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日本国はいつ誕生したのか

2018年03月24日
(日本国はいつ誕生したのか)


http://www.sankei.com/west/news/180324/wst1803240002-n1.html


・私はマケドニアの〔アレクサンドロス大王〕の『東征記』に酷似した〔神武天皇〕の『神話』が好きで、時々〔神武天皇〕の即位から数えた『紀元』を用いたりする。ナニ、西暦に「660年」を加えるだけで、例えば本年は、(1)西暦2018年、(2)平成30年、(3)紀元2678年 である。


・ま、紀元は『神話時代』の天皇から始まっているので「趣味の世界」だが、「本年は昭和93年とする『昭和カウント』は覚えやすい。父が明治28年生、母が明治40年生だったので、両親とも『明治カウント』をやっていた影響だが、「私の頭の中の流行歌の生年は、大抵昭和だから『これは今から55年前の歌。私は38歳で鎌倉に居た!」とか、周囲を驚かすには便利だ。


・この記事は、「大和朝廷」以前に「卑弥呼が統治する邪馬台国」が有ったというもので面白い。私は『古事記』に書かれた神話の〔アマテラス〕のモデルは、この〔卑弥呼〕ではないかと密かに想っているが。


・産経WEST・[今週の注目記事] から、記事を以下。


・「【古代史の“七五三論争” 日本国はいつ誕生したか、天皇制につながる卑弥呼の統治】産経WEST・[今週の注目記事] 2018.3.24 12:00更新」


・「日本という国はいつ誕生したのか-。このテーマの議論は、研究者の間では『七五三論争』と呼ばれている。邪馬台国(やまたいこく)の女王、卑弥呼(ひみこ)が統治した『3世紀』か、仁徳天皇ら倭の五王による巨大前方後円墳が築かれた『5世紀』、そして天皇制が確立したとされる飛鳥時代の『7世紀』かで議論が分かれているからだ」


・「国内初の本格的な都、『藤原宮』(奈良県橿原市)や大宝律令という法律が整備された7世紀こそ『日本国成立』ともいわれるが、邪馬台国の時代にはすでに女王が国を治め、中国王朝と外交関係を築き、国家といえる形が整っていた。(小畑三秋)」


・「★『女王の都するところ』・・・・ 『飛鳥時代が国家の始まりともいわれるが、決してそうではない。日本国がいきなりできたのではなく、卑弥呼の時代には原型ができていた』と指摘するのが、『纒向(まきむく)学研究センター』の〔寺沢薫所長〕だ」


・「寺沢さんは邪馬台国の有力候補とされる纒向遺跡(奈良県桜井市)を調査し、弥生時代から古墳時代への変遷など、国家形成について研究している。 同遺跡には、卑弥呼の墓説が根強い『箸墓(はしはか)古墳』(墳丘長280メートル)をはじめ、国内最古級の前方後円墳が集中し、邪馬台国論争の舞台だ」


・「遺跡中心部のJR桜井線・巻向(まきむく)駅近くで平成21年、東西に一列に並んだ3世紀前半の国内最大級の大型建物跡(南北19メートル、東西12メートル)など4棟が見つかった」


・「卑弥呼が中国に使者を送ったと中国の歴史書『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に記された239年とほぼ重なり、『邪馬台国中枢部』の可能性が一気に高まった」


・「★『邪馬台国、女王の都するところなり』・・・・ 魏志倭人伝は、卑弥呼のいた場所についてこう記している。 『卑弥呼は邪馬台国の女王とよく言われるが、そうではない。邪馬台国を含む倭国全体の女王。居住していたのが邪馬台国』と寺沢さん」


・「そのうえで、『纒向遺跡は邪馬台国の中心であり、卑弥呼は発掘された大型建物で政(まつりごと)を行い、倭国の首都だった』と指摘する」


・「纒向遺跡では、約2700個もの桃の種、香辛料に使われるバジル、ベニバナの花粉も出土。ベニバナは古代エジプトではミイラを巻いた布、中国でも染料として使われた。桃は、仙人が暮らす中国の理想の地『桃源郷』を連想させる。 バラエティーに富む発掘成果は、中国との外交を通じてシルクロード文化を積極的に取り入れていたことを物語る」


・「★外交に長けた女王・・・・ 『汝(なんじ)をもって親魏倭王となし、金印紫綬(しじゅ)を与える』。魏志倭人伝は、239年に卑弥呼が中国・魏に使者を送り、魏の皇帝が卑弥呼を親魏倭王に任命し金印を授けたと記す」


・「今から1800年近く前、決して対等ではなかったが、日本と中国で外交関係が築かれていたことがうかがえる」


・「卑弥呼は、倭国の統治に中国の威光を頼ろうとした。当時は三国志で知られる魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)がしのぎを削り、魏の王・曹操(そうそう)や蜀の劉備玄徳(りゅうびげんとく)ら英雄が覇を競った。卑弥呼が外交相手に選んだのは、中でも優位にあった魏だった」


・「『卑弥呼の政権は、東アジア情勢を敏感に察知しながら中国と外交を展開した』と寺沢さんは話す」


・「★男子の王で戦乱・・・・ 倭人伝は、卑弥呼誕生の経緯についても詳しく述べている。『もともと男子を王にしていたが、戦乱が起きたため1人の女性を王に立てた。その名は卑弥呼という』と記載」


・「寺沢さんは、卑弥呼が各地の王の上にたって統治していたとし、『こうした統治体制は、5世紀の倭の五王の時代と変わらない。これが、のちの天皇制へとつながっていった』と説く」


・「そして飛鳥時代、中国から長年『倭国』と呼ばれていたのを、自ら『日本』と名乗るようになった。太陽が昇る『日出する国』『日の本(ひのもと)の国』として、中国をはじめとした東アジアの国家の一員であることを宣言したのだった」・・・     


◇古代国家の形成について、寺沢さんは『弥生時代政治史研究』シリーズ(全4巻)として、『弥生時代国家形成史論』(吉川弘文館、3万7800円)を発刊。シリーズとして完結した。寺沢さんは『8年がかりだったが、これが私の研究生活の集大成と思って書いた』と話した。(3月16日掲載)

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コメント

卑弥呼についても色々書きましたが(織伊さんからお叱りも受けました)、卑弥呼以前に神武東征の年代を考え、辛酉の年の即位はいつだったかを考える必要があるでしょう:
https://blogs.yahoo.co.jp/higashidake/52843471.html
https://blogs.yahoo.co.jp/higashidake/66208247.html

憲坊法師さま、

コメント、有難うございました。箸墓古墳について貴ブログで学ばせて戴いた
小生が、そんな偉そうな口を叩きましたか?謹んでお詫び申し上げます。

今日本の古代史は、文字を持った弥生時代前の、20000年にも亘るだろう
縄文時代の話題で持ちきりです。それがホントなら、有史以来の日本の歴史は
チョロイものです。

私は何のご縁か、第27代〔安閑天皇〕を祀る【大宮】を氏神様とする地域に
住んでおります。66歳で即位し、70歳で崩御された天皇ですが、(1)全国に
屯倉(みやけ)を広めたことと、(2)何といっても老人にとって〔安閑〕の
号に惹かれます。「安らけく」「長閑に」暮らしたい・・・夢には程遠い毎日
ですが、理想として追い求めます。

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