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年頭にあたり、「躊躇せぬ気概を持て!」

2016年01月09日
(年頭にあたり、「躊躇せぬ気概を持て!」)


http://www.sankei.com/column/news/170109/clm1701090005-n1.html


・流石、小堀桂一郎・東京大学名誉教授の「年頭の言葉」であるだけに、格調が高い。砕いて前フリしよう。

・西南戦争で敗死してしまった西郷隆盛は、「日本国民の教養レベルを、全て武家クラスにまで引き上げよう」と熱望していたと聞く。『躾』とは読んで字の如しの漢字だが、江戸260年の太平の御代に於いて、武家の教養と、庶民(豪商町人などは除く)、特に農民らとは、その「教頭レベル・躾レベル」では、今の「格差社会」とは比較にならないほどの差が付いていた。


・農民の「教養レベル」は低く、「夜這いの風習」やら、「博打のカタに、自分のカミさんを差し出す」など、今のチャイナ国内格差より酷かったと想像出来る。


・私も著名な大学を出ていないので大学の自慢はしないが(大好きなのだが)、一番多感な青春の時期に、あの「底抜けな自由な時間」を呉れた両親にはホント、感謝している。「議論のための議論」だったように思われるが、友人らと日常的に議論を交わしていたことが、今の私のボキャブラリ(語彙)の豊富さに繋がっていると思う。ボキャさえ豊かなら同義語を操って、「そのレベルの方々」にも物事を立体的に解説出来、会話相手の頭に、「鮮明なイメージ・絵」を書いてあげることが出来る。


・その個々人の教養の集大成が、「健全な『国家理性』」になって行くと信じている。昨日も例年通り「成人式で暴れて目立とう」とした馬鹿が逮捕されていたが、こんなんは成人早々の落伍者であり、凡そ「健全な『国家理性』」を育む一員から除外される。では東大名誉教授の、格調高い「年頭の言葉」を。


・産経ニュース・[正論]から、記事を以下。


・「【年頭にあたり 健全な『国家理性』に基づく力の発揮、躊躇せぬ氣概を持て 東京大学名誉教授・小堀桂一郎】産経ニュース・[正論] 2017.1.9 10:30」


・「昨年の年頭述志に際しては当年の国民的課題として、初等中等教育課程に於(お)ける国語教育の重視と大学教育に於ける基礎学の充実を二本の柱として、教育の再建の必要性を説いた。本年も謂(い)はばその文脈の延長線上に浮上して来る一箇の理念的目標についての所思を述べさせて頂きたい」


・「★≪個人としての「強さ」とは≫・・・目標といふのは昨年提示した二つの課題を総合してみればそれになるとも云(い)ふべき上位の理念であつて、それは国民が個人としても全体としても先(ま)づ強い力を有つ事を美徳と見る、その認識を涵養(かんよう)したい、との提案である」


・「教育の文脈から云つても義務教育段階に於ける国語能力たる読解力、言語表現力(会話と作文を併せ考へて)、語彙の豊かさ等は即ち子供の総合的知力であり、この力を十分身につけた者には自然に人生万般に亙(わた)る自信が具はつてくる。それは巷間(こうかん)に喧(かまびす)しい話題となつてゐる『いぢめ』に対する何よりも有効な防衛力である」


・「それだけではない。かうして知力を身につける事の有効性を認識した子供は、もし自分に基礎的な体力や運動機能の点で弱味があると悟つた場合、自ら進んでその欠陥を補ふべく体を鍛へることの重要性に氣が付くはずである。『強い』といふ事が人間の重要な美徳の一つだとの認識に達したならばそれだけでも彼の人生は成功を保証されたも同然だと考へてよい」


・「同じ理論が大学で身につけるべき基礎学についても適用できる。大学で修得する専門学は所詮は一つの技術である。全て技術なるものの有効性はそれを支へてゐる基礎的な学力の充実如何(いかん)にかかつてゐる。その基盤を広く且つ堅固に構成する要素は、『ゆとり教育』などといふ妄語が罷(まか)り通る様になつた頃からとかく軽視され始めた一般教養である。その教養なるものの実体は、敢へて簡約すれば広汎な読書経験から来る知識と理解力、活溌な想像力に他ならない」


・「★≪荒波に抗してゆくために≫・・・大学といふ教育組織を例に取れば、力とは即ちその一般教養によつて身につくものだと考へてよいのだが、此を広く一般社会の職能分野に移して考へれば、それは夫々の専門職の世界で多年に亙つて蓄積されて来た先人の経験を、次代を背負ふ若い世代が着実に継承し、保持してゆく事である。文献の読破を通じての力の継承が、実業の世界では人と人との直接的接触によつて実現し、集合的な経験となり、やがて集団全体の具有する力となつて効果を表してゆく」


・「以上に述べた様な国民の諸階層諸職能に於ける力の養成とそれに基く当事者の自信は、国家といふ規模の大きな共同体の持つ力として考へることができる」


・「人間社会の荒波に抗して確乎(かっこ)と我身を持してゆくには身体と精神との両面で先づ力を具へてゐなくてはならないと悟つた個人が、例へば国際的な激しい競争の場である普遍的な学問世界に身を投じるめぐり合せになつた時の状況を想像してみよう。その人はおそらくこの競争の場で有効に作用するのはどの様な種類の力であるのか、といつた洞察を働かせる。そして今まで心して内部に蓄へて来た基礎的な諸力のどの部分をここで発動すればよいのか、といふ対処の方法を見出し、十分の自信を以て競争に応ずることができよう。この事例考察は更に規模を拡げ適用する事もできる。即ち国家の安全保障に関はる事態である」


・「★≪日本の運命に覚悟をもつ≫・・・国家主権の尊厳と国民の安危とに責任を有する程の枢要な政治的地位に立つ人ならば、この苛烈な現代の国際社会に於ける安全保障の最大の条件は国際関係に於ける法的秩序が公正に維持されてあるといふ事であり、その秩序を維持すべき要因は端的に力以外にないとの現実を認識してゐるであらう。只、国際関係を律する力の使用に一つだけ留保をつけておくとすれば、それはこの力をそれがあるべき様に統御する機能としての『国家理性』が健全でなければならぬといふ、この一事である」


・「『国家理性』は学術語としては第一次欧洲大戦終了後間もない時期にドイツ人F・マイネッケの学説を通じて有名になつたが、源流に遡れば高名なルネサンス期フィレンツェの哲人マキャヴェリが『君主論』で創唱した力の哲学に必須の前提条件である」


・「マキャヴェリは、君主は己の国家の存続のためには必要とあらば悪を為す自由を有する、との強烈な『力』を礼賛する思想の高唱によつて謂はば悪名が高い。然し実際にはその悪をも敢へて為す『必要』性の考察を通じて、『国家理性』の哲学に到達した近代政治学の先駆者だつたとするのが公正な見方である」


・「現在の日本国が直面してゐる運命に、国民は如何なる覚悟を以て臨むべきか。我々は言葉の正しい意味での『国家理性』の統御の下に、国際関係に於いて存分に力を蓄へ且つ揮(ふる)ふ事を躊躇(ちゅうちょ)せぬ氣概を持たねばならない。(東京大学名誉教授・小堀桂一郎 こぼりけいいちろう)」・・・

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