« 金正日、末期の「物乞いの旅」 | トップページ | 今、こんな本書いています-13 »

今、こんな本書いています-12

2016年04月12日
(今、こんな本書いています-12)


・一昨日は1時間半しか眠れなかったので、そのお陰も有ったのだろう(何でも都合よく捉える性格)、夜中のションベンにも一度も起きず、今日は8時間近く熟睡した。体力・気力横溢の状態である。お陰様でブログに「編集済み」の『今、こんな本書いています』も投稿出来る。では『今、こんな本書いています-12)』を以下。


・【5・私の1次バトルのあらまし・⇔2013年8月7日(水)⇔)】


[すべってころんで山がひっそり]


・3次・4次・5次バトルの本論に入る前に、まず私の1次がんバトルについて、そのあらましを読者にお伝えしておかなければならない。


・初めてのがんバトルに怯(おび)え慄(おのの)く心模様や、絶望的だったとも言える2次バトルに対する、がん闘病者としてのファイティングポーズのとり方、ゴッドハンド達の凄腕など、肝腎要の部分は【生還へのフォアボール】からダブって引用させて戴いているが、本書は3次・4次・5次バトルを縦糸として書いているので、1次・2次は淡々と箇条書きにしたい」


・それでは場面を、遠く2000年にワープさせて戴き、本章では第1次がんバトルのあらましを。


1・「大腸がんを自覚した時期」=1999年の年初頃から。シャワートイレの助けを借りながら、頭の血管が切れるほど気張っても中々出ない便は、次第に細く黒く、牛蒡(ごぼう)のような形状になって行っていた。


2・「初めての腫瘍マーカー血液検査」=2000年9月29日。当時の私の会社に近く、高校剣友・故 南義治氏のかかりつけ医であった名古屋市名東区・芹沢クリニックで。結果、基準値5・0のCEAが8・3有った。


3・「初めての大腸ファイバースコープ」=2000年10月19日。芹沢ドクターの紹介の名東クリニックで。南州がOKだったというゲンを担いだ。結果、私が見ても分かる大きながんが通せんぼをしていて、「押し込み42cm、部位は結腸」と知らされた。


4・「初めての愛知県がんセンター」=2000年10月20日。名東クリニックの帰り道の19日、私が「まず大腸がんに間違いない」と報告し、芹沢ドクターが机上の電話で直ぐ、愛知県がんセンターの消化器外科・平井 孝ドクター(故人)に繋いで下さった。翌20日、平井ドクターは「外来の日」ではないのに会って下さり、私はこの日、「採血」「胸のレントゲン撮影」「肺活量検査」「心電図」をやり、「入院手続き」も手際よく済ませることができた。


5・「1次バトル入院と大腸がん告知」=2000年10月24日の入院当日。主治医の消化器内科・松村ドクターから、「風邪ですね」というような軽いノリで、「大腸がんですね」との告知。


6・「絶食・減量」=2000年10月28日~11月27日まで。身長187cmはともかくとして、体重が107kg有り糖尿だったので、平井ドクターから絶食命令。10月26日に鎖骨下の大静脈にセットしたIVHからの栄養点滴とペットボトルの水だけの、辛くひもじい絶食生活を約1ヶ月続けた。当然この間に、1日80本のヘビースモーキングからも足を洗った。


7・「入院中の検査」=この間、「24時間尿検査」「動脈採血」「一日の採血8回」「大腸ファイバー」「超音波エコー」「腹部CT」「大腸造影撮影」「胃カメラ」などの必要検査が行われた。


8・「消化器内科検査結果と外科の手術説明」=2000年11月15日。内科からは「他に転移無し」と、安堵のご託宣。外科からは「S状結腸にあるがん患部を中心に、大腸を約20cm切除する。手術時間は全身麻酔で3、4時間」と。心配していた転移が無かったことで、私自身も家族も畏友だった加藤登志雄氏(紋太センパイ)も、センパイの実弟で私と同年の鈴木道雄氏(スーさん)も、舞い上がって喜んでくれた。


9・「末期大腸がん(S状結腸がん)開腹切除手術」=2000年11月22日。麻酔医の「そろそろ眠くなりまぁす!」の声と、私が「寒い寒い!」と声をあげ、平井ドクターが優しい目で「悪いところは全部取れましたよ」と言って下さったのは全くの背中合わせで、4時間の開腹手術時間は「無」の時間だった。娘の蓉子、家内の芙美子、紋太センパイが、かわりばんこに安堵の顔を覗かせてくれた。(当時は1回1名というルールが守られていた)


10・「肝臓への複数個のがん転移告知」=2000年11月28日。脂肪肝でCTが全く写らない人が稀に居るようで、私が正にそれだった。「どこにも転移してない」と舞い上がっていた幸せの時間は、13日と45分間だった。以下、ドキュメンタリー風に。


