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今日は良き友だった岩佐三朗クンの、2度目の祥月命日

2014年06月15日
(今日は良き友だった岩佐三朗クンの、2度目の祥月命日)

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・小さな体で「夢多く、男らしく生きてくれた」岩佐三朗クンだった。請われて、日本で錚々たる会社のいくつものコンサルタントをやった。いつも陣頭指揮でエネルギッシュだった。ニッカリ笑った白い歯が、とても印象的だったが、小柄で年中「佛佛」と何か言っている風貌から、新卒入社の年の暮れ、2ヶ月の合宿研修で、私が『ご隠居』の仇名を付けた。恐らく未だ、23歳だったろうに、『ご隠居』の誕生だった。

 

・そんな彼にも「無差別がん爆弾」は容赦なく落とされ、70歳を一期に旅立った。心優しい、真っ直ぐな男だった。彼の生き様は、【仕事師】(青風堂書店)に詳しい。ご本人は上梓前に力尽きて逝ってしまったが、1.賢い伴侶だった奥様と、2.『ご隠居』に叱られながら頑張った〔涙の女性ライター〕の手で完結している。221P,心に残る良い本だ。

 

・さて彼の2回目の祥月命日(3回忌)にあたり、賢い奥様もご存知ない、ハチャメチャな『ご隠居』の若い頃の話を書かせて戴こう。読者の皆様は勿論だが、法事を終えられた奥様にも笑って戴きたい。

 

・昭和41年(1966年)の年末の話である。10月20日頃から12月20何日まで2ヶ月間、15人の精鋭?が、東京・世田谷区玉川奥沢町の寮に軟禁された。広大なお金持ちの家を、会社が買ったのか賃貸で借りたのか、広い中庭をコの字で抱く2階建ての豪邸だった。玄関には洋瓦の洒落た応接間も有り、食堂兼共同勉強用に、大きな洋間が有った。〔磯さん〕というチャキチャキな江戸っ子のオバサン(今思えばお若かったのだろう、私ナンザ年中叱られた!)が寮母さんだった。

 

・新卒入社で、半年あまりのフィールド経験を終えた我ら5期生は、1.岩佐(故人)、2.西野、3.釜谷、4.分林(今、M&Aでテレビ出演多数)、そして5.私だった。4期生が一番多く、1.吉村(故人)、2.斉藤、3.横澤、4.赤木、5.萩尾、6.山田、7.竹内さんたち。3期生は、1.鎌本(故人)、2.神吉、3.藤原さんたち、総計15名だった。

 

・未だ電動計算機と電動タイプライターがGL(ジェネラルライン)と言って会社の基盤であった折、会計機(後のオンラインシステム端末機)を学ぶということは、ワールドワイドエンタプライズだった世界企業の未来志向で、我らも01,02,03,04,05という「分かりやすいスーパーバイザーへの道」を目指さず、難解な迷路に入り込むようなものだったのだ。今でも分からないのだが、そのスーパーバイザーのグレードが05なのに、我らは2ヶ月の難関を突破すれば08というグレードになるのであった。「未来班」だったのかも知れない。

 

・当時は路上駐車はアタリマエダで、東京の先輩らも多かったので目黒区碑文谷の本社研修室までの通勤は、3台の車の分乗だったが、『ご隠居』と私はいつも、2万円とか3万円とかで横澤さんがどこかから買って来たアメ車の超ガタガタの巨大車だった。コラムシフトで、前3人・後ろ3人の6人乗りだったと思うが、運転する横澤さん以外5人は全員胡坐で、下には小柄な『ご隠居』やらが4人ばかり潜り込み、我らのコートで目隠しして「見た目6人・実は10人乗車」の行き帰りだった。

 

・さてここまでは罪が軽い話だが、やがて我らは寮母の〔磯さん〕が謝罪に回る事件を起こした。大体悪事の言い出しっぺは4期生の、1.横澤さん、2.斉藤シンペーさん、3.吉村酋長さんだったが、奥沢神社に奉納して積み上げてある四斗樽を2個、拝借して帰ったのだ。1個は私が背に担ぎ『ご隠居』がサポートした。もう1個は〔酋長さん〕が背に担ぎ、〔シンペーさん〕がサポートして持ち帰った。

 

・深夜、寮の中庭で、未だチャオプチャプ言っている残り酒をバケツに移して、山賊並みに酒盛りする筈だったが、一口飲んで「オエーッ!」だった。酒は正しくアセトアルデヒドに変容していたのだ。明くる土曜日、寮母の磯さんを先頭に、同じメンバーで四斗樽を2個、奥沢神社に返しに行った。シッカリ禰宜(ねぎ)に油を絞られた。

 

・しっかしま、若さは無敵である。正確なメンバーは覚えてないが、当時のマツダキャロル(360CC)を藤原さんが運転し、4人は車で、6人は徒歩で緑ヶ丘に長い坂を下って呑みに行った。緑ヶ丘でヘベに呑んだが、又〔横澤さん〕の提案で、10人全員がキャロルに乗りこんで真っ直ぐ寮まで帰ることになったのだ。

 

・私が先に斥候に出たが、ナニ、お巡りの影もない。藤原さんはギアをローに入れたまま窓に押し付けられて潰れ、前席にも無理やり2人が乗り込んだ。後ろ座席には当然4人。私は大柄なので、ハナから天井のヤモリ。誰かがボンネットに横腹ばいになり、『ご隠居』はトランクに後ろ向きに座った。バッチリ10人である。

 

・全員で高らかに「軍艦マーチ」を歌って発進したが、キャロルのトランクはどうにも座ってられない。『ご隠居』が即刻転げ落ちた。しかも2度も。〔シンペー〕さんが「隠居も天井に貼り付け!」と言い、みんなで押し上げられて『ご隠居』は小さな天井に私と並んでへばり付くことになった。お互い「落ちるなよ!落ちるなよ!」と言いながら、私は左手で『ご隠居』の腰を、『ご隠居』は右手で、私の背中を掴んでいた。

 

・「♪チャンチャン チャンチャラチャッチャ チャッチャッチャッチャッチャン!まぁもるもせむるも くぅろがねのぉ~」生まれて延々72年間、あんなに楽しい「軍艦マーチ」は聞いたことがない。そして『ご隠居』の破顔一笑!ニッカニカの笑顔も死ぬまで忘れないだろう。

 

・「酔っ払ってマツダキャロル360CCに10人乗って、深夜の緑ヶ丘から玉川奥沢町の寮までを高歌放吟!青春の、それこそ鮮やかな「カラーフィルムのひとコマ」である。『ご隠居』さんよ、思い出したかえ?鎌本サンにも立石クンにも井上ノリオセンパイにも会えたんだろうなぁ。よろしくね!

 

・【織伊友作のがん患者への応援歌】と【織伊友作の時事巷談】に同時掲載。

 

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