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今日は〔紋太センパイ〕の14回目の祥月命日

2016年06月28日
(今日は〔紋太センパイ〕の14回目の祥月命日)


・センパイ、パソコンデスクの前面に、2002年の今日旅立たれたセンパイと、その後を慕うように8月に逝った愛犬・長七郎の大きなパソコン製作写真が、毎日私に笑いかけてくれているので、「あれからそんなに?」とは感じませんが、間違いなく14年もの星霜が巡ったのですね。


・私の初版本:【生還へのフォアボール】94Pからページをめくり、センパイを偲んでみますね。ホント親身な毎日のお見舞い、有難うございました。場面は前日の2002年11月28日に、「私独りで『結腸がんの、肝臓への多数個転移』の告知を受けた」翌日、11月29日のことです。


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5・2 畏友と家族に『肝臓転移』を告げる・二〇〇〇年十一月二十九日(水)・術後七日・入院37日目


・長い夜だった。さすがに眠れなくて、ラジカセのイヤホンで『ちあきなおみ』を延々と聴いた。しかしやっぱり、彼女の『夜へ急ぐ人』の熱唱は怖い。又この部屋で逝った多くの霊のひとつひとつに、息を吹きかけているような想いがしてCDを切った。


・右手で左の肩を、左手で右の肩を叩いて父と母を呼び出す。今夜は亡き母の「この意気地なし!」の叱咤と、鯨尺の物差しでの折檻が心地良い。ウトウトしていたのを不安が胸を揺さぶって、ハッと目覚めた感じ。しかし未だ暗い日の出前の四時だ。


・枕元のスタンドに灯を入れ、昨日の闘病日誌を読み返してみる。やっぱり六ページも書きなぐっていて、心の動揺がアリアリと見える。しっかりせねばならんなぁ、男として、一家の長として、子らの父として、中小企業丸の船長として・・・(中略)


・午後三時、〔紋太センパイ〕くる。〔センパイ〕との何でもない会話の中に、懸命に糸口を探って呼吸を整えてから、肝臓への転移を告げる。〔センパイ〕、顔からスッと血の気を退かせ、沈黙したまま膝の力が抜けたかのように、ヘナヘナとソファに座り込んでしまう。


・そこへタイミングを計ったように水尾婦長(現看護師長)が部屋にくる。婦長のシンボルであるキリリと二本の黒線の入ったナースキャップを付け、糊の利いた白衣に紺のカーディガンがよく似合う婦長は、私のベッドの金具に背を預けて立ったまま、ソファに座っている我々二人に彼女の長いナース生活の中で見てきた『肝がんと闘う患者の話』を始める。それは実に一時間以上も続いた。


・婦長の話の中で、彼女が或るドクターに帯同され千葉まで見学に行ったという『重粒子線治療』の話は、打ちひしがれた私の耳目をそばだてるに充分なものだった。「とにかく大きいんですよ。旧陸軍兵舎跡全部っていうか、重粒子を発生させる装置が巨大なんです。X線は奥に行くほど弱くなってしまいますが、重粒子線なら強いまま奥まで届くんです」


・「兵庫には、千葉のように一発勝負とは行かないけれど何度もあてて治療する、半分くらいの大きさの設備ができたらしいですよ。がん治療の新しい武器ですね。医学の発達は、看護の仕事にたずさわる私達から見ても目を見張るものがあります。頑張って半年生き延びれば、ガラッと場面が変わって進化したお薬や技術が出て来ます。とにかく先生を信じて頑張ることです。粘ることです」・・・水尾婦長の話は、明るく熱っぽく分かりやすく、延々と続いたのだった。


・夕方、ガックリと気落ちしてしまった〔センパイ〕が帰る。「友ちゃん、お互い頑張ろうな」と無理に笑ってみせている。私も辛い笑顔を作りながら黙って〔センパイ〕の手を握り、強く振って別れる。心なしかゴツく肉厚な〔センパイ〕の手が、今日は小さく感じられる。


・六時、いつもの洗濯に芙美子(家内)・蓉子(娘)くる。何度も躊躇(ためら)いながら、転移の話を切り出す。二人とも青ざめて暫く固まっている。凍りついた部屋の空気が辛い。芙美子も蓉子も涙目ながら、「おとうさんならきっと大丈夫!」と言ってくれる。悲しいが二人とも深刻な現実を受け容れてくれたようだ。


・九時三十分に裕之(倅)もくる。可哀相だが手短に転移のことを話し、「事態は深刻だが、チチは不死身だから心配するな!」と、倅に何の根拠も無い気休めを言う。九時四十五分に三人を帰す。『夜間出入り口』まで送って出て、バス停に向ってヒラヒラと歩いて行く私の家族の小さな後姿に、「勘弁しろよ」と心から詫びる。頬を涙が伝う。


・しかし何と言っても今日は、〔紋太センパイ〕と一緒に聴いた水尾婦長の話が圧巻だった。或いは平山ドクターの指示だったのか? 又は看護婦長としての独自の使命感だったのか? 私のベッドの金具に背を預けて立つ婦長に、私は間違いなく「神」を見ていたような気がする。


・婦長の話に、私も絶望に打ちひしがれていた胸の中に一転、闘う気力が湧いて来たのを感じる。未だファイティングポーズにはなってないが、両手の拳を握り締めてみる。きつい婦長と思っていたが、ちょっとオシャベリな可愛い賢い女性だった。絶望の暗夜行路を行くような今の私にとって、今日の婦長の話がどれだけ有難かったことか!


・しかし私は、今夜も眠れそうにない。ステージⅡかⅢか? 五年生存率は60%や70%は有るだろうと極楽蜻蛉を決め込んでいたのに、「これはステージⅣの23%どころか、肝臓への多数個転移だから、五年生存率は殆どコンマ以下%か、ゼロ%なんだろうなぁ?・・・


・ん? 私はやっぱり死ぬのか? いや、まてまて、多分死なないな! 水尾婦長も半年粘って生き延びれば、劇的に場面が変わると言っていたし。ここは粘りに粘って悪あがきをしてみるか?」・・・男五十八歳の心の葛藤が、病室の闇の中でエンドレスに続いて行った。

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