「織伊さんの術後の体力の回復を待っていました。織伊さんに理解して戴くのが先なので、ご家族にはまだ申し上げておりません。いい話ではありません」


「S状結腸がんの手術中に、肝臓に『がんを複数個』診ました。たぶん転移したものだと思われます。エコー検査では肝臓に『まだら状の影』が診えて注意していましたが、より精度の高いCTではセーフだったので、十一月十五日に内科が『他に転移はない』と申し上げました」


「しかし開腹した手術中に目検して、肝臓に確かにいくつかのシコリを診ました。従ってこのままS状結腸がん手術後の体力回復に努め、入院を継続して再度の精密検査を行いたい。転移も含め【肝臓がん】なら、主管を『放射線診断部』に移し、抗がん剤治療をお勧めします」


・その折の私は、「『承知しました、宜しくお願いします。頑張ります!』と、つとめて明るく振舞って頭を下げたが、心が真っ二つに折れて逆さまに『ズン!』と胃に崩れ落ちて行くのを感じていた。体もフワフワ浮遊し始めるような気がして思わずソファの端を両手で掴む」・・・だった。


11・「全抜糸」=2000年12月3日


12・「肝動注ルートのセット手術」=2000年12月7日。肝動注手法により、予めナースからその高名を聞かされていた〔世界の荒井保明ドクター〕がニコニコして挨拶される。豊かな髪が真っ黒。色白で意外に若く見えるが、平井ドクターと同じくらいだとナースから聞いている。ならばやっぱり47、8歳か? 尿道に管を入れられたあと、荒井ドクターの指揮で5、6人のチームがテキパキと動き、右股の付け根に開けた穴から管をズンズンと入れて行く。造影剤を入れながらX線写真を撮っているのだろう、バタンバタンと鉛のドアが開け閉めされ、痛くはないが2時間半にも及ぶ緊張の長丁場だ。荒井ドクターの腕は神技か? 指先がとてつもなく速くやさしく柔らかく、器用に動いているのが、顔に籠のようなもので目隠しされた私にも、その五感で分かる。まさにゴッドハンドの感じだ。


13・「荒井ドクターの所見」=2000年12月8日。「織伊さんの血管が、若い女性のように柔らかだったので苦労しました。CTには写っていませんでしたが、小指の先大のがんが7個は肝臓に転移しています。切りに行ってもいいが、細胞の中の小さながんは診えないので成功確率が低く無謀と考えます。昨日血管をアチコチ縛って抗がん剤を肝臓中心に流し込むルートを作ったので、来週早々から抗がん剤治療を始めます。副作用はあまり無いと思います。厄介(やっかい)ですが、ベストを尽くします」


14・「リザーバの埋め込み手術」=2000年12月11日。荒井ドクター、左胸に痛い局部麻酔注射を、ブスブスと5、6本射つ。荒井ドクターの、「寝ていらしてもいいですよ」という〔やさ言葉〕は嘘っぱちで、畳針を刺し込まれるような激痛に、たまらず4度ほど声を上げる。リザーバ埋め込み手術は約五十分、涼しい顔の荒井ドクターが、「大変上手く行きましたよ」と上機嫌な声。部屋に戻って二時間安静。明日また同じ時間帯に、抗がん剤がうまく流れるかどうか? のフローチェックがあるそうだ。


15・「フローチェックと肝臓CT」=2000年12月12日。


16・「胸部レントゲンと骨シンチグラフィ」=2000年12月13日。


17・「頭部、胸部のCT」=2000年12月14日。


18・「検査結果と今後の治療説明」=2000年12月15日。


「1センチくらいのモノばかりです。しかし5ミリ以下の腫瘍は診えませんし細胞内の腫瘍は分かりません」

「今週の検査では、今のところ肺にも脳にも骨にも転移は診られませんでした。骨シンチは腰が怪しいのでよく診ましたが、年齢から来る影なのか病巣は診られませんでした」


「今後の治療の病名は、【肝臓がん】でもいいですが、正式には【切除不能結腸がん肝転移】です。国産の効力の強い抗がん剤もありますが、これは同時に副作用が強いので、我々はソビエトで開発され40年以上も使われてきた副作用の少ない〔フルオロウラシル〕を使っています。これは通常略称で〔5FU=ファイブエフユゥ〕と呼ばれています」


「5FUで肝臓の腫瘍が小さくなる確率は20~30%ですが、これを先日やりました肝動注ルートで肝臓に集中的に流し込み、効力を52~83%にまで高めています」


「人によって違いはあるでしょうが、副作用は殆ど無いといって良いでしょうし、髪の毛、眉毛、体毛も殆ど抜けません。従って治療しながらのQOLも高く保つことが可能です」


19・「初めての抗がん剤投与」=2000年12月18日。朝9時30分、荒井ドクターの回診が有ったので、ずっと気にかかっていた「何で大腸からの転移がんであって、肝臓の原発がんではないと分かるんですか?」を訊いてみる。


