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8/13は、愛犬の13回目の命日

2015年08月15日
(8/13は、愛犬の13回目の命日)

・8月13日は、私が愛育した愛犬の祥月命日であった。もう「逝って13年」である。いつまでも引き摺っていてはいけないと世通の方々は言うけれど、最後に抱いて寝た「七三21日」のあの苦しそうな吐息と体温が、73歳になった今も忘れられない。


・13日は「忘れよう!」と必死にブログを綴ったが、その反動が14日に来た。「想いがいっぱい」で、何も新聞記事・電子版に目が、頭が、行かないのである。若し「頭脳」と「心」が分離していても、14日はその両方とも「愛犬:長七郎」への想いで一杯だった。「富士山が噴火して、日本列島が海溝に雪崩落ちても」、私の想いは変わらなかったと思う。


・日付は残酷で、「もう8月15日」になっている。古い読者の方々は、「前にも読んだな?」とお思いかも知れないが、私が「愛犬:長七郎」を想う気持ち・記述は、やっぱり拙著:『生還へのフォアボール』の167Pから169Pへにかけてには敵わないと思う。


・毎年「同じ記述」になるかも知れないが、先ずは「愛犬:長七郎」を喪った私の気持ちを8/15になってしまった日付ながら以下。


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・「【8・2 愛犬『長七郎』も逝く・・【閻魔の遣い】七発目のデッドボール】


・今日も私の部屋の、壁一面に貼られた大きなプリンタ写真の長七郎が、私に一心に笑いかけている。凛とした風貌ながら、笑顔が何とも可愛い子だった。今でも時折、深夜に降臨してくる。掛け蒲団が急に重くなるので分かる。朝目覚めると、心なしか部屋に長七郎の残り香があって切ない。


・『シベリアンハスキー』は日本から姿を消したに等しい状況であるし、あのハスキーブームも二度と戻らないだろう。飼った人間には理由がよく分かっていて、逆にホッとしている。まずハスキー犬の、あの二重羽毛が日本の湿気には残酷だ。春先にはもうゼーゼーと暑がっていた。それと決して隷属(れいぞく)できない誇りの高さが、飼い犬としては哀れだった。
 

・よく「ハスキー犬は馬鹿で人間の言うことが分からない」と言う人が居るが、それは違う。何でも充分理解しているのが目配りで分かっていた。人間に隷属しないだけなのである。だからハスキー犬とは主人と犬の関係になれない。あくまで対等のダチなのである。狼に一番近い犬種だから、その誇りには凄まじいものが有ったのだろう。遠い昔、ベーリング海峡を渡った子牛のように大きい『アラスカン・マラミュート』が、酷寒のシベリアの風土に適合するため小型化し、雪の反射から目を守るため目の周りにゴーグルを備えた・・というロマンチックな説が私は好きだった。


・長七郎は、白黒毛・ブルーアイの雄で、吸い込まれるような瞳の、見事に凛とした顔立ちをしていた。三十五キロの大犬のくせに人懐こく、「シベリアン」の冠をぬいで冬の夜は殆ど私の部屋に入り浸り、私の蒲団の上で寝た。大男の私は、いつも蒲団の端で小さくなって寝ていたものだ。ご他聞に洩れず長七郎は散歩好きだった。機関車のように力強く、大男の私を牽いて山坂道を登り降りした。雨でも風でも雪の夜でも出撃した。だから私は、通常酒だけでなく深酒して夜中に帰っても、もつれる足送りを気にしながら散歩をした。


・ハスキー犬の寿命は八年位だと言われていたが、私は長七郎を十五年は生かしてやろうと可愛がった。毎年夏は、家族が凍えるほど冷房した車に乗せて、一週間ほどE高原に避暑に出かけた。高原の夏の花畑を疾駆する長七郎は、私に夢中でカメラを連写させるほど飛びっ切り美しかった。家では悪ふざけの遊びが過ぎて、長七郎は甘噛みのつもりが私の大怪我となり、私はよく外科病院に通ったものだった。


・しかし十一年を過ぎて、長七郎は急速に衰えて行った。凛々しいお座りの姿勢も困難になって行き、死ぬ直前には、義母の住む母屋や離れや、自分の家のアチコチ隅々まで潜りこんで、子犬の時と同じ行動をしてみせた。思えばすべての想い出に別れを告げる、長七郎なりの別離のセレモニーだったのだろう。もう階段を上がって来られなくなった二階の私の部屋にも、ある晩突然駆け上がって来て一夜私に抱かれて寝た。しかしそれが長七郎の最後の力だった。その明くる日から私がアウトドア用の寝袋を持って階段を降り、階段下の廊下で長七郎を抱いて寝るようになった。それは三週間・二十一夜にも及んだ。


・二〇〇二年八月十三日の日の出時、私と芙美子と蓉子、それに東京から駆けつけていた裕之みんなに体をさすられながら長七郎は天に駈けて逝った。首をもたげ、もう見えない目で苦しい息の下から二声鳴いて、別れを告げて逝った。十一歳五ヶ月、がんだった。


・大好きだった車の自分の定位置・後部スペースに、今はもう横たわった雄大な長七郎に大きな花輪を供えてやり、可愛がってくれた義母にも挨拶をして口数の少ない家族共々、私は視界が霞む目をこすりながら長七郎の火葬に向った。田舎の素朴な火葬場。長七郎が天に召されて行くような、真直ぐ立ち上る煙が切なかった。


・その夜は、未だ熱い骨箱を抱いて、長七郎の散歩コースを家族で延々と辿ってやり、長七郎の立ち寄っていた場所ごとに、骨箱を降ろしてやったものだ。こうして無垢(むく)な心で私を慕い続けてくれ、私の最大の癒しであった愛犬も、人生最大厄の私の身代わりとなってくれたのか、まるで紋太センパイの後を追うように逝ってしまった。


・【閻魔の遣い】からの、七発目・哀惜のデッドボール、そして私にとって僅か一ヵ月半に二発の、痛い痛い連続デッドボールであった。


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