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青春を燃やした愛媛で逝った友のこと

2017年04月30日
(青春を燃やした愛媛で逝った友のこと)


・私が28.9歳の頃、大阪で仲良しだった先輩らと昨年、【G4(爺4)会】を結成した。勿論【G7伊勢志摩サミット】に肖(あやか)ったものだった。新卒入社の2期生を〔衆長〕、3期生を〔助役〕、4期生を〔相談役〕、そして実行部隊の5期生の私が〔世話役〕になった。


・衆長は広島からだが、奈良に妹さんの家がある。助役は京都だから近い。勿論一番近いのは、世話役の私である。ただ相談役が遠い。大阪府泉南郡深日(ふけ)。それ故、毎回「3時集合・9時までには解散」という慌ただしいスケジュールだが、毎回抱腹絶倒の楽しい会である。


・今年1月、衆長から「岡山ってところは懐が深い。今年は一度『岡山泊』を計画してみようか」との提案。「ああ、四国ですが岡山まで直ぐ来られる所に、私と同じ5期生の〔森川クン〕が居ます。呼んだら喜んですっ飛んで来ますよ」「そうか、そりゃエエなぁ」


・以心伝心って奴だろう。2月1日にその〔森川クン〕から私の携帯に電話が有った。随分久し振りだ。手短に【G4会岡山計画】を伝えると、「それがなぁ、今『肺がん』で愛媛の【四国がんセンター】に居るんだ。余命1年半なんだと。これから好きなカメラ持って、全国を鉄道巡りしようと思ってたんだがなぁ。1年半にの腹は括れたが、子供らや孫らに会える機会が激減するのが寂しいよ」


・「モッチャン、子供だ孫だの娑婆っ気は封じ込めて、修行僧のようにがんと向き合わないと勝てないぞ。辛いだろうが、愛媛と言えば愛媛大でモッチャンが青春の日々を送った聖地だ。そこにある【四国がんセンター】で闘病するのも心強いじゃないか?頑張れよ!メールは家のパソコンから携帯に飛ぶのか?よっしゃ、寂しくならないよう、定期メールを送ってやる。1年半が5年、10年になるよう、頑張るんだぞ!」


・肺がんが既に重篤だったのだろう、電話口で何度もむせる友の様子が気懸りだったが、早速その夕方、激励メールを送っておいた。破線内に。以下。


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 モッチャン、大変だがお互い寿命までは石に齧りついても生きようぜ。寿命ってのは生存率と違って、天が定めたものだ。ご両親が生きられた年までは生きなきゃ、親不孝だ。

 人生、切所(せっしょ)やら陥穽(かんせい)は、一杯散りばめられている。俺は最初のがん闘病中に、大株主と番頭に穴を掘られ、落とされたまんま、未だ這い上がれない。

 C社に渡りを付け、プリンターの修理権を獲ったのが仇になった。並みいる大手ディーラーに先駆けての先行権だから、絶対に奪われないし、会社にも売り上げの半分は貢献する。要は不敗神話を作ったら、高給取りの俺が要らなくなったと言うことだ。その証拠に、会社は小振りになったが、ズッと生存している。

 
 病院を「お袋様の膝の上」のように感じられるようになったら、俺とオンナジ「がんの達人」になれるよ。「病気を楽しむ」と言ったら語弊があるが、「闘病生活を楽しむ」ってのは、名人上手の世界だ。浮世の憂さから離れて、看護師のケツ(最近はみんなパンツルックになりゃがったが、昔の看護婦は色っぽかったなぁ)

 
 退屈しないように、タイミング・タイミングでメールを送るよ。発刊を諦めた【営業マン夜戦記】が60項も有る。添付じゃなくてメール文で送る。抗がん剤で体調の悪い時も多いだろうから、「次は未だか?」と
思うタイミングでな。頑張ろうぜ。


 俺も死ぬのは何とも思わない。あの、一番輝いていた青春の真っ只中に戻れると思ったら、ウキウキさえする。でも清算しておかなきゃならんことも多いしなぁ。でも好きな言葉だから書いておくよ。

「帰ろうぜ!あの青春の光の中へ、真っ直ぐ!」・・・いいだろ?

平成29年02月01日     がん戦友・友作


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・激励メールは、これを皮切りに8通送っている。返事は一度も無かった。4月21日に、大阪の友・〔貝沼の大将〕が、これも久々に電話を呉れたので、〔モッチャン〕が闘病していることを伝えておいた。メールが出来ない律儀な彼は、〔モッチャン〕の携帯に何度も電話してくれた。そして「いつも留守電になっている。よっぽど具合が悪いんだろうか?」


・実はその着信を元に、〔モッチャン〕の息子さんが〔貝沼の大将〕に連絡が入り、彼が教えた私の携帯にも息子さんから知らせがあった。何のことは無い、〔モッチャン〕は3月14日に、既に旅立っていたのだ。彼の携帯も、恐らくメール部分はパスワードでガードされており、同じように自宅の自慢のパソコンも、プロでも呼ばないとパスワードは解除されないのだろう。(私の激励メールは、殆どが没後だったのだ!)


・〔モッチャン〕が私に電話を呉れた2月1日から数えて、たった1カ月半足らずの命だったのだ。2010年の晩夏だったと思うが、たまたま〔貝沼の大将〕と私が岡山で〔モッチャン〕に会い、別れ際に売店のネエチャンに撮ってもらった写真が、私にとって、〔モッチャン〕の唯一無二の遺影となった。


・彼が旅立った3月14日の翌日の15日、そんなこととは露知らずの私が彼に送ったメールが、途轍もなく空しいが、彼の旅立ちの『贈る言葉』になってくれたのだろうか。破線以下に。


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 モッチャン、健気に闘っているかい? 愛媛の気候は知らないが、気候温暖の大阪の今年の春は遅いよ。未だ昼間はガスファンヒーターと、寝る時は電子毛布と湯たんぽが欠かせない。恐竜とオンナジで足の先まで血流が巡るのが遅いのか、学生時代からの友人はみんな、俺が冬は靴下履いて寝るのを知ってるよ。

 病院食には飽きるので、美味い豆腐屋が有ったら、週一か週二で冷ややっこがお勧めだよ。1カ月近く水だけを飲んでいた経験(術前減量:107キロも有った!)からすれば、『沖縄深層水』がグンバツだ。生きる気力が湧いて来る。カミサンに無理言って、そうして貰いなよ。病院食には無い、『寿司屋の寿司』も、舌鼓が打てるよ。


 囚われの身となった以上、その環境の中で変化を付け、逞しく生きることだ。ナニ、余命6カ月から10年々生きてる奴らも大勢知っている。

 
 俺なんざ「5年生存率ゼロ(肝臓への大腸がん多数個転移)」から、大酒食らって17年生きている。金運・商運・家族運もみんな無くして、命運だけにすり替わったようだが。

 モッチャン、「溜息」だけは厳禁だぜ。毎日〔ウサイン・ボルト〕の稲妻ポーズをやって、最後にポーズの
まま両の拳を固く握りしめる。それが「がんファイターのファイティングポーズ」さ。頑張れよ、モッチャン。またな。


平成29年03月15日     がん戦友・友作


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