西部邁氏が語る野坂昭如氏のこと
2015年12月10日
(西部邁氏が語る野坂昭如氏のこと)
http://www.sankei.com/life/news/151210/lif1512100029-n1.html
・私は「野坂昭如氏の優しさ」と「異常なまでにシャイ」なことは、童謡=『おもちゃのチャチャチャ』の作詞、アニメ・映画=『火垂の墓』の原作、愛犬・シベリアンハスキーの帰りを待って犬小屋に寝泊りしていたエッセー=『かくも長き不在』、そして毎度の「ベロベロの酩酊ぶり」。
・非礼な大島渚に右フックを浴びせ、後はスイッチオンのマイクで大島からの2発の反撃を、抵抗せずに直立不動で頭に受けていたこと・・・などから理解していた積もりだ。大好きな「昭和の漢(おとこ)」だった。
・西部邁(にしべすすむ)氏が、野坂氏の思い出を語ってくれている。左に突っ走り、その愚かさに覚醒して保守中道に戻った勇気有る人である。サヨクからすれば「転向者」なのだろうが、私は「持って生まれた頭脳の良さが、サヨクに染まり切れずに覚醒した」と思っている。
・同じように共産党NO.4だったか5だったかから覚醒した〔筆坂秀世〕氏も、私は好きである。産経ニュースから、産経ニュース・[野坂昭如さん死去]の記事を以下。(GOOGLE画像から、西部邁氏を1枚拝借)
・「【評論家の西部邁さん『面白いけどアブナイ人』】産経ニュース・[野坂昭如さん死去] 2015.12.10 13:47」(写真:インタビューに答える野坂昭如さん=2000年7月、東京都杉並区の自宅)
・「テレビ朝日系討論番組『朝まで生テレビ!』で隣に座ることが多かった評論家の西部邁さんは『紋切り型の正論』ではなく、むしろ反逆の人。社会から阻害されている弱者を応援する正義の人だった」
・「ただ、非常にシャイなため、そういう心を逆説にくるんで話すからわかりにくい。言葉の人ではあるが行動もする。三島由紀夫の影響を受けた日本浪漫派の最北端(解説:対極、今のアホ言葉ならマギャクだろ?)にいたと思う。ただ、ちょっとしたことや誤解で暴力をふるったり突進したりするからアブナイ人でもあった」
・「面白いけどアブナイ人。僕は好きだったけどね。東大を辞めたときには非常に心配してくれて、新潟からおいしい米を送ってくれました。だけど返礼に北海道の鮭を送ろうとしたら『いらない』という。僕は自分の小心さをユーモアに包んで話すほうだけど、彼もそうだったんじゃないかな」
・「戦後の混乱期に青春時代を送ったせいか、我慢づよく粘り強い人でもあった。胃を多分、半分以上切り取っていたと思うけど酩酊しやすくてね。でも最後のギリギリまで正気を保っていましたよ」・・・
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