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今、こんな本を書いています-6

2016年02月12日
(今、こんな本を書いています-6)

※『胸の振り子』の揺れが止まらない。最終的には「自己決断」だから、ドクターから下駄を預けられるのは致し方無いことだが、1.教科書通り胃の3/4を切除して病巣を断つか、2.胃リンパ節への転移10%を無視し、転移しない90%に逃げて「経過観察」の道を選ぶか・・・いずれにせよ6月17日(水)の私からの「選択告知日」までは、こんな日々だろう。もう『4がん5バトル』を闘って来た旅人なのだが、逆にそれ故に悩むのかも知れないが。


【9・風が運んで来る「気配」・2015年05月30日(土)】

[ふつと影がかすめていつた風]
 

 所在無いので、片手松葉杖で散歩に出掛ける。公団裏のプロムナードだ。右手には淀川の堤防が聳えている。2009年までのように、「堤防の上を川風に吹かれながら歩けば、どれほど心地良いだろう」と思う。2010年に痛めた右膝は、1ヶ月もしない内に左膝にも伝播して、私はもう、この堤防を攀(よ)じ登れないのだ。


 堤防上の散歩の素晴らしさだけを、【生還へのフォアボール】327~328Pから、せめてお伝えしよう。


 「対岸の大都会・大阪の摩天楼群を甘い視界の中に置き、名も知らぬ鳥の群れが逃げもせずに草の実をついばむ堤の上を、風に吹かれながら歩く約一時間は、私にとっては足腰を鍛えることだけでなく、魂の開放と遠い想い出の数々と向き合う至福の時間である」


 「今、釣瓶(つるべ)落しの晩秋の夕陽のような、気忙(きぜわ)しいばかりの老残の日々を送っている身にとって、想い出、特にあの青春の日々の悠久がひたすら恋しい。青春の時は、いつまでも姿を変えない夏の日の入道雲に似て、ゆっくりゆっくり流れていた。いつも餓えていたくせに、徒手空拳の強がりの口笛も吹けていた。へこんだ夕暮れも、眠りにさえつけば明日の太陽は又、東の空から無限回昇ってくれる確信すら有ったものだ」


 「淀川堤の上に展開される壮大なパノラマとオゾン、過ぎ行く風の心地良さに驚くほど心が穏やかになって、満天の彼方から、それこそ降り注ぐように想い出が落ちてくる。忘却の彼方に隠れ住んでいた人達も、殆ど忘れていた言葉や映像の数々も、開放された心にキラキラと舞いながら落ちてくる。雲に言葉を投げかけてみて、この淀川堤の散歩のあと、書きかけの原稿が推敲(すいこう)されて行った数は、数え切れないほどだ」・・・


 ロストした人生や、故障してしまった肉体を悔やんでいても仕方が無いので、痛い脚を庇いながら黙々と小幅で進む。それでも時折、堤防を越えて淀川の風が、帽子を手で押さえるくらい吹いて来てくれる。心は『胸の振り子』で一杯なのに、その風が山頭火を運んで来てくれるのだ。


 山頭火はうつむきかげんに黙々と峠を越えようとしている。西の空はもう赤く、夕暮れを伝えに来る風が躊躇(ためら)いがちに吹き始めている。もう杣人(そまびと)も里に下りたのか山道に遭う人影も無い。急がなくては日が落ちる。今夜の宿のアテは未だ無いのだ。


 そんな時、山頭火の傍らを「ふつと影がかすめて行く」ように風が過ぎて行ったのである。その影は何だったのだろう。孝行できなかったお袋さまなのか?先に逝った恩人なのか?いつも自分を思ってくれている友人たちなのか?別れて行った女房・子供なのか?・・・


 山頭火は折に触れ、様々な人間模様が風に乗り影となって傍らを掠めていく気配を感じ続けていたのだろう。

 
 私の傍らを「風に乗ってかすめて行く影」は、音信不通を通している女房であったり子らであったり、先に逝った先輩・後輩たちであったり、変わらぬ厚情を与えてくださる先輩方や友人たちであったり、恩人たちであったり裏切り者たちであったり、浮名を流した人たちであったりと様々である。


 人はみな等しく絶頂期・個人バブルの「昔」を持っている。そしてその「昔」にとり憑かれて現在の不遇を嘆き、不遇からの脱出でもがき苦しむ。山頭火でさえ[ふつと影がかすめていつた風] に幾百回、幾千回悩まされながらの彷徨だったろうか。 私の中では、この句と並べ賞したいもう一句がある。


 [よびかけられてふりかへつたが落葉林]・・・である。
 

 ここではもう未練・煩悩は風から降り、影から声になってはっきり山頭火に呼びかけている。山頭火は「驚き」よりも「懐かしさ・恋しさ」で振り返ったのだ。しかしそこには落ち葉林が広がり、風が吹いていただけだったのだろう。堪らない寂寥感だ。


 向こうの方から、飼い主の〔ご近所さん〕を引きずるように、豆のように小さいのにパワフルな〔ルル坊〕が走って来るのが見える。咳き込んだフリをして、「山頭火による涙目」を拭う。私の愛犬だったシベリアンハスキー・〔長七郎〕の、頭部ほどの大きさのヨークシャーテリアの〔ルル坊〕である。


 私の脚が悪いのが分かっていて、私の前をソロソロと「散歩指導」してくれる豆姿の可愛さに、心が救われる。ありがとよ。


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