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私の5次がんバトル:4/28退院の日

2015年05月10日
(私の5次がんバトル:4/28退院の日)


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・昨夜も7時間は眠れたようだ。今日も良い天気で夏日和だ。お向かいさんは昨夜も寝息が聞こえていたから、今日の食道がん手術(頭頚部)の腹が括れたのだろう。人間「不安」が昂じて「山よりも大きな猪」を見たりするものだが、この何日かの私の体験談が多少はお役に立っているのだろう。


・私は1次も3次も、開腹手術の朝はナースに浣腸されたが、お向かいさんは必死で「男性の看護師さんに!」と昨夜から懇願していたのが可笑しかった。希望通り男性の看護師が来て浣腸も終わったようだ。お向かいさんの奥さん・弟さん・息子さん(海外)のお嫁さん・8ヶ月のお孫さん、みんながお見送りに来ている。お向かいさん、晴天の太陽に時々雲が過(よ)ぎるような不安が顔に出て、弟さんにからかわれている。


・9:00分、田近ドクターの私への回診と同じタイミングで、手術室から戦闘服(手術着)を着たナースがお向かいさんを迎えに来る。家族は7回東のエレベータ前まで、私も部屋を出て廊下でお向かいさんにガッツポーズを送る。お向かいさん、手を振って元気に出撃して行った。ついでに体重を量ったら、ジャスト90kg!


・私の2000年の1次バトルの折は、ストレッチャーで4階手術棟まで運ばれたが、2008年の3次バトルの折は、病棟のナースとランデブー気分で歩いて行った。ただ同じ部屋の人から、「いや、歩いて行ったら、余りの手術スタッフの多さに『オォッ!』という怖さが有りましたよ」という予備知識を貰っていたので怖くは無かったが、手術帽を被せられ「では頑張って下さい!」と病棟のナースが去って行く時、まるで自分の娘に見捨てられたような寂しさを感じたものだ。そんなこともあって、「手術室のナース」が迎えに来るように変わったのではなかろうか?


・今日は11時頃、今回最終の胃カメラ検査があるので、水分も8:00分まで。勿論朝粥もヌキである。ツクネンとテレビを観ていたら、予定通り11:00分に山口ナースから「呼び出しがありました」との連絡。片手松葉杖突いて2階の内視鏡部へと向かう。今日は退院しなければならないので、「効かないのに1時間静養義務の麻酔注射」は止めて、喉のうがい痺れ薬だけで確認検査を受けることにする。


・田近ドクターの姿は見えず、藤田ドクターと、名前は知らないが顔見知りの精悍なマスクのドクターと2人。腹式呼吸は慣れているので、手術着のナースに誉められながら5,6分で検査終了。ただ藤田ドクターが「この黒いのは何ですか?」と先輩ドクターに訊き、「あ、それは関係ないよ」という会話の後、「はい、出血も無く、本日退院出来ます」と藤田ドクターのご託宣。


・部屋に戻る時にナースセンターに居た山口ナースに、「昼飯(粥)は食って退院するの?」と訊いたら、「はい、空腹で途中で倒れたら大変ですから」と。ナースセンター事務のベテラン、鶴田麻里さんがヤマト便の手配をし、着払い伝票を取ってくれていたので、大型スポーツバッグ満杯の荷物(下着は全部洗濯してある)を預ける。(1階のコンビニが全部やってくれていたのだが、今の仮店舗にはその機能無し。賢い鶴田さんが機転を利かし、走り回ってくれたのだ)


・入院した20日は雨で春寒日和だったが、今日はもう夏日和だ。ジーンズはフランネルの裏地付きなので、ステテコを脱いでパンツ一丁で履く。柄シャツの上に着て来た薄物のセーターは、流石にヤマト便に入れた。しっかしま、黒のハーフコートは見た目にも暑そうだが、着ないと「甲羅を剥がれた亀」みたいで格好が付かないわなぁなどと帰りの装束に腐心していたら、山口ナースが「ドローンです」と言って、アルロイドGを都合3本、レパミピド錠とパリエット錠までドッサリ持って来る。小型のスポーツバッグを肩掛けにして来て良かったわ。


