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今、こんな本書いています-13

2016年04月12日
(今、こんな本書いています-13)


・今回筆を進めている【がん連戦と山頭火】の経糸は「私の闘病記=3次・4次・そして5次バトル」であり、横糸は「故・村上 護氏編集の『山頭火句集』」で編んでいる。私の初版本:【生還へのフォアボール】には連綿と1次・2次バトルの内容と、心の揺れ動きが綴られているが、2版目には「箇条書き」程度に重複記載させて戴く。


・『今、こんな本書いています-12』では、その1次バトルを簡略紹介させて戴いたが、今度は2次バトルの簡略紹介である。以下。


【7・私の2次バトルのあらまし・⇔2013年8月13日(火)⇔(最愛の愛犬の命日に)】


[ぬいてもぬいても草の執念をぬく]


・年表続きのようで読者はお疲れかも知れないが、2000年12月の暮れから2001年の夏盛りに、場面をワープさせて戴こう。


・私は1次バトルから命拾いしながら、それこそ間髪を入れずに2次バトルに突入した身だったが、家庭内でも、もう「肝転移がん」の話題や「肝動注による2次バトルの様子」、「採血腫瘍マーカ値の結果」を語らないようになっていた。


・私は2ヶ月に及ぶ1次バトルを通じ、見舞ってくれて夜ごとバス停に向かって帰って行く、小さくてひ弱そうな家族の後姿を見るにつけ、「あぁ、死んでいくのは私独りなんだ」という孤独感がいや増して行っていた。又、家族が親身の愛情で私に添ってくれればくれるほど、自虐感を通り越して虚無感らしいものが心の中に芽生えており、しかもそれは次第に色濃くなって行くように感じていた。


・そして、ついに、「よし、家族も紋太センパイ(肺腺がん闘病中)も大変な時、みんな自分のことで精一杯なんだ。私のこの2次バトル、勝つか負けるかは神のみぞ知ることだが、もう家族も畏友も巻き込まず、自分の病気はキッチリ自分ひとりで決着をつけよう!」と、ある意味悲壮な、しかしある意味サッパリとした腹を括ったのである。


・こうして、花に囲まれた派手派手しい特別病室を舞台に、家族の愛と肉親にも勝る紋太センパイの厚情に溢れた1次バトルから一転、私の〔第2次がんバトル〕は、独り黙々と愛知県がんセンター中央病院へ週一の外来に通って、左胸皮膚下のリザーバから抗がん剤の投与を受け、周期的に襲って来る嘔吐感には〔プリンペラン〕を服用して懸命に耐え、月一の採血による腫瘍マーカ値に独り、一喜一憂する孤独な闘いになって行ったのだった。


・5FUの外来投与は、2000年12月27日から始められた。1回目は、入院中の12月18日に投与されていたので、「外来1回目=計2回」というスタートで進められて行った。


「5FU外来投与1回目=計2回」2000年12月27日(水)

「5FU外来投与2回目=計3回」2001年1月4日(木)【CEA=9・1】

☆入院中1回、12月27日外来で2回目を投与するも、CEA腫瘍マーカはさらに上昇して、基準値5・0をはるかに超えて9・1にもなっていた!


「5FU外来投与3回目=計4回」2001年1月10日(水)

「5FU外来投与4回目=計5回、フローチェック」2001年1月17日(水)

「5FU外来投与5回目=計6回」2001年1月24(水)

「5FU外来投与6回目=計7回」2001年1月31日(水)

「5FU外来投与7回目=計8回」2001年2月8日(木)【CEA=1・7】


☆お! CEAが一月の9・1から劇的に1・7に下がった! 5FUが効き始めたのか、色々なサプリが効き始めたのか? どっちか分からないが、このまま下がり続けてくれ!


「5FU外来投与8回目=計9回」2001年2月14日(水)

「5FU外来投与9回目=計10回」2001年2月21日(水)

「5FU外来投与10回目=計11回」〔肝臓CT、レントゲン〕2001年2月28(水)

「5FU外来投与11回目=計12回」2001年3月7日(水)【CEA=1・6】

☆3月8日、紋太センパイの勧めでセカンドオピニオン〔Z病院〕でCT撮影。映像を診て、紋太センパイの主治医が私の肝臓に「5センチ大のがんが有るのでは? 死んでいるのならいいが?」 と、とんでもないことを言い出す!


