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柔道王・斉藤仁さん54歳で逝く

2015年01月20日
(柔道王・斉藤仁さん54歳で逝く)

http://www.sankei.com/sports/news/150120/spo1501200009-n1.html


・さっきも元中日の本塁打王:大豊選手が51歳で逝った記事を書いたばかりだ。今度は柔道の斉藤仁選手が54歳で逝ったとのこと、おいおい、みんな早すぎるぜ!


・確かに私の友も50年前の東京五輪中量級(岡野:金メダル)の控え選手だったが、柔道を辞め、私との酒池肉林の「酒と薔薇の日々」に溺れ(尤も、「薔薇」はモテル私の専売特許だったが)、中量級の筋肉質が見る見る110kgにまでなっていた。


・40年ぶりに大阪で遇った彼は、先輩が「お前、干物みたいになったなぁ」と驚くほど、隆々とした骨格はそのままで、肉を40~45kgも削いでいた。あまりに早い柔道部OBの寿命に、「これではイケン!」と西野流呼吸法に弟子入りし、もう20数年、毎週3回の呼吸法の稽古を欠かしていない。「やり遂げる人」は何に対しても熱心だが、私のような遊冶郎(ゆうやろう)にはダメだ。キマリがノルマになり、ストレスになってがんになってしまうと思われるのだ。


・それにしても斉藤選手、日本柔道会のためによく頑張ってくれた。金メダルを腰のポケットに入れ、総合格闘技で「出ると負け」「血だるま」になっている石井彗とは人格が違う。


・人格が違う話では、記事の中でも「斉藤は山下に8回挑んだが、一度も勝てなかった」というのには異議が有る。最後の試合は、どう見ても斉藤選手が勝っていた。しっかしま、審判は「人格・風格の差」で山下を勝たせた。若い斉藤の「え?どうして?」の疑問の表情が私には焼きついている。しかし利口な斉藤は、「瞬時に『勝ってはいけないこと』に納得し」、あとは殊更平静を保っていたのも生々しく覚えている。(写真を1枚、GOOGLE画像から拝借)


Photo_4


・若いのに無念だろうが、元気に旅立ってくださいや。産経ニュースから、記事を以下。

・「【ロス、ソウル五輪で金メダル 柔道の斉藤仁氏が死去】産経ニュース 2015.1.20 10:10」(写真:斉藤仁さん)


Photo_5


・「柔道男子95キロ超級の1984年ロサンゼルス五輪、88年ソウル五輪の金メダリストで全日本柔道連盟強化委員長の斉藤仁氏が20日、入院先の大阪府東大阪市内の病院で死去したことが複数の関係者の話で分かった。54歳だった」

・「山下2世、ソウル五輪でも“お家芸”守り唯一『金』、男泣き・・・関係者によると、一昨年末に胆のう周辺に腫瘍がみつかり、闘病生活を続けていたが、昨年12月から容体が悪化していた」


・「青森県出身。東京・国士舘高在学時から重量級の逸材として注目されてきた。3学年上で203連勝を記録した山下泰裕氏の後継者との呼び声も高く、『山下2世』とも呼ばれた。83年の世界選手権無差別級で優勝し、84年のロサンゼルス五輪では95キロ超級で金メダルを獲得。一方、山下氏とは8度対戦し、一度も勝てなかった」


・「山下氏引退後は、度重なるけがに苦しみながらも、88年の全日本選手権で初優勝し、同年のソウル五輪では日本唯一の金メダルを獲得。お家芸の面目を保つとともに、日本柔道界初の五輪2連覇を成し遂げた。引退後は指導者の道を歩み、日本男子ヘッドコーチなどを経て、2000年から08年にかけては日本男子監督を務め、04年アテネ五輪、08年北京五輪でも指揮を執った」


・「12年11月には全日本柔道連盟の強化委員長に就任。翌13年に発覚した女子日本代表の指導陣による選手への暴力、パワーハラスメント問題で揺れた強化現場の立て直しに奔走した」・・・


・【織伊友作の時事巷談】と、【織伊友作のがん患者への応援歌】に同時掲載。

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