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今、こんな本を書いています-8

2016年02月14日
(今、こんな本を書いています-8)


※雨である。雨が降ればご近所の小犬=〔ルル坊〕の「散歩指導」も無いので、部屋で燻(くすぶ)ることにする。余談だが「くすぼる」とも言うのは関西弁だと思っていたら、ちゃんと広辞苑に標準語で載っていた。


・子供の頃、「遠足」やら「野外写生会」やら、「明日天気になぁれ!」の前日には、近所の「神経痛の小母さん」のところに訊きに行った。雨降りの前日には神経痛が加速されるのか、「あぁ、残念だが明日は雨みたいだよ」とか、「大丈夫、明日は天気だよ」とか不思議によく中ったものだ。


・確かに私も両膝をやられてから、前日とまでは言わないが雨降り当日は、膝がシクシク痛い。あの「神経痛の小母さん」も、痛みの無い世界に旅立たれて六十余年。ただ小母さんが考えもしなかったこんな私の胸の此岸(しがん)に思い出として生きていて、これが出版でもされたら、小母さんは天空を翔(か)け巡ることになるのが面白い。


・よし、5月13日に「教科書通りなら黒。しかし我々の経験値からは、限りなく白に近い。織伊さんのご判断に委ねます」と消化器外科の伊藤ドクターに下駄を預けられてから、私の『胸の振り子』は際限なく揺れていたが、6月08日の今日は、『胸の振り子』も動かず、デンと腹が据わっている。「己の強運を信じて、『経過観察』に逃げて?みよう」と。


・人間の自己防衛本能とは、或る意味「欲」であり「堂々巡り」であり「胸の振り子」であることを嫌というほど体験した半月有余だった。しかし「がん発生の誘因」と言われるストレスも、体が強張(こわば)る程溜まってしまった。経過観察と腹が括れた以上、このストレス発散には「美味い夕飯と酒」、そして亡き〔紋太センパイ〕直伝の「カラオケ」しか無い。


・かと言って曽根崎だの天六だの、まして宗右衛門町まで出張る歳でもないし、懐具合も有る。本当は自転車での縄張りだが、痛飲したいので、バス発車時刻を把握している公団前から「住処近くの繁華街」までバスで行く。帰りはTAXIでも1メータの近距離である。以下。


【12:爽快酒・2015年6月08日(月)】


[みんなかへる家はあるゆふべのゆきき]


 夕飯も美味かったし、酒も爽快だった。正に五臓六腑に染み渡る感じだった。亡き〔紋太センパイ〕直伝のカラオケというのはご本人の弁で。「いいか、カラオケマシンの点数稼ぎじゃないんだ。人の心に染み込もうと思ったら、先ず自分を電信棒の陰に置く」「電信棒?古いんですが?」。


 「やかましい、黙って聞け!メロディが楽譜の隊列を組んでやって来る。それを遣り過ごして後ろから飛び掛るとか」「飛び掛るんですか?」「うん、通せんぼも有るぞ。電信棒の陰から飛び出して、メロディの先頭に『通せんぼ』を掛けるとか」・・・今や愛弟子は私だけであるが、亡き〔紋太センパイ〕の「仰ろうとしていたテク」を一番理解して、実践している私である。


 それと爽快だった酒のことである。「たかが酒?」と思われるかも知れないが、私にとって酒とは、ある意味「人格」と言ってもよい相棒であり、後輩諸氏が未だに老残の私を見捨てず慕ってくださるのは、私の吐いて来た数々の名言(迷言?)や能書きを懐かしがってのことだ。そしてその殆どが酒席でのことであった。


 それにしても「住処近くの繁華街」とは言え、独りで飲み食いし、誰も待っていない部屋への帰り路を辿る心根は正直淋しかった。セカセカと家路を急ぐ大阪人と混じって、正に山頭火の


 [みんなかへる家はあるゆふべのゆきき]・・・が心に沁みたものだ。


 山頭火は、破れ饅頭笠・破れ法衣・長杖のいつもの形(なり)で大阪道頓堀の繁華街を托鉢していたのだろう。(山頭火と言えば野道・山道を行くイメージが強いが、自由律俳句の縁で東京や大阪や名古屋など都会にも句友を訪ね、句作している)山頭火の時代、この句が詠まれたという日本屈指の大阪・道頓堀の殷賑(いんしん)は想像に難くない。


 「みんなかへる家はあるゆふべのゆきき」・・・山頭火は行き交う人々の洪水の「動」の中に、ポツンと独り「静」の佇まいで立っている。旅人ゆえに、その地に「かへる家」は無い。或いは今日は未だ、夕暮れ時まで托鉢しても旅人宿に上がる木賃(きちん)さえ集まってないのかも知れない。


 山道なら里に降りれば、農家の軒先でも鎮守の森のお堂脇でも、野宿できる優しさがあるが、都会の繁華街なればこその「底なしの寂寥感」がこの句からは漂って来る。


 私も大都会・大阪に流離(さすら)ってもう10年になる。家を出る時心に誓った大望は、大都会の喧騒の中に千切れ千切れとなってしまった。ただ住処の近所の呑み仲間もみんな良い人で、その部屋も狭いが、機能的で快適である。しかしやっぱりこの大都会は私の人生の旅の空であるし、部屋は「かへる塒(ねぐら)」であっても「かへる家」ではない。


 「ゆふべのゆきき」・・・旅人、流離い人にはお日様が一番の味方で、山頭火も昼間は元気に托鉢にも句作にも精を出していたのだろう。しかし唯一の味方のお日様さえも、まるで「かへる家があるように」西の空に沈んでいく夕暮れ時の孤独、焦燥感。


 「なんで普通でいられなかったのだろう?」「なんでイソイソと家路を辿れる生き方ができなかったのだろう?」・・・山頭火が抱く自責の念は、そのまま私の思いにも重なる。


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