・ナースセンターで山口ナースに「名前とバーコード入りの腕輪」を切って貰い、鶴田さんにも礼を行って2階の入院棟と外来棟を結ぶガラストンネルを渡って会計に。今回は私の亡き師匠の幼馴染のM子さんから、思いがけない剛毅なお見舞いを事前に戴いていたし、阿部センセ・遠藤クン・古川クン、更に身元引受人を頼んだ原クンやHちゃんからもお見舞いも戴いてしまったので、病院会計は楽々だった。ご厚志、有難うございました!


・しっかしま、さすがにこの春装束で電車を乗り継いで行く勇気も無く、足元も覚束ないので「ままよ!」と〔つばめタクシー〕を呼び、名古屋駅新幹線口まで行って貰う。それでも昼間だから、3680円で済んだ。丁度来た大阪止まりのガラガラの〔ひかり〕に乗り、水を買って一息つく。臭いの無い世界に8日間居たせいも有るだろう、同じ車両の3人の太め外人女性の香水やら、前方に居るインド人ペアの香水やらで頭が痛くなる。


・米原で「部屋のスペアキーが入っているバッグをヤマト便に入れてしまった!」と思い、〔鍵の110番〕に電話。16:30分に部屋前で待ち合わせのアポ。クソッ!また1万800円の出費だ!と佛佛言っていたら、京都でジーンズのポケットにオリジナルキーが入っていることを確認。安堵すると共に、慌てて〔鍵の110番〕にキャンセル電話。重々詫びておいた。


・新大阪から「近距離用タクシー」に乗り(1800円)、午後4時に住まいへ。出かける時は、住まい近くの桜も若干名残の花を咲かせていたが、今日はもう、香るような新緑になっていた。部屋の守り神になっている長七郎(シベリアンハスキー)の写真に帰還の挨拶をし、パソコン脇の壁の上部に、1.木下クンが送ってくれた貴船神社の肌守りと、2.ご近所のルル坊の母が、ルル坊繋がりで戴いて来て下さった(5/8日、ルル坊の肛門内腫瘍は良性だったとのこと。良かった!)大宮(我らの氏神さま)の肌守りを吊り下げる。


・それから、分厚い名刺入れに入っている1.両親、2.亡き師匠の滝さん、2.加藤のオジキ、3.菅野大人、4.JOEさんらのラミネート写真に、帰還報告とお礼を述べる。さぁ、5月13日の田近ドクターの外来で、「早期がんでしたから、きれいに取れました。ただ未分化がんなので、内視鏡検査の頻度を上げ、半年に1度としましょう」と告げられたら〔吉〕、「残念ですが下のほうに浸潤していました。胃の全摘になります」と告げられたら〔凶〕である。


・ただこれまで〔3がん4バトル〕を14年半闘い、幾つもの切所を乗り越えてきた私は、「胃の全摘になったら痩せて、学生時代の体重に戻れるんじゃないか?大体73歳になるのに、100kgも90kgも可愛くないから、せめて80kgの前半くらいになれるか?酒も暫くは飲めないんで、長年大酒に耐えてくれた私の肝臓も、ピンシャンの状態に戻るんじゃないか?」などと、得意のプラス思考を巡らす。


・こうして肉ヌキ・豆ヌキ・海藻ヌキの食生活が、今月一杯くらいは続きます。そして〔吉〕と出た場合も酒は、6月一杯、否、6月後半頃まで我慢する積もりです。ただ大阪の夏の暑さは格別ですから、胃の調子を見ながら、ビールでも呑まないと死んでしまうような・・・「私の5次がんバトルのご報告を終わります。


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