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今日は私の『師匠』が旅立った日

2018年01月11日
(今日は私の『師匠』が旅立った日)


・楽しかった抱腹絶倒のエピソードはいくらでも有る。しっかしま、2005年から〔大阪風来坊〕になった私はそれまで以上に、東京でビジネスのシーズを探してくれている師匠=〔垣雄三〕さんとの絆を太くしていた。連日頻繁にメール連絡は欠かさなかった。


・その〔垣雄三〕さんが、2006年の今日、忽然と逝ってしまったのだ。私の茫然自失の姿を生々しく、私の『3がん4バトル』の闘病本=181・182・183Pから偲びたい。師匠が旅立たれてから、もう12年にもなるのだ。破線内に、以下に。


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・無我夢中の二〇〇五年が暮れ、心機一転の二〇〇六年が明けたばかりの一月十一日、O社の〔千先輩〕が、私の師匠・垣さんの頓死を知らせてくれた! 享年六十五歳だった。


・垣さんは、情報処理機器の営業マン時代から、私の師匠であり続けたと同時に、今はビジネスのシーズ(種子)が集中する東京からの貴重なニュースソースでもあり、私の大切なビジネスパートナーであった。そして何よりこれから大阪で、独りで生きて行く私の心の支えでもあったのだ。


・垣さんは、先年脳梗塞を患ったが、奇跡的に体に麻痺が残らず復活していた。しかし見た目は元気そうではあったが、頭の回転は全盛時に比べ、ほんの数%程度までに落ちていた。


・会話も「え~と、え~と」とトチトチしており、小さいがクルクルと良く動いた目もドンヨリと濁って、第一殆ど笑わなくなってしまっていた。心のキャパシティ(許容量)もせばまっており、以前なら手を叩き、舌を出すほど大笑いしてくれた私独特の諧謔(かいぎゃく)にも突然怒りだし、私は幾度となく絶交を言い渡される始末だった。


・しかし垣さんの幼馴染のM子さんとそのご主人であるドクターの博愛のサポートや、U子さんを始めとするO社時代の後輩仲間の、熱く根気の良いリハビリの付き合いが段々に功を奏し、垣さんの顔に笑顔が徐々に戻って来ていた。そしてビジネスの会話も見違えるように切れが戻り、内容も明快になりつつあったのだ。


・「織伊よ、この間 頭のMRI撮ったらな、前は白い部分が殆どだったけどビックリするくらい黒い部分が増えてたよ。脳の血流が段々戻ってるんだろうなぁ」と、私にも本当に嬉しそうに話してくれたものだった。


・その矢先、垣さんをさらって行ったのは脳疾患ではなく、唐突な心筋梗塞だった。まさに私の主治医だった荒川ドクターがかつて言われた 「いやいや、がんは予定が立ちます。必ず余命〇〇があるでしょ? 怖いのは待ったナシの頭と心臓ですよ」・・が現実となったのだ。


・実は垣さんは前年の二〇〇五年、師走二十七日に電話をくれて、「織伊よ、今頃になって諦めていた『近代農法システム』のセットが売れたんだ。俺の幼馴染の〔川北君〕がI市の老人ホームの経営者に提案してくれてな。テナントの老人たちのリハビリのためにおっきなドームこさえて、その中に大掛かりな『近代農法システム』をセットするんだ」


・「俺は毎月十日間ずつ指導に行くことになった。I市だったら大阪から近いだろ? これで毎月お前と呑めるな!」との吉報だった。私は遅咲きの師匠の成功に、心からのお祝いを繰り返し伝えたものだった」


・そして垣さんは正月五日にも電話をくれて、「第一回目の打合せで十一日か十二日にI市に行くよ。十三日辺りに呑もうな!」とルンルンだったのだ・・・


・正に【閻魔の遣い】の、私への十一発目のデッドボールだった。 私は、垣さんが逝ってしまった悲しさと淋しさで、完全に自制心の箍(たが)が外れてしまった。γGTP数値の高い肝臓のことも、血糖値の高い糖尿のことも、どこかで剛速球を準備して、虎視眈々(こしたんたん)と私を狙っている【閻魔の遣い】のことも、もうどうでも良くなっていた。


・私は西の空が茜色に染まるのを待って、気絶状態で倒れて眠るまで、浴びるように酒を呑んだ。そんな自暴自棄(じぼうじき)な毎日が、ぶっ通しで三週間も続いたのだろうか?・・・


・そんな瀕死の私の毎日を、遠くからリセットしてくださったのは、C社時代の、遠い昔のS市のお客様・稲村社長だった。私はこの年の年賀状に、自分の孤高の覚悟を表すため、山口誓子の名句・「海に出て 木枯らし 帰るところなし」を刷り込んでいた。


・稲村社長から遅がけに届いた賀状返礼葉書には、お元気な近況に添えて、そっと池西言水の古(いにしえ)の名句・「木枯らしの 果てはありけり 海の音」が有った。稲村社長は、私の大阪風来坊暮らしをご存知ない。だから或いは誓子の句への単に返句だったのかも知れない。


・しかし垣師匠の葬式にも行けず、遠く浪花の地で悲しみの酒の海で溺れかけていた私にとって、「いや、夜道にも必ず朝がくるし、霙(みぞれ)降る山道もやがて日の射す野道に出る。木枯らしにだって、果ては有るんですよ」という稲村社長の優しい諭しに聞こえて、私は垣さんを喪った絶望の海に、ようやく縋(すが)る流木を見つけたのである。


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・垣さん、この12年間で、そっちの世界に〔皆さん〕がワンサカ旅立って、「乳の香の風が流れ、花咲き乱れている」というそっちの世界も賑やかでしょうね。


・「私も間も無く」と書くのが通例でしょうが、私は中々参りません。皆さんは『彼岸』に旅立たれましたが、この世=『此岸(しがん)』にも、色濃く「影」を残されています。「想い出」と言えば解り易いですね。


・特に「記憶力だけは抜群」の私の此岸は広く大きくて、皆さんもお元気に「あの日・あの頃のまま」で大活躍されていますよ。


・特に垣さん、私が今執筆中の本では、貴方が「ぶっち切り」の主役です。同時並行で書いている『4がん5バトル』の闘病記は、心の支えになってくれた【種田山頭火】の句の解説もしていますし、80歳からは日本の子供らに『絵本の古事記』を残してやらなければなりませんし・・・中々旅立てないのです。


・ま、此岸=私の心の中の想い出の世界では毎日お会いし、あの頃のまま「馬鹿」を言い合って大笑いしていますから、年老いた私に「旅立ちの日が来た時」は、どうぞ宜しく!

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