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今、こんな本を書いています

2016年02月06日
(今、こんな本を書いています)


・2009年12月に、友垣・諸兄諸姉からの温かい浄財と、東京・青月社の若き望月社長の男気で出版出来た私の「3がん4バトル闘病記」=【生還へのフォアボール】(338P)は、1.無名の作家で、2.闘病記のジャンルゆえヒット作とはならなかったものの、全国の『がん診療連携拠点病院』(当時407拠点)の書棚に置いて戴き、名も顔も知らない幾多のがん患者さんやそのご家族の「励まし」のお役には立ったようである。


・2013年06月29日、「行乞流浪の俳人・種田山頭火の研究第一人者」と言うか、「種田山頭火を発掘した人」と評しても良い〔村上 護〕氏が、膵臓がんで逝去された。私より1歳上だけの、勝手に近しい存在だっただけにショックだった。初版の【生還へのフォアボール】は、1.私の闘病記を縦糸に、2.私の心の此岸(しがん)に数多(あまた)の思い出を記して旅立たれた親友・畏友らのエピソードを横糸に編んだ作品だったが、2版目にあたる今回の【がん連戦と山頭火】は、1.私の3・4・5次がんバトルを縦糸に、2.孤軍奮闘する私の心に熱く添ってくれた『村上 護氏編・山頭火句集』を横糸に編んでいる最中である。


・今日はその、書き出し=序章だけをご案内したい。また折々(抜き抜きになるが)、ご紹介したいと思う。一応2016年06月29日=「村上 護氏の祥月命日」に上梓したいと念じている。破線以下。(実際は装丁されたり挿絵がふんだんに入ったりして、読みやすく親しみやすい出来上がりになる)


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【序章・『がん連戦と山頭火』起稿の日・2015年5月01日(金)】


「投げだしてまだ陽のある脚」


 まさかの「7年ぶりの胃がん」で、私は72歳の最終章である2015年4月20日に愛知県がんセンター中央病院(名古屋)に入院して、翌21日に「未分化早期胃がん・内視鏡的剥離手術」を受け、予後養生を終えて28日に退院し、帰阪したばかりである。


 禁酒の期間を甘く見て、4時間の手術中、消化器内科の麻酔が最大量でも私には全く効かず、生き地獄のような苦しい手術だった。大阪を出る時切った爪が、恐怖のためか伸びたような辛い、天罰覿面(てんばつてきめん)を骨身で知った4時間だった。


 入院した時は肌寒く、冬装束で大阪を後にしたが、入院中に急速に初夏となり、落ち武者のように訳の分からないスタイルでの帰阪だった。そして私の名乗りだった『3がん4バトルを凌いだ古参兵』も、自動的に『4がん5バトル中の旅人』に変わってしまった。


 私の初版本【生還へのフォアボール】(2009年12月出版)は、私の〔3がん4バトル〕を克明に記した338Pの闘病本であるが、その闘病戦記と心の移ろいを縦糸に、私の心の此岸(しがん)に色濃く影を記しながら、彼岸に渡った多くの友垣・縁人(ゆかりびと)の物語を横糸にして紡いだものであった。


 正直言って、がん患者の心根は複雑なものである。「雨に打たれた子羊のように心細い」ことも、「家族を中心に、周りの愛情が細やかなほど、死んでゆくのは自分独りという孤独感・自虐感に苛(さいな)まれている」ことも、私は骨身で知っている。


 私は〔3がん4バトル〕の戦場から毎回舞い戻るというタイトロープを渡って来たが、〔3次、4次、そして今回の5次バトル〕は大阪風来坊の身ゆえ、家族にも兄弟親戚にも告げず、私の終生の財産と言っても良い友垣らの声援・支援だけを頼りに戦場に赴き、生還した。


 2005年4月・62歳最終章で大阪風来坊になった理由(わけ)は、自業自得・恥多きことゆえ今更書かないが、1次バトル・58歳の折、高校時代の剣友・南 義治君(故人)が見舞いに差し入れてくれた、〔村上 護〕氏編の『山頭火句集』(単行本=その折は、私は芭蕉の崇拝者なのでパラパラ見で終わった)の一句、一句が、〔3、4、5次バトル〕を独りで闘う私の、秘かな心の支えになってくれた。


