今日は私が好きだった先輩の6回目の祥月命日
2016年03月05日
(今日は私が好きだった先輩の6回目の祥月命日)
・酒のお誘いが入り、03月05日の投稿になったことをお許しくだされ。03月04日は、私の先輩である井上祝雄(ノリオ)先輩の6回目の祥月命日である。前立がんの手当てが遅く、全身の骨に転移という、私とは7年越しの電話激励だった。
・ノリオ先輩は、明治大学ウエートリフティング部主将だけでなく「体育会会長」だった。プロレスの坂口なんざ、三下のように扱っておみえだった。「体育会会長」ってのは、下手な丸暴の「組長」より、睨みが利いていた時代だった。
・ノリオ先輩は、私が新卒入社した外資系コンピュータ販社の2期生(私は5期生)だった。当時の名古屋ブランチマネージャーの鈴木義治氏(故人)が豪傑で、ブランチの業容拡大のため、全国でもヤクザで困り者の営業マンを、ドンドン名古屋に引っ張っていた時だ。
・名古屋ブランチと言っても、1.営業グループは5部隊、2.スーパーバイザーの数はこの5人の他に、総務部・ワークショップ(技術部)を含めれば7人という堂々たる布陣だった。場所は、「名古屋最後の鉄筋コンクリート大型ビル」と言われた名古屋駅前・旧大名古屋ビルジングの1階。隣は航空会社のフロントオフィスという、洒落た環境だった。
・廊下に出れば、床はピッカピカの大理石という、田舎の人ならスッテンコロリンという環境で、私の新卒1年目からの営業人生がスタート出来たのは、幸運だったのか不幸だったのか、私のエエカッコシの生涯は、ここから始まったとも言える。
・そんな環境に、大阪からノリオ先輩が「札付き」で転勤されて来た。ハッタリも有ったのだろう、我ら後輩を一堂に集め、「エエカお前ら、営業は夢を売る仕事なんや。夢と法螺(嘘)は薄い紙の表と裏。ついつい嘘を言ってしまうんやなぁ。エエカ、大事なことはひとつ。『嘘ひとつ言うてしもうたら、その嘘を九つ吐き通すんや!』」・・・何か仏教の教えのようで、戸惑ったのが最初の印象だった。
・ところがノリオ先輩、目配り気配りは最高の人で、「私がエースの卵」と見抜いてくださったのだろ、2期生・5期生の壁を越えて、即刻「私にはベタベタ」の関係になってしまった。花街での「タケウチクーン!」話など、艶っぽい話には事欠かないが、本日は「おとうちゃん、もうエエガナ、勘弁シテェナ!」に話を絞ろう。
・私がいつものように遅刻して、「スミマセン、スミマセン」と言いながら席に就くと、周りは異様な雰囲気。私の所属する2階は全員沈黙しているのだ。正に「岩に染み入る 蝉の声」の世界。「え?」とキョロキョロしていると、ノリオ先輩の電話の声だけが。「おとうちゃん、わかった。もうエエがな、勘弁してぇな!」の繰り返し「泣き」の絶叫音だけなのだ。
・後で分かったのだが、堺で刀鍛冶をしている父上と母上が、律儀に「大家さんへのご挨拶」で名古屋までお越しになった。しっかしま大家さん(アパートの持ち主)は、「確かに井上祝雄さんという方は1階の一番奥の部屋を借りておみえです。(私も何度もお邪魔している)でも同姓同名の人違いじゃ無いですか?朝一に出かけられて、10時か11時には戻られる。その後は競馬・競輪・パチンコ三昧のようですよ。とても堅気の方とは思えませんが」
・思い余った父上・母上は、「それでも」と大家さん同道で部屋の鍵を開けて貰う。そこには、1.外れ馬券の散乱と、2.温泉シロクロ写真の山だった!激怒した父上は、そこらに有ったA4大の紙に「勘当!」と大書して帰られたのだ。その翌日の「私の遅刻出社」の出来事だったのである。
・「エエカお前ら、一つ嘘ついたら九つ吐き通すんや!」のノリオ先輩とは全く違うイメージ。私も暫く(2、3日)気を使って避けていたが、またまたノリオ先輩から酒の席への同行命令が。私が恐る恐る「井上センパイ、先日は大変だったようで?」と水を向けるとノリオ先輩の終生忘れられない強がりの一言が。
・「エエカ、親が怖ぉぉて、極道デケルか?」・・・ノリオ先輩、懐かしいです!
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