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母ちゃん、17回目の祥月命日ですよ

2015年06月25日
(母ちゃん、17回目の祥月命日ですよ)


・私の〔3がん4バトル〕闘病本:【生還へのフォアボール】の出版と拡販に尽力してくれた貝沼青年(現役柔道家の頃は『怪物クン』という仇名がピッタリだった)が、仕事を手伝ってコンピュータを操作している私の前を通り過ぎながら、「【生還へのフォアボール】にはあなたの智慧の泉のような言葉が散りばめられているが、やっぱり胸を打つのはお袋様との別れの場面だなぁ。カミさんも何度も泣いとった・・・」言葉尻は涙声だった。


・私の家に転がり込んで、息子のように過ごしていた新入社員の頃、「また今日も茄子の天婦羅かぁ」と愚痴った怪物クンに、「気に入らんなら、食べなさんな!」とお袋様がピシッと逆襲していたのを思い出す。


・今日は91歳(私56歳)で旅立った私の母の17回目の祥月命日である。昨年投稿した「後にも先にも、私が唯一親孝行したと山陰の旅」も好きな記事だが、今日は【生還へのフォアボール】242Pから247Pを紹介させて戴こう。破線以下。


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12・2 ICUからHCUに移動、二〇〇八年三月二十二日(土)・術後二日・入院6日目


・がんバトルももう三次になったので、私の神経が図太くなったのか、母の彼岸での居場所が遠くなってしまったのか、亡き母の叱咤の声も聞こえて来ない。「一次の折には母の、『この意気地なし!』の声と、右手に握られた鯨尺物差しの折檻に随分助けられたなぁ」と、朝まだきICUでうつらうつらしていたら、その懐かしい母がスッと夢枕に立った。


・今回のがんバトルの厳しさを知って、来てくれたのだろう。別れの時に見た母と違って、私が小学校時分だろうか? 随分若く大柄である。優しい目でジッと私を見ている。胸が震えて、「かぁちゃん!」と呼びかけたら目が覚めた。少し頬が濡れていた。


・いつも幼い私を自転車の後ろに乗せて、海軍さんらしくハイカラに、毎月のように洋画を観に連れて行ってくれた父が、私四十一歳の本厄で逝った時の寂しさは、私にとって一入(ひとしお)のものが有った。しかし母を喪ったそれは、切ない中にキリキリと痛みを伴う程のものであったため、このページに至るまで綴るのを躊躇(ためら)っていたが、ここで恥ずかしながら、読者の多くもご経験がお有りであろう母との別れを綴らせて戴きたい。


・【追想「いくつになっても母との別れは」・・[閻魔の遣い]三つ目のデッドボールだった・・・]


・こうしてがんバトルを闘う身となった今、つくづく母が先に逝ってくれて良かったと思う。末っ子の私にとって、限りなく優しい母であった。東京・玉川奥沢町の寮で、O社の新入社員長期研修に勤しんでいた折、母から荷物が届いた。開けたら巨大な手縫いの掻巻(かいまき)(綿入れの夜着)だった。袖を通してみたら、表はやんごとない濃紫で裏は真紅、まるで児雷也である。


・私が風邪をひかないようにとの、母の愛情だった。名曲・『かあさんの歌』は「手袋」だが、私には「掻巻」だった。寮母の磯野さんはじめ寮生は爆笑だったが、私は切なくて笑えなかった。


・長兄が脳梗塞に倒れ、車椅子の病院暮らしになって久しいが、たまに元気な顔を見せに家に帰って母を安心させていたし、長兄の嫁さんがやさしい心根の人で、歩けなくなった母の介護を親身にしてくれていた。長兄の、子供が二人居る一人娘が、家に帰って来たことも私にとっては逆にラッキーなことであった。


・その姪っ子は、事情があって幼い頃私の両親が手塩にかけて愛育した娘であった。だから老残(ろうざん)の母にとっては、やさしい嫁と、自分の娘のような孫と、そのひ孫たちに囲まれた、貧しくとも幸せな最晩年となったからである。


・「おじちゃん、会っておいた方がいいと思う」と、姪っ子が私に電話をくれたのは一九九八年六月二十五日、「おばぁちゃんが、この二,三日急に弱ったので」と言う。名古屋市のド真ん中の中区から、副都心とはいえ遠い名東区に一棟借りの新社屋を建てて多忙を極めていた私は、間違いなくもう半年以上も母を見舞っていなかった。


・七十六歳の時八十八歳で旅立った父を立派に見送ってくれた気丈な母は、その後も明るく快活で、「わしのことは爪の先ほども心配せず、人様の大事なご子息を預かっているお前は仕事に精を出しなさい」が口癖だった親心に甘えて、長兄一家に母の介護を丸投げして、強欲に自分の夢だけを追い続けていた身勝手過ぎた私だったのだ。


・半年前に会った時、ベッドに起き上がった母はハキハキと物は言っていたが、やがて私は、「母は久し振りに見る私を、自分が産んだ子だと認識していないな?」と察知して愕然とした。私が暫く横着をして顔を出さない間に、母は魂の一人旅を始めてしまっていたのだ! 遠い黄泉(よみ)の彼方から母親が迎えに来ているのだろう、母は突然泣き出して、「なんでこの歳になって、こんなにオカァが恋しいんだろう」と視線を泳がせる。幼女に戻ってしまったような母だった・・・


