)、10月(名古屋・大須)で在った。


・箱根に駆けつけてくれた後輩10人の内、その年の12月05日に〔迎 明〕クン、2015年01月27日に〔鈴木茂光〕クン、2016年11月19日に〔徳永一廣〕クンを喪っている。


・大阪からも名古屋・大須に駆けつけてくれた10人の内、2010年02月21日に〔立石和弘〕クンを喪った。若くて60歳、最年長でも70歳である。そのうちに「余命幾許(いくばく)も無い筈だった〔織伊氏〕だけは長生きしている。〔あ奴〕は後輩の命を食って長生きしているのではないか?」という悪評が立つのが怖い。


・だからこの、「95歳までは生きるだろう」と信じていたという「畏友を亡くした宮崎駿監督の悲しみと落胆」は、大いに分かる。頑張って〔高畑勲さん〕の分まで長生きして欲しいものだ。宮崎駿監督、頑張れ!


・産経ニュースから、記事を以下。


・「【アニメ監督、高畑勲さんお別れの会 宮崎駿監督『僕らは精いっぱい生きた。ありがとう』】産経ニュース 2018.5.15 13:27更新」


・「【火垂るの墓】(昭和63年)などで知られるアニメーション監督で、4月5日に82歳で死去した〔高畑勲さん〕のお別れの会が15日、東京都三鷹市の『三鷹の森ジブリ美術館』で営まれた」


・「ともにアニメスタジオ『スタジオジブリ』を率いた〔宮崎駿監督〕(77)や作曲家の〔久石譲さん〕、親交のあった〔山田洋次監督〕ら多数の関係者が参列した」


・「高畑さんが生前好きだったジブリ美術館内に設けられた会場は、宮崎監督の『野に咲く花たちで囲みたい』という思いで、色とりどりの草花で飾られた」


・「『お別れの会委員長』を務めた宮崎監督は、『パクさん(高畑さんの愛称)の教養は圧倒的で、僕は得がたい人に巡り合えたのだとうれしかった。パクさん、僕らは精いっぱいあのとき生きたんだ。ありがとう』と声を詰まらせ、涙をぬぐいながら語り掛けた」


・「高畑さんは1970年代、テレビアニメ【ルプスの少女ハイジ】【母をたずねて三千里】
などの名作を手がけた」


・昭和60年に宮崎監督とスタジオジブリを設立後は、二人三脚で次々とヒット作を生んだ。遺作【かぐや姫の物語】(平成25年)は、国内外で高い評価を得ている」・・・


《高畑勲さんの「お別れの会」で、あいさつする宮崎駿監督=15日、東京都三鷹市の三鷹の森ジブリ美術館》


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《故・高畑勲元アニメ監督》


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