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東京五輪最終聖火ランナー坂井氏の死を悼む

2014年09月10日
(東京五輪最終聖火ランナー坂井氏の死を悼む)

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http://sankei.jp.msn.com/sports/news/140910/oth14091019290014-n1.htm


・勇姿、晴れ舞台というのは、正に1964年10月10日の東京五輪、聖火点灯のことだろうと今も思う。私は大学3年生の剣道部・秋の合宿。愛知県蒲郡のお寺さんのテレビで観た。「俺、大学入って、海を初めて見ただ」と言った山間僻村育ちの俊六クンも、料理上手で「今日の味噌汁の出汁は、鶏のガラ5羽だから美味いぞ!」と胸を張った信用金庫に行かれた先輩も、みんな14インチのテレビの前に正座して、泣いて観た。

・拙著:【生還へのフォアボール】327Pから、「青春の日々」を懐かしむ数行を。「今、釣瓶(つるべ)落しの晩秋の夕陽のような、気忙(きぜわ)しいばかりの老残の日々を送っている身にとって、想い出、特にあの青春の日々の悠久がひたすら恋しい。青春の時は、いつまでも姿を変えない夏の日の入道雲に似て、ゆっくりゆっくり流れていた。いつも餓えていたくせに、徒手空拳の強がりの口笛も吹けていた。へこんだ夕暮れも、眠りにさえつけば明日の太陽は又、東の空から無限回昇ってくれる確信すら有ったものだ・・・」

・私より3歳も若いのに、東京五輪の開会式で最終聖火ランナーを務めた坂井義則氏は、脳出血で69歳を一期として旅立ってしまった。2020年の東京五輪&パラ五輪には、欠かせない人だと思っていたのに。謹んで、そのお旅立ちの恙無いことをお祈りする。有難うございました。

・MSN産経ニュースから、記事を以下。

・「【『聖火でつながった炎の絆は胸に…』 哀悼の声相次ぐ】MSN産経ニュース 2014.9.10 19:29」(写真は1964年10月10日、東京五輪の開会式で最終聖火ランナーを務めた坂井義則氏=国立競技場)

・「昭和39(1964)年東京五輪で最終聖火走者を務めた坂井義則さんが10日、亡くなった。6年後の東京五輪を見ることなく世を去った坂井さんに、関係者から哀悼の声が相次いだ」

・「『聖火でつながった炎の絆は、ずっと胸に持っていたい』。沖縄で聖火の第1走者を務めた沖縄県浦添市の宮城勇さん(72)にとって、坂井さんとのつながりは一生の宝物だ」

・「走者決定後、電話で励まし合った際、坂井さんが『聖火を持って国立競技場の階段を駆け上ることを考えると、興奮してカーッとなる』と生き生きと話していたのを覚えている。今でも、聖火台での坂井さんの雄姿が目に浮かぶ。『自分も一緒に走っている感覚を覚え、点火のときは鳥肌が立った』と振り返る」

・「五輪開催中、国立競技場で初対面を果たした。『またいつかゆっくり話をしよう』と約束していた。『こんなに早く亡くなってしまうとは…。約束もかなわず、残念だ』と悔やむ」

・「東京五輪重量挙げ金メダリストの三宅義信さん(74)は『坂井さんが聖火台に火をともす姿を見て、次は俺たちがやるぞと気合が入った。本当に寂しい』と悼んだ」

・「坂井さんは昨年9月、産経新聞の取材に『6年後の東京五輪はスタンドの端でいい。思い出話に花を咲かせながら聖火点灯を見られたら楽しいだろうなあ』と語っていた。宮城さんは『私以上に五輪に強い思いを持っていた。無念だと思う』と冥福を祈った」・・・

・【織伊友作の時事巷談】と【織伊友作のがん患者への応援歌】に同時掲載。

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