 私は「人の不幸を低く見て、己を高みに置く」ような狭量・非常識ではない積もりだが、種田山頭火その人の、「生きようとする執念と、7年に及んだ行乞流浪の旅心」がページから湧き上がってきて、私の闘病のファイティングポーズを、高く維持してくれたのだ。


 私の〔3次、4次バトル〕は、2008年の3月と5月、私の65歳最終章と66歳の初頭であった。そして72歳最終章の今回の「5次バトル=未分化早期胃がん・内視鏡的剥離手術」の結果は、剥離した未分化胃がんが、①2cm以下大、②胃粘膜の1層目に留まっていたという条件はクリアしたものの、③潰瘍性アリということで、教科書通りなら消化器外科に転科して再入院し、「胃の4分の3を切除する」という大手術を受けるか否かの「被告席」に座らされることとなったのだ。


 私は直感的に、①73歳になった身で、②4分の1になった胃を抱え、③一人暮らしで殺人的に暑い大阪の夏は乗り越えられまいと判断し、この性質(たち)の悪い未分化がんが、果たして胃のリンパ節に浸潤してアチコチに転移するかどうか、いわば乗るか反るかの「経過観察」を選択する道を選んだのだった。(生まれついての「先楽後憂」の能天気が、そうさせたのかも知れないが)


 今思えば私は、当たり前のように伸びやかに、うららに陽の照る海道を上っていた。それが霙(みぞれ)降る峠道へと一転したのは、2000年・58歳の〔1次バトル〕を闘ってからであろうと感じている。


 私は愛知県がんセンターの、主治医の先生方のゴッドハンドのリレーと看護スタッフの親身なケア、家族と畏友の熱い支援で、〔1次バトル=レベルⅣ・末期大腸がん〕の困難な戦場から無事生還できたのであるが、今思えばその命と引き換えに、海道から一転、峠道人生を歩み始めていたようなのである。それは、知らぬ間に「メビウスの輪(帯)」の裏側へ、歩を進めてしまっていたと例えても良い。


 人生は公平にできているらしく、私の商運・金運は、人智を超えた大いなる力の判断によって、命運と交換されたのだと、今更しみじみ思えるのである。それが幸せなのか不幸なのか。「死に時を間違えたな?」という、重い後悔の念も絶えず脳裏を過(よぎ)る。だからこそ、未練がましく命長らえた者としての贖罪の思いも込めて、「一人でも多くのがん患者を元気付けたい」と、本日この著作をスタートさせたのであるが・・・


 今回の【がん連戦と山頭火】は、「孤軍よく奮闘せし私の3次(肝臓転移がんと胆嚢の開腹切除手術)・4次(新生分化型胃がん内視鏡的剥離手術)・5次(新生未分化型胃がん内視鏡的剥離手術)がんバトル」の闘病記録を縦糸に、折々の私の心の屈折に優しく添ってくれた、山頭火句集を横糸に編み込み、初版本・【生還へのフォアボール】の姉妹編として書き上げようと思っている。


 どなたも続編を、期待しておられない、無名作家の気楽さである。


 誤解の無いように申し上げておくが、私は「俳句の世界」も「自由律俳句」の世界も全くの素人であるし、ましてや「山頭火の研究家」でもない。だからこの【がん連戦と山頭火】では、私も一介の書生であるし、この本を手にとって、山頭火に興味を持ってくださる読者の方々とは机を並べる同門の間柄となる。


 ただ山頭火の数多(あまた)の句の中の、不撓不屈(ふとうふくつ)の思いが湧いて出ているような「投げだしてまだ陽のある脚」が、老いてもこれから著作の旅の草鞋を履く、私の心を奮い立たせてくれる。何も欲張らず、何も恐れず、清々とした一歩を踏み出そうと、心の奥底に「沸沸とした闘魂」を湧き上がらせてくれているのだ。


 本書をお読み下さって、健康な方々は益々お元気になり、病(いたつき)の方々には、闘病の熱い心を燃やして戴ければ幸いである。そして「山頭火入門」の方々には、がんバトルという、或る意味凄惨な戦場で、私が山頭火の一句一句をどう感じたかにご共鳴戴き、この書が「山頭火という人物に興味を持たれ、山頭火の句の世界で遊ぶ」戸口になって戴ければと願うものである。


2015年5月01日(金)起稿 著者・「がん戦友」・織伊 友作(Olii-Yuusaku)

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