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『死刑廃止ありき』の朝日新聞社説

2016年12月04日
(『死刑廃止ありき』の朝日新聞社説)


http://www.sankei.com/column/news/161204/clm1612040009-n1.html


・私は「死刑存続論者」である。この記事も『忠臣蔵』から始まっているが、私も今月14日の投稿が待ち遠しい。前フリもこの『忠臣蔵』で。


・赤穂浪士の吉良邸討ち入りは、現代ならば明らかにテロ行為である。若し子供が理不尽に殺されても、親兄弟による報復は認められていない。赤穂浪士も死罪になって当然だったろうが、武士の面目が立つ「切腹」が許されたのは、せめてもの「お上のお慈悲」と、「町人人気の反発」を恐れてのものだったろう。3年前の投稿文から、一部を破線以下に。


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・話は変わって、読書のお勧めである。【忠臣蔵モノ】は、山田風太郎に至るまで読んできたつもりだが、以下の5冊は絶対お奨めである。


1.忠臣蔵モノの原点とも言える、〔大佛次郎〕の【赤穂浪士】、

2.討ち入りシーンがド迫力の、〔森村誠一〕の【忠臣蔵】、

3.吉良に殉じた側から書いた異色作、〔森村誠一〕の【吉良忠臣蔵】、

4.ルポルタージュ形式の、浪士銘々伝が詳しい、〔津本陽〕の【新忠臣蔵】、

5.諜報戦、ドキュメンタリーの色が濃い、〔池宮彰一郎〕の【四十七人の刺客】・・・


・泉岳寺には二度行ったが、明らかに観光化されているのが一目で分かる。主君:浅野内匠頭の墓に寄り添うように浪士らの墓が整然と並べられている。討ち入り前に自害した萱野三平と討ち入らなかった寺坂吉右衛門の供養塔までプラスされて、浪士の墓は48有る。


・ただ切腹した46人の墓碑は、頭に「刃」の字が乗せられ、姓名が「剱」で分断されている。長らく山の北側に「罪人の墓」として放置されていたらしく、荒廃が激しい。妻子、一族への当時の苛斂誅求な罪科を偲べば、決して現在のような「忠義」「快挙」とされなかったことが分かる。


・「時は元禄十五年十二月十四日・・・月の明かりが味方の松明、山と川との合言葉!」講釈師:一龍斎貞山の名調子が懐かしい本日である・・・


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・「【首傾げる『死刑廃止ありき』の朝日新聞社説 制度存続のために必要なこと 論説委員・清湖口敏】産経ニュース・[日曜に書く] 2016.12.4 13:40」


・「★『忠臣蔵』人気・・・この時期になると決まって忠臣蔵の話を書きたくなる。昨年の今頃も当欄で討ち入りに触れたが、今年もまた、いや今年は例年に増して書きたい気持ちが募っている。東京・国立劇場の開場50周年を記念して現在、『仮名手本忠臣蔵』が歌舞伎と文楽で通し上演されていることも理由の一つではある」


・「『仮名手本~』の時代設定や登場人物名は史実と大きく異なる。幕府の目をはばかったためで、幕府にすれば討ち入りは違法な集団暴力であり、これを美化する劇など許されるはずがなかった。初演は討ち入りから47年目の寛延元(1748)年。四十七士を仮名(いろは四十七文字)に仮託し、義士こそ武士の手本とたたえ、大石内蔵助の蔵を忍ばせて忠臣蔵とした」


・「メタファー(隠喩(いんゆ))をたっぷりと仕掛けた『仮名手本~』が芝居の独参湯(どくじんとう)となったのは、忠義に殉じた武士道に町民が喝采したからでもあるが、本来なら喧嘩(けんか)両成敗となるところを赤穂側だけに厳罰を下した幕府への痛烈な批判が背景にある」


・「いろは歌を7文字ごとに区切り、末尾の字を連ねると『とかなくてしす』(科(とが)なくて死す)となる。罪もないのに切腹を言い渡した幕府への見事な当てこすりだ。時の将軍、綱吉は『生類憐(あわれ)みの令』で庶民を苦しめたことから、綱吉に対する鬱憤晴らしでもあったのだろう」


・「★法の『不備』・・・要するに忠臣蔵の人気を支えたのは町民の正義感であり、それはまた、倫理や道徳に根ざした人情味豊かな庶民感情でもある。庶民は、法治は否定しないものの、法などより庶民感情の方がずっと価値あるものと考えたに違いない。後に吉良家が断絶したのも、江戸の世論(庶民感情)が間接的に幕府を動かした結果だと言えなくもない」


・「庶民感情が法を超えて社会を動かす例は、元禄の世に限らず現代にも見当たる。法的には問題なしとされた政治資金の使い方が都民の感情(金銭感覚)と懸け離れていたことなどから、舛添要一氏が都知事辞職に追い込まれたのは、そんな一例だろう。一連の騒動で、政治資金規正法のあきれた“ザル法”ぶりも国民の目にさらされた」


・「法は必ずしも庶民の感情を体現しているわけではなく、この“不備”を少しでも補うことを目的に平成21年、裁判員制度が始まった。どちらかといえば法律一辺倒とみられがちだった法廷の場に、庶民感情(率直な法意識や処罰感情など)が持ち込まれたのである」


・「忘れられないのは11年、東名高速道で乗用車が飲酒運転のトラックに追突され、幼い姉妹が焼死した事件である。業務上過失致死傷罪で裁かれた被告は懲役4年の実刑が確定した。『人命を奪っておきながら窃盗罪よりも軽いのか』。法の壁に無力を嘆くほかなかった遺族や世間の人々の無念の思いはしかし、危険運転致死傷罪の新設を促す大きな力となっていった」


・「肉親の命を凶行によって奪われた遺族の悲しみはいかばかりか。犯人を自らの手で…と考えたところで、それが人倫にもとるとは誰も言えまい。だが法治国家においては私的な報復は許されず、多くの遺族が無力感と葛藤に苦しみ、泣いてきた」


・「★日弁連の『廃止宣言】・・・10月、日本弁護士連合会は死刑廃止宣言を採択した。廃止論者の理屈は、死刑が残酷で冤罪(えんざい)となれば取り返しがつかず、先進国の多くが廃止している-点にあるようだが、では、無辜(むこ)の命を奪った犯行よりも死刑の方が残酷だというのだろうか」


・「世論調査では国民の圧倒的多数が死刑の存続を求めている。庶民感情はあくまで、被害者の苦しみに添おうとしているのだ」


・「朝日新聞は社説で、死刑存続を訴える人たちに向け『宣言をただ批判するのではなく、(中略)死刑廃止をめざすのであれば、どんな手当てが必要なのかを提起し』などと書いた。普通の国語感覚から言うと、脈絡は破綻を来している。もし破綻でないならば、存続論者が我知らず廃止論に乗せられてしまうことを狙った巧みな修辞か。存続を訴える弁護士グループが『廃止ありきの前提で書かれている』と批判したのも当然だ」


・「交通法規の累次にわたる厳罰化で飲酒事故は大幅に減った。一方、死刑を廃止することで凶悪犯罪による悲しい犠牲と、絶望に泣き暮らす被害者家族がますます増える恐れはないのか。いま考えるべきは、『死刑制度存続のため、冤罪防止などの手立てをどうするか』であるはずだ。(論説委員・清湖口敏 せこぐち さとし)」・・・

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