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わが友:徳永一廣氏が逝った

2016年11月21日
(わが友:徳永一廣氏が逝った)


・実は昨日、『織伊友作のがん患者への応援歌』だけに投稿した記事だが、「通夜が明22日なので、読者数の多い『織伊友作の時事巷談』にも投稿してくれ。故人の知人が居るかも知れないから」というメールを戴いたので、1日遅れの本日、こちらにも記事を貼らせて戴く。破線以下に。


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2016年11月20日
(わが友:徳永一廣氏が逝った)


・2016年11月17日、『日本人の死因上位に「風呂」』の前フリに、「兼好法師・徒然草:第155段の括りに、『死は、前よりしも来(きた)らず、かねて後(うしろ)に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来(きた)る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し』・・・とある」と、偉そうに書いた。


・そして昨日、名古屋で会計事務所を営んでいる税理士:阿部哲也氏から昼頃、携帯に電話を貰った。「昨晩、焼津の徳永一廣さんが亡くなられました」と。夕方には私のサラリーマン時代の番頭格であった東京の長田俊明氏から、通夜・葬儀の案内メールを貰った。


・徳永氏、69歳か?私はサラリーマン時代の昔の仲間には何も告げず、2000年10月に末期大腸がん(レベルⅣ)で入院して絶食減量後(体重が107キロも有った!)の11月に、開腹切除手術を受けたが、CTが診落とした「肝臓への多数個転移」が確認され、2000年12月21日の退院は「仮出所」、肝動注手法による『5FU抗がん剤の25回投与』が通院で2001年7月まで行われることになった。


・実は徳永氏も2000年から2001年にかけての長期、原発部位不明のがん検診で、東京で長期入院していたようなのだ。それは2002年春、私が密かに「九死に一生」を拾って、「たまには南木曽の名湯巡りに来てくださいよ」と言ってくれた、南木曽に合宿研修塾を持っていた瀬古文男氏を訪ね、昔の仲間が集まった夜に、徳永氏から聞かされた話である。結局「睾丸がん」という珍しい部位だったと記憶している。私は58歳での「初がんバトル」だったが、5歳若い徳永氏は、53歳からの「初がんバトル」だったようだ。


・2008年3月に「肝臓転移がんと近接部位の胆嚢・開腹切除手術」、5月には「早期胃がん内視鏡的剥離手術」を控えていた私の気持ちを慮(おもんばか)ってか、2007年1月には東京の経営コンサルタント:多田眞行氏の契約別荘に仲間が集い、夢のような楽しい時間を持てた。しかしこの宴会に集ってくれた迎明氏をこの年12月に喪い、2015年1月に鈴木茂光氏、そして今回2016年11月に、徳永氏を喪うこととなった。3人とも「日本一風光明媚な静岡の人々」というのも、皮肉な話だ。


・2008年は未だ有る。10月に再び名古屋・大須で私の壮行会が行われ、徳永氏も勿論律儀に出てくれたが、大阪から来てくれた立石和弘氏を2010年2月に喪った。正に名曲:『群青』の、「残りて 悲しみを 抱く身の 辛さよ」の私の心境である。


・徳永氏が、「もう2年近く、肺がんと闘っている」とは、先月10月19日、私の愛知県がんセンターへの定期検診(胃がんの経過観察)に合わせて東京から長田氏が名古屋まで来てくれ、桜井勝己氏・阿部氏・遠藤正郎氏・古川信博氏との宴会の席上で、長田氏から聞かされた。


・私は青春の一時を共にした徳永氏と共通の知人:松村寧雄氏の破天荒な活躍をしたためた短編を、10月24日にメール添付し、病床の徳永氏に送った。シッカリした返信が返って来たのは翌25日であった。


・「織伊さんお気遣いありがとうございます。グンジャラ親父久しぶりに笑いましたよ。目に浮かびます。長尾さんからも大垣事件聞いていましたから。長尾さんの拓大おでん屋ボコボコ騒動などあっと驚く為ゴローも思い浮かべて大笑いしてしまいました。憶い出を思い浮かべて大笑いできる幸せを感じています。ありがとうございました。またご連絡します。 徳永拝」・・・


・とても、「この返信後、24日で旅立ってしまう人」の文章とは思えない。実は東京の長田氏、この25日に彼の病床を訪ねており、その時「若し自分に何か有ったら、お手数でも葬儀で何か思い出話でもしてくれませんか」と頼まれたのだという。通夜・葬儀のバタバタが済んでから、奥様と息子さんにユックリ手紙でも書こうと思っていた私だが、長田氏が挨拶に立つのなら、私の弔電が無いのは変だろう?と思って、慌てながらも心の篭った弔電を、さっき打った次第である。


・正に兼好法師の「死は、前よりしも来(きた)らず、かねて後(うしろ)に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来(きた)る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し」に真顔にさせられる。そして同時に徳永氏の、「憶い出を思い浮かべて大笑いできる幸せを感じています」の返信が、切なくいじらしく、私の胸に迫る。

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