「肝臓エコー。肝動注はお休み」2001年3月15日(木)

☆思い余って荒井ドクターに、気がかりな〔Z病院〕のCT写真を持参して診て貰う。「ほぉ・・いいCTですねぇ。しかし織伊さんの肝臓に、5センチのがんがあったら我々も気色ばんでいますよ」「これは脂肪肝の薄い部分の影です。がんではありません。それはそうと、肝臓の血管が〔5FU〕の影響で細くなってしまったため、投与を1ヶ月休みましょう」とのこと。


・血管も抗がん剤で疲弊(ひへい)することを知る。紋太センパイの勧めで、この1ヶ月の5FU投与の休みの間に、セカンドオピニオンとして、今度は〔A病院〕でも診て貰うことにする。


「肝動注水通し、肝臓MRI撮影」2001年3月22日(木)

「消化器外科平井ドクター外来、荒井ドクターフローチェック』2001年3月29日(木)


☆荒井ドクター「MRIの結果は、5ミリ程度のがんが散見状態です。5FUがメチャメチャ早く効いていますよ。フローチェックで、肝臓血管の通りが良くなっていますから、来週からまた5FUを再開しましょう」・・よおし! 嬉しいぜ!


「5FU外来投与12回目=計13回」2001年4月4日(水)【CEA=1・6】

「5FU外来投与13回目=計14回、肝臓CT撮影」2001年4月11日(水)

「5FU外来投与14回目=計15回』2001年4月18日(水)


☆先週のCTの結果について荒井ドクター、「やっぱりCT,写っていませんねぇ。これだけ診たら、内科と同じで『完治だ』と思ってしまいます。たまに写らない人が居るんです、脂肪肝が原因でしょう。あの、〔Z病院〕で5センチのがんでは?と言われたものは、このようにそこだけ脂肪が薄いからです」


「5FU外来投与15回目=計16回」2001年4月25日(水)

『セカンドオピニオン・A病院のCT検査』2001年4月27日(金)

「5FU外来投与16回目=計17回」2001年5月2日(水)【CEA=1・5】

「5FU外来投与17回目=計18回』2001年5月9日(水)

『セカンドオピニオン・A病院のCT結果発表』2001年5月14日(月)

☆【A病院】・野上ドクター談。「CEAは2・2です。例の5センチの影は、私もがんではないと思いますよ」「織伊さんの主治医の荒井先生は、この分野の第一人者で、私も尊敬するドクターです。信頼して『荒井方式』の治療を続けるのが、最良だと思いますよ」と励まされる。紋太センパイの心配は嬉しいが、これで迷わず、荒井ドクターに、私の下駄の全部を預けよう!


「5FU外来投与18回目=計19回、フローチェック」2001年5月16日(水)

「5FU外来投与19回目=計20回」2001年5月23日(水)

☆荒井ドクター、チェコ出張のため5FU1週休み

「5FU外来投与20回目=計21回」2001年6月6日(水)【CEA=1・8】

「5FU外来投与21回目=計22回」2001年6月13日(水)

「5FU外来投与22回目=計23回、レントゲン」2001年6月20日(水)

「肝臓MRI撮影」2001年6月26日(火)

「5FU外来投与23回目=計24回」2001年6月27日(水)

「腹部CT撮影」2001年7月4日(水)【CEA=1・6】

「5FU外来投与24回目=計25回」2001年7月11日(水)


・こうして私は半年ちょっとに及ぶ、計25回の「肝動注による抗がん剤投与」を終え、2001年7月16日(月)、荒井ドクターが予約してくださった@五千円の個室で、「肝臓の入院造影撮影」に臨んだ。


・右股付け根にまた大穴を開け、カテーテルで肝臓造影剤を注入しての撮影。ストレッチャーで部屋に戻り、3時から6時まで仰向いて微動だにできず。


・特に右足は絶対静止。毎度のことだが腰がちぎって捨てたいほど痛い。「どうか、私の上に奇跡が起こり、あの散弾銃で撃たれたような無数の転移がんが、小さくなっていますように!」と祈りつつ、眠れない夜を耐える。


・2日後の、2001年7月18日(水)である。荒井ドクターの所見発表のこの日、私はいつものように放射線診断部外来に独りで出向いた。「もう、独りで闘おう」との決心の、自身に対する再確認のためと、若し結果が「凶」と出た場合の芙美子(妻)を慮(おもんばか)ってである。


・荒井ドクターはニコニコしながら、「前回十二月の肝臓造影撮影写真に写っている腫瘍の一個一個が、今回どうなっているか追っかけて、正直朝までやっていました。随分時間がかかりました。一個『クサビ型の影』がありますが、腫瘍にクサビ型はありませんから残骸でしょう。あのたくさん有った腫瘍は、すべて消えたとしか、現在のところ言えません。」・・・


・お!? おお? 腫瘍が消えた? あの散弾銃で撃たれたような腫瘍が消えた? そんな奇跡が私の上に起こったのだ! 心が宙を舞う想いとはこのことだろう。思わず立ち上がってガッツポーズをしたあと、「荒井先生、命を助けて戴いて有難うございました!」と荒井ドクターに最敬礼する。