「あぁ、まったく絵が違います。長年の経験で分かります。だから大腸から転移したがんは、それがどこへ転移しようと大腸がんの薬で追っかけるんですよ」との回答が・・・絵が違う?絵が?・・


・「絵が違う」という荒井ドクターの返答への疑問は、やがて紋太センパイの第3次がんバトルの折に、【A病院】の、センパイの加藤主治医から、研修用であろう内緒のCT写真で明かされることになる。「一概には言えませんが、【転移がん】はこのように、なぜか遠慮がちに黒くて半透明な絵です。それに比べて【原発がん】は、こっちのように、存在をアピールしているかのように白く輝いている絵でしょ?』・・・このビジュアルな説明には納得できた。


・午後1時過ぎ、いよいよ5FUの投与が始まる。初回だから、部屋のベッドに寝て5時間かけて注ぎ込むのだそうだ。ありがたい薬というより、毒を体に注ぎ込まれているような奇妙な感覚。能天気な私も、さすがにベッドでジッとしている。


・退院して外来治療になれば、ゴム風船を内蔵した携行用の投与装置に変わるが、本日は室内用の、本格的なゴツイ装置がベッドサイドに置かれている。途中で腹が減り、のども渇いてアイスクリームを四個も平らげてしまう。ナースによれば、副作用の抑制剤も調合されているとのこと。おかげで抗がん剤を注ぎ込みながら、夕飯もペロリと平らげる。


・6時10分、溝口ドクターが来て、左胸の皮下の肝動注リザーバに刺されている抗がん剤投与の翼状針から、そのルートが血脂で固まらないようヘパリンを注ぎ込んで第一回抗がん剤投与は終了。


・「ケロッと何でも無かったですよ!」と川瀬看護主任に胸を張ったら、「いえ、5FUで1回目から気分が悪くなる人は先ず居ません。回を重ねて、だんだん肝臓にダメージが溜まって辛くなって行くんです」とたしなめられてガックリ!


20・「1次バトル退院(仮出所)」=2000年12月20日。退院と言っても、12月27日からは、通院外来での抗がん剤投与=〔第2次がんバトル〕が始まる。つまりは仮出所なのである。がんと向き合うことは命と向き合うこと。それは58歳にもなって、初めて「毎日自分と向き合い、自分の心の深淵を覗き込む」ことでもあった。そして家族にも、紋太センパイにもスーさんにも言わなかったが、「ヘビースモーキング」「日毎の深酒」「大食」「日常化した寝不足」「中小企業経営のストレスの蓄積」を、ため息の連発で後悔するものでもあった。


・正に山頭火が詠んでいる、[すべってころんで山がひっそり]の通りだったのだ。私一人が必死に大騒ぎしているが、正に「大勢に影響は無い」「有っても僅少で、やがて『去る者日々に疎し』」なのが、当然の現実だった。


・ドクター達は「運動!運動!」と、私の階段昇降や散歩を励ましてくれたが、私は「泣くために」散歩に出ていたのである。心地良い汗をかきながらも、心がだんだん泥のように重く暗く沈んで行くのが分かる。願っても詮無いことだが、プリプリの内臓にしなやかな筋肉を鎧(よろ)っていた少青年時代にたまらなく戻りたくなって、高校時代に剣道部の南や山崎たちと、肩を組んでよく唄った〔灰田勝彦〕の【森の小道】を口ずさんだら、すぐ胸が詰まって木立の中で立ち止まり暫く嗚咽(おえつ)する。


・空を見上げ続けて、涙を乾かしてから部屋に戻る。泣いたってどうにもならないことは重々分かってはいる。また遠くから『この意気地なし!』という母の叱咤が聞こえてくる。


・大腸がんが末期になるまで気もつかず、致命的な多数個のがんを易々(やすやす)と肝臓に転移させてしまった! 両親から貰った超一級の肝臓を、私の不始末から汚すことになり、心から申し訳ないし、その『肝君』が哀れで、思うたびに涙がこぼれる。勘弁しておくれな・・・


・外は寒いが、フリースを2枚着込んで散歩に出る。土手を登って木立の道を抜け、猫ケ洞池の辺(ほとり)から四阿(あずまや)迄を往復する。


・もう冷たい木枯らしの吹く中、ここの木立はまだ紅葉をやめていない。木立を見上げながら、「この未練は、私のようだな」 と思い、幹を擬人化して一本一本、手で押しながら歩く。植物の優しい『気』が伝わってくる想いがする」・・・


・こうして2015年にこの原稿を綴っていても、あの時の「落葉の絨毯」の感触が足に、「木々の幹の生命力」が掌に蘇って来る。

« 金正日、末期の「物乞いの旅」 | トップページ | 今、こんな本書いています-13 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 今、こんな本書いています-12:

« 金正日、末期の「物乞いの旅」 | トップページ | 今、こんな本書いています-13 »

最近のトラックバック

2021年1月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ
フォト