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平昌五輪を通してのコリアン考察論・2

2018年02月25日
(平昌五輪を通してのコリアン考察論・2)


http://www.sankei.com/world/news/180225/wor1802250013-n1.html


・産経記者と論説委員の2人が、平昌五輪を通して『コリアン考察』をしている。面白い。これは『その2』である。


・「【愛国主義という興奮の低下にある種の“成熟”】産経ニュース・[黒田勝弘のから(韓)くに便り] 2018.2.25 11:30更新」


・「平昌五輪が25日、閉幕する。韓国にとってこの種の大規模国際スポーツ大会は1988年のソウル五輪、2002年のサッカー・ワールドカップ(W杯)に次ぐ」


・「韓国では国際大会出場の選手たちは『国家代表』といわれる。社会的に日ごろ強い韓国の愛国主義が、国際スポーツ大会となると目立つのだが、今回はどうだったか。 筆者は88年のソウル五輪も02年のW杯も経験しているが、今回はその愛国主義がどこか後退した感じがした」


・「ソウル五輪の時、筆者は『韓国の思い入れが強く韓国のための五輪のようで気が重かった』という外国人記者の声や、日本や米国に対する韓国の観衆やメディアの“敵意”を紹介している(拙著『“板門店の壁”は崩れるか』収録の「韓国人の攘夷と開国」から)」


・「またW杯では、ソウル都心を埋めた街頭応援の数十万群衆がサポーターの真っ赤なシャツを着て絶叫する『デーハンミングック!』の大歓声と、準決勝進出の快挙でもたらされた『国家、民族、歴史に対する自己称賛の嵐』が印象的だった(同『ソウルが平壌になる!』収録の「ワールドカップ民族主義」から)」


・「そんな過去の風景からすると今回は穏やかだった。愛国主義という興奮と熱狂度が下がった背景には冬季五輪という地味さ(?)や季節もあるが、それより韓国人あるいは韓国社会のある種の“成熟”が出ているように思う」


・「やはり30年前にソウル五輪を経験した朝鮮日報の主筆は今回、『30年前のわれわれの姿が昔のようだ。韓国人の観衆は世界中からきた人たちと自然に交じり合い、彼らを好奇心に満ちた目でジロジロ見ることもない』などとして似たような感想を書いている(21日付のコラム)」


・「ある大学教授は、若い選手や観衆の新しい流れとして『国家主義の退潮と個人主義の発散がみられる』と指摘している(中央日報23日付のコラム)」


・「いつも話題の日韓戦でも競争意識はあっても敵意は感じられなかった。女子アイスホッケーでは負けたが女子カーリングでは勝ち、スピードスケートの女子500メートルでは金銀を分け合う風景に、それなりに納得なのだ。〔小平奈緒〕と〔李相花〕のたたえあう姿などは、韓国が負けたにもかかわらず“美談”としてもてはやされた」


・「韓国人たちの成熟は、タダ乗りで“闖(ちん)入(にゅう)”してきた北朝鮮に対しても見られた。例の美女応援団や芸術団には現場をふくめ人々は意外に冷めていた。以前は物珍しかったが、今回はもう食傷気味で、かつ『田舎くさい』といい、さしたる興奮も熱狂もしなかった」


・「ところで応援団が叫んでいた『ウリヌン、ハナ(われわれは一つ)』のスローガンには、実は『米国は出ていけ』という政治的メッセージが込められている。これは見方によっては五輪憲章違反なのだ。そこを誰も問題にしなかったのは成熟の副作用(?)かもしれない」


・「ただ韓国人たちは今回、若者世代を中心に、逆にあんな全体主義イメージの北と『一つ』にはなりたくないと思ったはずだ、というのが街で聞く大方の声である。(ソウル駐在客員論説委員)」・・・

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