・人間必死に念ずれば、願い事は叶うと色々書いてはあるが、しかし現実に私の上にその奇跡は起こったのだ! 肝転移の告知の翌日(2000年11月29日)、明るく肝臓がんと闘う患者の話をして激励してくれた水野婦長に、私は「神」を見ていた気がするが、今日はニコニコしている荒井ドクターに、より鮮明に「神」を見る想いがしたものだった。


・一番に芙美子(家内)に電話する。芙美子が電話の向こうで泣いている。次は当然紋太センパイに!と気負ったが、私は手を止めて思いとどまった。


・1週間前の7月11日、春先の3月28日に残った右肺上葉をえぐる大手術に耐えた紋太センパイは生還退院していたが、ムーンフェイスで満身創痍(まんしんそうい)になって自宅療養しているセンパイに、私は、自分だけの幸運を絶対に伝えられなかったのだ。


・「運はその字のとおり『運ぶ』と書く。自分が最大限の努力を重ねて運ばなければ、運は巡って来ない」と言った先人の言葉の意味が、加齢を重ね、黄昏て来てようやく分かるような気がする。平井ドクターも荒井ドクターも、超人的なゴッドハンドを駆使してくださった。しかし58~59歳の私も、文字通り愚直なまでの努力を重ね、懸命に「運」を運んでいたのだ。


・「がん治療は受けない」と豪語する、私から見れば超人のような人が居たり、色んな本を読み過ぎて、科学的療法に対して斜に構える人も事実多い昨今だが、「病院を信じ、ドクターを信頼し、ひたすら己の寿命を全うする」ことを目指して自助努力を重ねることが、暗黒のトンネルから抜け出る一番確実な方法であるということを、私は今更ながら強く思う。


・しかしそれにしても、私の肝臓に巣食った多数個のがんが、根を張り廻(めぐ)らす前に消滅させられたことは、偏に平井・荒井両ドクターの慧眼とゴッドハンドのお陰であるが、私の人一倍楽天的で能天気な性分も、若干は貢献しているのか?と自負している。


・2次バトルで、「がんの執着に勝たせて貰った」私は今しみじみと、25回の抗がん剤投与の日々を、山頭火の[ぬいてもぬいても草の執着をぬく]に重ね合わすことができるのである。


・父の「女出入り」への当てつけだったのか、それとももう、そこまで神経が追い詰められていたのか、山頭火の最愛の母・フサは、山頭火がたった11歳の折に自宅の井戸に身を投げて衝撃的な死を遂げた。


・幼い子供ゆえ、母の想いを思い遣ることさえ出来なかった無力な自分。以来山頭火は重い宿命的な悲しみを背負って人生を流離(さすら)っている。


・「いつだって死んでやる!」と、悲しみが胸に満ちる日暮れ時にはいつも思う。しかし欠け茶碗一杯の飯にフと心が癒され、まして湯呑茶碗一杯の酒でもあれば心は晴々と明日のことを夢見てしまう山頭火なのである。その弱いわが身に比べ、名も知らぬ雑草たちの何と逞しいことか!


・[ぬいてもぬいても草の執着をぬく]。しかしやっぱり今日は、草の執着と闘って草を抜かなければならない。句友たちが贈ってくれたこの【其中庵】が、いつも草ぼうぼうでは申し訳ない。今日は句友・国森樹明君が来てくれる予感もするのだ。


・山頭火は手首を回し、ムンズと雑草を束にしてつかんで抜いた。抜くぞ!抜くぞ!しかしまぁ、草たちの土への執着、生への執着の何と強いことよ!「何だか草なのか己なのか、己なのか草なのか、分からんようになって来た!」 山頭火の大汗かいての草むしりは続く・・・


・「がん撲滅!」と声高に叫べる方々を、私は健常者なのだと思っている。がんと向き合って切ないのは、それが文字通り「身内にできた不肖の子」だからである。なぜ不肖(愚か)かと言えば、「寄生している宿主を殺せば自分も死ぬ」という道理が解らず大暴れするからである。


・しかし「身内にできた子」であることには変わりはなく、「がん撲滅!」と叫べば「我も撲滅!」と、私には思えてしまうのだ。がんを「身内にできた子」だと思えば、闘病中は寝ても醒めても、そのがんに語りかけてやることだってできる。「さぁ根を張らず執着せず、眠れや、眠れや」・・・一体私は幾万回、この言葉を繰り返したのだろうか?


・2002年6月28日、私は、先輩であり畏友であり、がん戦友であり男盛りの歌の師匠でもあった私の最大の理解者=〔紋太センパイ〕をついに喪った。最後までファイティングポーズを私に示しつつ、最初の手術から実に3年近い凄絶(せいぜつ)な闘いの末、私の中の最強・最愛の鉄人は、ついにその闘いの拳を静かに下ろしたのだ。


・65歳だった。そして私は、私に対していつでも「花丸」の評価をしてくださった、最大の与党・理解者を喪ったのだった。

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