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昭和の大女優・原節子さんも9月に逝っていた!

2015年11月26日
(昭和の大女優・原節子さんも9月に逝っていた!)

http://www.sankei.com/entertainments/news/151125/ent1511250012-n1.html


・24日の、「7月に亡くなっていた川崎敬三さん」の訃報の括りに、「それにしても毎年のことだが、年末にかけては訃報が多いなぁ?」などと書いてしまったから早速罰(ばち)が当たった!昭和の大女優・原節子さんも「9月に亡くなっていた」ことが分かってしまったのだ!


・大正9年生。昭和も90年だから、「95歳の大往生かぁ」と思うしか仕方が無いが、22歳下の私にとってはホント、「キラキラした大女優さん」だった。巨匠・小津安二郎監督独特のローアングルもあってか、当時の日本人としてはグラマラスだった。第一、目鼻立ちが「日本人離れ」していたもんなぁ。


・原節子さま、有難うございました。花咲き乱れ、乳の香流れる極楽浄土を楽しげに歩いておみえだと思います。当然あの時代の「シームドストッキング」でしょうが、どうか「伝線(こういう字だったか?)」しませんように。楽しい旅路を元気に行かれますようにお祈り致しております。


・産経ニュース・[原節子さん死去]から、記事を以下。

・「【昭和の大女優、謎の引退で伝説に】産経ニュース・[原節子さん死去] 2015.11.25 23:30」(写真:GOOGLE画像から、2枚拝借)


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・「9月に亡くなっていたことが分かった原節子さんは、100本を超える作品に出演し、日本を代表する映画女優として活躍した。引退後は50年以上にわたって公の場から遠ざかって静かに暮らし、若いころのイメージを国民の記憶にとどめたまま世を去った。まさに伝説の大女優らしい生涯だった」


・「大正9年、2男5女の末っ子として生まれた原さんは、義兄で映画監督だった熊谷久虎氏の勧めで、高等女学校を中退して日活入り。昭和10年、15歳のときに『ためらふ勿(なか)れ若人よ』で銀幕デビューを果たした」
・「若いころは日本人離れした彫りの深い美貌に演技が追いついていない『大根役者』とのレッテルも張られたが、昭和24年に公開された小津安二郎監督の『晩春』や今井正監督の『青い山脈』(解説:あぁ、憧れの〔島崎雪子センセイ!)の演技で高い評価を得た」


・「自身、ある対談で『私は終戦の年まで女優を言うものを職業として、それほど意識していなかったんです。素人と同じだったわけですね。ですから、カメラの前で芝居をするっていうのは、とても恥ずかしくって…』と振り返っている」


・「『晩春』以降、小津監督の映画には欠かせない女優となり、『麦秋』『東京物語』などに出演した。小津監督は『原さんほど役柄に対する理解が深く、知性や教養があらわれる演技ができる人はいない。彼女が“大根”のような演技をしたとすれば、それは監督の方が悪いのだ』との言葉を残している」


・「映画出演は37年の『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』が最後で、翌年に死去した小津監督の通夜に訪れて以降、公の場には姿を現していない。引退宣言などもなかったため、引退の理由は定かではなく、諸説あった」


・「その後は取材要請があっても『私はもうおばあちゃんですから』と断り続け、鎌倉で親族と悠々自適の暮らしを送っていた。平成5年に現役時代に住んでいた東京都狛江市の自宅跡地を売却した際、長者番付に名前が載って話題を呼んだこともあった」・・・

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