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今、こんな本書いています-10

2016年04月11日
(今、こんな本書いています-10)

・考えて見れば、『今、こんな本書いています-9』の投稿が2/23だったので、黙々と草稿は積み上げながら、ブログ読者へのご紹介を怠っていた。反省しております。


・初版本:【生還へのフォアボール】の表紙・背表紙はプロにお任せし、自分ながら「センスが良く、スマートだわい」と今も惚れ惚れしているが、かと言ってAmazonの闘病本の表紙などザッと眺めても、その多く(殆ど)が「パソコンと写真による自作っぽい」のが知れる。


・だから2作目になる今回の【がん連戦と山頭火】では、思いっ切りダサイが、自分の漫画とパソコンで自作してみようと決心した次第である。そこで『今、こんな本書いています-10』を以下。(8までは読みやすい大きな文字のブログだったが、@ニフティの「windows10」への対応が未だなので、小さな文字でスミマセン)

【2・表紙の絵の山頭火は鬼灯を持っている・2015年5月02日(土)】


[誰も来ないとうがらし赤うなる]

・拙い絵だが、2版目の今回は、著作内部の挿絵だけではなく、表紙・背表紙・裏表紙も、全て私が描こうと決心している。


・表紙絵は、「点滴台を押し、がんバトルのトンネルの出口を求める私を先導して、山頭火が優しく私の足下を照らしてくれている絵である。しかし山頭火は「あの世の人」であるため、鬼灯(ほおずき)を提灯として使っている。


・実は私にとって2版目となる本書は、何となく【山頭火ほおずき】というタイトルだけが、温められてきた。実際の世には無いものだが、私が2008年の年初の5日間の苦しい検査入院から(1月29日(火)検査入院、2月02日(土)退院)、3月・5月の〔3次・4次バトル〕を独りで闘うにあたり、「種田山頭火の境涯と句集」を、ともすれば墜ちて行こうとする暗闇に、鬼灯(ほおずき)として灯させて貰ったのが、その理由である。


・ただ友垣らから「独りよがりでは?」との忠告があり、本のタイトルは結局、読者の皆様に解りやすい、【がん連戦と山頭火】となったのだが、表紙の挿絵として残したいと思った。


・私は不勉強で、山頭火が「ほおずき」を詠んだ句は知らない。ただ庵で独り、友人の来訪を待ちわびている彼の人恋しさが詠まれた[誰も来ないとうがらし赤うなる]は、以前から切ないほど好きな句なので、勝手に「赤いほおずき」を連想させて貰っていた。


・ほおずきは、私らの子供の頃でも愛らしいその実から種を抜き、吹き鳴らせる子は結構なスターだったが、江戸の昔から続く浅草寺の〔ほおずき市〕で知られるように、花の咲いた後に袋が赤橙色になる風情が日本人に好まれ、花生けに使われて久しい。私の幼い頃も、母が花瓶にほおずきを投げ入れしてくれただけで部屋が一気にメルヘンチックになり、心がはしゃいだものだった。


・しかし「ほおずき」には、「お盆に彼岸から還って来る亡者の、足下を照らす提灯」であるとの俗説が有り、「鬼灯」の字の方がポピュラーだ。鬼とは「逝きし人=亡者」のことである。鬼灯の赤橙色の袋を、昔の人は「亡者の提灯」と巧みに例えたのだ。


・友垣らの変わらぬ友情・厚情に心は熱く満たされながら、私とてやっぱり人の子ゆえ、〔3次・4次バトル〕を独りで闘うのは、内心は心細いものだった。


・そんな私の心に、おぼつかなくも鬼灯のような灯りを点し、共に困難ながんバトルを闘ってくれたのが種田山頭火その人である。先ずは読者に、その俳人をご紹介しておかなければならない。


・種田山頭火・・・大正・昭和の行乞流浪(ぎょうこつ・るろう)の俳人。俳句の世界の季語や五・七・五という約束事を離れ、「自由律俳句」を詠んだ。本名・正一。1882年(明治15年)生誕、1940年(昭和15年)58歳で没。


・私の58歳での〔1次バトル〕の折に、高校剣友・南 義治君が見舞いに差し入れてくれた、『山頭火句集』(村上 護編・ちくま文庫・1996年12月発行・第1冊)は、「私の、遠く懐かしい大切な思い出の品」として押入れ深く眠らせているので、私の座右には『同』(村上 護編・ちくま文庫・2011年6月発行・第16冊)が常に有る。


・孤独ながんバトルの戦場の風に曝されて、心が折れそうになる私に、山頭火の句は「強い横糸を編みこむように」、生きる力を与えてくれたものだった。


・「体育会系ノリで行くからよ!」などと口先だけは不遜な私だったが、主治医となられた佐野力ドクターと組んでレジデント医を勤めてくださった安藤ドクターが、「ホント、お友達が多いですねぇ」と感心してくださるくらい、友垣は私を孤独にさせないよう、よく見舞ってくれた。[誰も来ないとうがらし赤うなる]どころか、[落葉ふみくるその足音は知ってゐる](樹明君に)くらいの心強さだった。


・私への世評が、正に「毀誉褒貶=きよほうへん=ほめたりけなしたり相半ば」だということが、死ぬか生きるかの瀬戸際にあからさまに感じられた。初版本の【生還へのフォアボール】大団円の3つの呼び掛けの第1声=「おぉい!がんに罹った運命を嘆いていちゃ駄目ですよ!がんには自分を見つめ直し、心を浄化してくれるメリットもありますよ!」は、そうした私の想いも乗せた、呼び掛けなのである。

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