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今日は〔紋太センパイ〕の13回目の祥月命日

2015年06月28日
(今日は〔紋太センパイ〕の13回目の祥月命日)

・幸運な人は、困難な人生行路を行く旅路で、恩人・畏友・心友という「宝物」に出会うことが出来るという。私にとっては、1.1998年7月30日に逝かれた〔石出御大〕が先ずその「恩人」であり、2.2002年6月28日に逝かれた〔紋太センパイ〕がその「畏友」であり、3.1995年12月4日に逝かれた〔JOEさん〕がその「心友〕だった。


・そして私が何をやっても、絶対「花丸」評価をくれ、私の「絶対与党」として無防備に背中を預けられるのが、この「畏友」と「心友」の存在だった。考えてみれば私は、そういう大切な人々を早々に喪い、荊軻(けいか)のように、「風蕭蕭(しょうしょう)として易水寒し 壮士ひとたび去ってまた還らず」の心境の余生を送って来たような気がする。


・今日は「畏友・紋太センパイ」が逝って13回目の祥月命日。拙著:【生還へのフォアボール】の163Pから、「胸厚く、温かかった」先輩を偲んでみよう。破線以下。

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8・1・5 想い出のセンパイの言葉、そして・・【閻魔の遣い】六発目のデッドボール


・「紋太センパイは多才だったから、ロマン演歌の作詞だけでなく、洒落の利いたワンフレーズを記した大判色紙も数多く残している。センパイの色紙は人気があり、幅広い交遊関係に流布(るふ)されていると思われるが、私にとって、その声音(こわね)と共にいつまでも切ないのは、見舞ったベッドサイドで聞いたセンパイの生の言葉の数々である。・・・

「友ちゃん、俺、乞食になってでもいいから、病院の外の娑婆で暮らしたいわ」

「友ちゃん、お前の会社ダイジョーブか? なんなら俺の退職金、少し持ってくか?」

「友ちゃん、売上が妙に上がらん時は『幹部のパクリ』に気を付けなよ。客と企んで売上を隠すことなんか、したたかな社員は平気でやるよ、友ちゃんが育った大企業と違って・・」

「友ちゃん、俺、片肺になっちまったけど、また昔みたいにお前と唄えるんだろうか? ん? ウソつけ! 俺はもう今までみたいには、声を張って唄えんような気がするなぁ・・」

「友ちゃん、お前が招待してくれた温泉旅行、楽しかったよ。あの山ん中の温泉の野天風呂で、ポカンと口開けて空を見上げてたらトンビがクルクルっと輪を描いてよ、『三橋美智也』の世界そのまんまだったぜ。また行きてぇなぁ」

「友ちゃん、痛くないのかって? 馬鹿野郎! あばら骨切り取った傷だぞ、そりゃ痛いわさ。『痛い、痛い』と言ってもしょうがないから言わないだけだ。四六時中、ズキンズキンと心臓と奥歯に響いているわ」

「友ちゃん、お前んとこのあの婦長が言っていた『重粒子線』なぁ、勿論ここでも訊いてみたよ。でもあれは腫瘍向きで、俺の肺腺がんには無力だって・・」

「友ちゃん、そうか、抗がん剤を半年以上もやってたのか? でも楽でよかったなぁ。俺なんか最強の肺腺がんだもん、あの強烈な抗がん剤は三ヶ月でもうタクサンだ。副作用が苦しいなんてもんじゃなかった。何度窓をぶち壊して、飛び降りたろうと思ったか知れんわ」

「友ちゃん、『洗面器に水張って、顔を付けたときの息苦しさ』って言えば分かるか? とにかく四六時中、息苦しくってしょうがないんだ」・・・」


・「見舞った私を帰さないよう、センパイの取り留めのない話は延々と続いたものだ。そして何時間枕辺に居ても、私が『それじゃまた』と立ち上がると、『何だ、もう帰っちゃうのか?』と淋しい顔を見せるセンパイだった。今となれば詮無いことだが、もっと長く傍に居てあげれば良かったと思い返している私である」


・「既に左肺を失っていたセンパイは、三月二十八日にやった、残る右肺の上葉の転移を抉り取る大手術のあとに残された治療は、もう、辛い抗がん剤治療しかなかった。センパイは、肺がんの特効薬と喧伝(けんでん)され始めた【イレッサ】の登場をひたすら待ち侘びて、『もう少し頑張る』、『もう少し粘れば』と、最後までファイティングポーズを高くキープしつつ、二〇〇二年六月二十八日、六十五歳で逝った。最初の手術から実に三年近い凄絶(せいぜつ)な闘いの末、私の中の最強・最愛の鉄人はついにその闘いの拳を静かに下ろしたのだった」


・「台湾からの親友の見舞いに、親戚のドクター差し回しの酸素供給車に乗り、VIPルームを借り切って最上の寿司パーティを楽しんだり、季節はずれの鰹のたたきを堪能しに〔弟のスーさん〕の肩につかまって盛り場に出かけたり、センパイは一代の遊び人らしく豪快に逝ってしまった」


・「センパイの葬儀の通夜の晩は、天が抜けたかと思えるほどの豪雨が、古刹の参道を覆う巨大なテントを叩いていた。律儀に通夜に駆けつけてくれた主治医の佐藤ドクターは、『がんの末期には、モノを食べたら、食べるエネルギーと消化するエネルギー、それに排出するエネルギーで体力を消耗するため、チューブでつないでいわゆるスパゲッティ人間にしてしまうのです。でも僕は、紋太さんのような死に方、好きです』と言って泣いた」


・「葬儀の朝は一転、抜けるような青空になった。最後まで明るく、懸命にがんバトルを闘い抜いた紋太センパイの旅立ちにふさわしい好天だった。センパイは、古い小さな町が埋まってしまうような大勢の参列者に送られて旅立って行った。棺が山門を出る時、クルリと振り返り私を見て、シャイに笑ういつものセンパイの後姿の幻を見たような気がして、私は思いっ切り泣いた」


・「『センパイ、『肺腺がん』でよくぞ三年近くも頑張りましたね、本当にお疲れ様でした。私の入院手術の折のご厚意も決して忘れません。楽になってそっちでゆったり、お待ちかねの石出御大と遊んでいてください。いずれ私も、まっすぐ皆さんのところへ参りますから・・・」と、私は心から手を合わせた」


・「紋太センパイを喪ったことは、自分の分身が居なくなってしまったような喪失感だった。来し方の楽しい歴史も想い出もゴッソリ消えてしまったような恐ろしく淋しい孤独が、ビョウビョウと遠山で野犬が啼く夜のような大きく暗い闇が、一斉に訪れて来た感じだった。そして何よりも私は、何が有っても常に私を支持し、二重丸・花丸を投票し続けてくれた私の人生最大の支持者・与党を喪ってしまったのである。【閻魔の遣い】が私の頭に向って投げた、頭蓋骨に響く六発目の大危険球デッドボールであった」・・・

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