〔はしだのりひこ〕氏逝く(72歳)
2017年12月02日
(〔はしだのりひこ〕氏逝く(72歳))
http://www.sankei.com/west/news/171202/wst1712020037-n1.html
・我が青春の〔はしだのりひこ〕氏が本日、72歳で逝った。つつしんで「ありがとう!さようなら」を言いたい。同時にちょっと、『ザ・フォーククルセダーズ』の足跡を振り返って見たい。
・鬱が昂じて2009年10月に、たった62歳で逝ってしまった〔加藤和彦〕氏は、音楽の世界では天才の一人だったと言っても過言では無いだろう。一方に天才・サザンの〔桑田佳祐〕氏も居るが、私にとっては年齢が近い加藤氏を押したい。
・私より5歳下、昭和22年生の加藤氏らから下の暫くを、【団塊の世代】【ビートルズ世代】と呼ぶが、昭和17年生の私は、むしろ【フォーク世代】だと自認している。
・だからよく音楽通が、「いや、加藤和彦の天才ぶりは、『サディスティック・ミカ・バンド』結成以降に発揮されていて、『ザ・フォーク・クルセダーズ』当時は、ホンの遊び半分ですよ」と言うが、どうしてどうして、私のような因業爺にとっては、〔加藤和彦(竜谷大中退)・北山 修(京都府立医科大卒)・はしだのりひこ(同志社大中退)〕の3人の名は、遠い青春の夕暮れ空に、一瞬煌めいた流星のように、懐かしくも尊いものなのである。
・珍?曲・『帰って来たヨッパライ』や、在日の間で唄われていたという『イムジン河』が評判になり、プロデビューとなったというが、後に精神科医となる北山氏と、加藤氏がゴリ押しに加入させた端田氏の仲は当初から微妙だったようだ。
・正式には1967/12・『帰って来たヨッパライ』、1968/2・『イムジン河』、同/3・『悲しくてやりきれない』、同/7・『水虫の唄』、同/11・『ゲゲゲの鬼太郎』、そして1年ポッキリの『ザ・フォーク・クルセダーズ』活動の最後が、同/12・『青年は荒野をめざす』(何の縁だったのか同名の小説を書いている人気作家・〔五木寛之〕氏が詞を書き、加藤氏が曲を付けて、『ザ・フォーク・クルセダーズ』の事実上の『解散ソング』となっている)
・名曲・『あの素晴らしい愛をもう一度』は、結婚した加藤和彦と光(ミカ)子夫人の夫婦仲を案じたのか北山氏が詞を贈り、加藤氏が曲を付けて1971に共同名で発表されている。
・詩人としても一流のまま精神科医となった北山氏はともかく、カミさんの介護の合間に音楽のソロ活動していた端田氏には、フォークル解散後も、『風』『この道』『花嫁』と、音楽で随分と元気を貰ったものだ。
・産経WESTから、[訃報〕 の記事を以下。
・「【はしだのりひこさん死去 フォーク歌手、72歳 『悲しくてやりきれない』『花嫁』などヒット】産経WEST・[訃報〕 2017.12.2 12:48更新」
・「『悲しくてやりきれない』などの曲が大ヒットしたフォークグループ『ザ・フォーク・クルセダーズ』のメンバーだったフォークシンガー、はしだのりひこさんが2日、死去した。72歳だった」(解説:死因は未だどの記事にも無い)
・「10年ほど前から体調を崩し、表だった音楽活動などは行っていなかったが、親族の話によると、2日未明に病院で亡くなった」
・「レコード会社のホームページなどによると、クルセダーズは、京都の大学に通っていた加藤和彦さんやきたやまおさむさんらが結成し、はしださんは昭和42年に参加。同年のプロデビュー曲『帰って来たヨッパライ』が大ヒットし、オリコンで史上初のミリオンヒットを記録し、『京都フォーク』としてブームとなった」
・「クルセダーズは翌年に解散したが、その後に結成した別のグループ、クライマックスで出した『花嫁』なども大ヒット。46年のNHK紅白歌合戦にも出場した。10年ほど前から闘病生活を送っていたが、今年4月に京都で開かれた音楽イベントには車いすで姿を見せていた」・・・
《「帰って来たヨッパライ」記者会見のフォークグループ「ザ・フォーク・クルセダーズ」 左から北山修、はしだのりひこ、加藤和彦=昭和43年2月》
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