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菅原文太アニィまで逝ってしまった!

2014年12月01~02日
(菅原文太アニィまで逝ってしまった!)

http://www.sankei.com/entertainments/news/141201/ent1412010021-n1.html


・私が彼の演技を観た最後は、2009年番の『白旗の少女』だったか?ガマ(洞窟)から少女を送り出す時に、「この棒に白旗を括っておいたから、手放すんじゃないよ」と諭す老爺(老夫婦)の役だったと思う。あの独特の声、優しい演技が心に残っている。


・新東宝の『ハンサムタワーズ』でのデビューはパッとしなかったが、任侠映画・実録路線で菅原文太の地位は不動になった。高倉健の「任侠モノ」は、鶴田浩二の流れを汲む「お芝居路線」だったが、菅原文太・松方弘樹らの「任侠モノ」は、おどろおどろした、正に「実録路線」だった。「広島弁」を「丸暴弁」にしたのは、菅原文太ではなかったのか?


・私は菅原文太映画で好きだったのは、「任侠映画・実録路線」ではなく、愛川欽也との相性が抜群だったハチャメチャ映画:『トラック野郎』の方だったかも知れない。見終わった後の爽快感が、今もワクワクさせてくれる。追悼シリーズで是非、テレビ放映して欲しいものだ。


・我らはこの年の瀬に、1.高倉健と、2.菅原文太という好漢を、立て続けに喪った。「健さん」が寡黙だったとすれば、「文アニィ」は語り部だった。しかも独特の「引き摺るような言い回し」が彼の個性だった。記事ではよく分からないが、「健さん」が11月10日逝去なら、「文アニィ」は11月28日に逝ったのか?GOOGLE画像から、珍しい「健さん・ガッツ・文アニィ」の写真を以下。


Photo


・「【菅原文太さん死去、評伝…『日本や日本人憂える言葉次々』】 2014.12.1 21:07」(写真は、菅原文太さん(平成24年11月撮影))


Photo_2


・「平成18年に公開されたアニメ映画『ゲド戦記』で、主人公を導く大賢人ゲド役の声優として出演が決まったときのコメントは忘れられない。『この作品で風の又三郎のように大風を巻き起こし、列島にうずたかく積もったカネと欲望の塵とほこりを吹き払い、徳ある国の姿を見せてくれるに違いない』」


・「当時、生活の拠点を東京から岐阜県内の農村に移し、自らもクワを手にして汗を流していた。そのころ、社会面の連載記事『人語り』で取材したときも、日本や日本人を憂える言葉が次々と出てきた」


・「『だってそうだろ。おれもいろいろやってきたけど、ちっともブレーキがかからない。ますます欲望の暴風雨のようなものに巻き込まれてるよね』『まず大人から教育し直した方がいい。ぜいたくなもの食べて、いい車に乗って、高いべべ着て。改めることがたくさんあるんじゃないの』」


・「そう話しながら感情をあらわにすることはなかった。逆にあの渋い声、重みのある語りが心に響いた。その翌年(19年)、主人公の祖父役で出演した映画『バッテリー』の招待券をいただいた。お礼の電話をかけると、『子供たちは自分らが考えている以上に感性が鋭いよ。大人は彼らを生かしてあげなきゃ。ぜひ、観てあげてよ』。あきらかにやさしい声だった」


・「文太さんは映画『仁義なき戦い』をはじめとする出演作で多くのファンを魅了する数々の名言を残した。ただ、私にとっては取材でいただいた言葉が最高の名言だった。(鈴木裕一)」・・・


・うぅん、ブン屋の記事は不完全燃焼だなぁ。日テレの「松方弘樹」の会見記事でフォローしよう。以下。

http://news24.jp/entertainment/news/1636698.html

・「【会見:後輩・松方弘樹、沈痛『早いよ…』】  2014年12月1日 19:47」
 

・「俳優の菅原文太さんの訃報を受け、映画『仁義なき戦い』で共演した俳優の松方弘樹(72)が1日夕、都内で会見。文太さんとの思い出を語った。松方はきょう午前中、友人から『亡くなったようだ』との連絡を受けた。『信じられない』という思いから、午前中は話をできる状態ではなかったという」


・「『もう、嫌になっちゃうね。(菅原さんが亡くなったのは高倉)健さんが亡くなって(から)18日目だよ。26日に愛川欽也さんと会ったときに菅原文太さんの話になった。今、思うとあの時に電話をしておけばよかった。(体が)弱っているって聞いていたので、弱っているときはあまり積極的に電話をする気になれなくて…』と悔やんだ」


・「9歳上の菅原さんとは、松方が25歳の時から一緒に仕事をし、多くの作品で共演した。『最初は競争心、敵がい心があったけど、一緒に作品をやり、一緒に飲んだり、食べたりしているうちに、あの男気に惚れまして。追いつけ、追い越せ!という思いでやってきた』と振り返り、『僕が主役の映画『修羅の群れ』に49歳で一番いい時の文太さんが出てくれた。すごい人だなと感じた。男はこうでなくちゃって』と言葉をつむいだ」


・「菅原さんは2007年ごろに膀胱(ぼうこう)がんが発覚したが、回復後に会ったときは元気そうな姿だったという。最後に電話で連絡を取ったのは3年前。『『体調はどうですか?』って聞いたら、『うん、まあ、大したことないわ』って』。役者引退を表明し、山梨で農業をしていた菅原さんに『『仕事をやってくださいよ』って言ったら、『う~ん、もういいよ』って言っていました。もうちょっと粘って仕事をお願いしておけばよかった』と振り返った」


・「俳優としての菅原さんを『一番近くて手の届きそうな先輩だけど、先をちょっとずつ走っていく。いつの日か追いついて追い越さなきゃという…。高倉健さんほどの憧れはないけれど、一番近くて手が届きそうで、届かなかった先輩かな、今思うと…。大きいです、すごく。度量が…。男前です』と評して目を潤ませた」
 

・「10年以上前に、菅原さんから劇中で使っていたサングラスをもらったという。『僕は(顔の)幅があるから、10個のうちの2~3個しか使えるのがなかったけど。あの人、顔がちっちゃいから』と笑いながら回想し、『形見ですね』とポツリ。天国の菅原さんに『早いよ…!もう何作品か見たかった。白髪の文太さん(の映画)が見たかった』と無念の思いを口にした」・・・


・【織伊友作の時事巷談】と、【織伊友作のがん患者への応援歌】に同時掲載。

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