・そんなことを胸に溢れさせながら車を飛ばし、駆けつけて見た母は、たしかに姪っ子が電話で言ったとおり、半年前とは全く様相を変え小さくなってベッドに寝ていた。それは殆どもう、お迎えを待つだけの姿だった。私は母の手を握り、嫂や姪っ子の手前も構わずに、眠りの淵に引き込まれようとしている母の呆(ほう)けてしまった記憶に奇跡を起こそうと、「かぁちゃん!かぁちゃん!」と、子供に戻って何度も呼びかけ続けた。そして、やっぱり奇跡は起きたのだ!
 

・突然目を開けた母は、幾重にも痴呆の膜がかかった瞳ながら正気が戻ったように真直ぐ私を見つめて、懐かしそうに愛おしむように、「おう、おう、おう」と声を上げ、私の手を強く握り返してくれたのだ。それは紛れもない私の母の表情だった! 「かぁちゃんありがとう、な、かぁちゃん!」・・・あとは嗚咽(おえつ)で言葉にならず、私は大粒の涙を雨のように母に落としていた。母も涙を流しながら、疲れ果てて又眠って行った。


・月末処理の決済が溜まっていたため母を姪っ子と義姉に託し、一旦会社に戻った私は、結局母の死に目に立ち会えなかった。いや、先刻の「あれ」が死に目だったのだろう。二,三時間後、「おばぁちゃんの容態が急変して、さっき息を引き取りました」という姪っ子からの再びの電話を聞き呆然としながらも私は、冥府(めいふ)の戸口、痴呆の靄(もや)の中から必死に抜け出して末っ子の私のところへ還り、まっすぐ私を見つめて手を強く握り返しながら、別れの声までかけてくれた母の瞳を、ひたすら恋しく想い出していた。


・次兄は、姪っ子からの知らせを受けて車で母のもとへ向ったものの、工事渋滞に巻き込まれてやっぱり母の死に目に会えなかったという。葬儀当日は、明るく快活だった母を送るにふさわしく、抜けるような青空だった。多くの町内の方々にも見送られ、母は恙無く旅立って行った。会葬の御礼は、病院のベッドの上からという長兄の挨拶文を、葬儀社が代読してくれた。


・火葬場からの帰りのバスで、次兄が母の骨箱をそっと持ち上げ車窓からの景色を見せていた。「おかぁさん、いつでもウチにいらっしゃいね!」と心強く言ってくれていた次兄の嫁さんの背中も小さく丸い。次兄夫婦のその後姿に、私は心から感謝していた。


・母を送って二週間ほどして、病院に長兄を見舞った姪っ子が、「おばぁちゃんは亡くなって、おじちゃんたちが立派に送ってくれたよ」と伝えたそうだ。長兄は窓の外を眺めながら、「そうか、そうか」とうなずいていたが、まだ日が高いのに急に、「寝るわ」と言って背を向けて蒲団にくるまってしまったという。姪っ子のその電話報告から、私には長兄の深い悲しみが伝わって来た。長男として父母の面倒だけは当然の義務のように見てくれた長兄は、それだけに母が逝ってしまった衝撃も大きかったのだろう。


・ここに、母の葬儀にご厚情を賜った私の縁の方々に、私が送った七七忌明けの挨拶状が残っている。今読み返しても涙腺がすぐゆるんで、想いが母の元へ飛び立ってしまう・・・


「あの日から 月が苦手になりました
風の夜 独りの月が寂しそうで 心の壁が崩れ落ちます
母の背に揺られ 月明りの中で聞いたお伽話の数々や
銭湯の帰り道 母と戯れて寒月の影を踏みあった想い出が
たまらなくなつかしく胸に溢れます
鬼の大男は此のところ
詫びて詮ない不孝の重さによろめきながら 
愛犬と行のように 月影の散歩に出かけております
先般 亡母 〇〇〇 の葬儀の節は ご鄭重なるご弔詞並びに(以下略)」 ・・・


・「詫びて詮無い不孝の重さ」・・我ながら簡潔に、親不孝を詫びていると今更思う。母が旅立った一九九八年の手帳の、十一月の或る日曜日欄に私の鉛筆書きの拙句がある。「いわし雲 幼き吾れと 眺めおり」・・・そうだった。秋色の濃くなった十一月、庭に出てボンヤリと夕陽に染まる鰯雲を見上げていたら、いつの間にか傍(かたわ)らに子供の頃の私が現われて、何の違和感も無く大小の二人で暫く眺めていたのだ。


・やがて空の茜色が急に濃くなって、懐かしい母の呼ぶ声に曳かれ、子供の私は駆け出して帰って行ってしまった。しかし・・・「そうか、今の私には、もう母は居ないのだ」と気付くと、夕暮れと共に寂寥感(せきりょうかん)が、私の足元から這い上がって来る想いがしたものだ。そんなことを、手帳は憶えてくれている。

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