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いやぁ、凄かった5月5日のこどもの日

2013年05月07日
(いやぁ、凄かった5月5日のこどもの日)

http://hochi.yomiuri.co.jp/giants/news/20130506-OHT1T00012.htm

・5月5日の長嶋・松井の感激のまま70歳最後の5月6日を終え、とうとうさっき、71歳になってしまった!ブログも感激で1日送ったわけである。プロ野球ファンというより昭和を共に駆け抜けた一員として、5月5日の「長嶋・松井:国民栄誉賞授賞式」は最高の演出だった!

・「ク、クソッ!ナベツネにまんまとやられた!」と思いながらも、長嶋茂雄という人は、どんだけのスーパースターだっただろう?と、改めて心に刻んだ。そして同時に、「長嶋、大鵬・柏戸、ファイティング原田などと昭和を駆け抜けた」自分に、幸せを感じたものだった。

・長嶋茂雄という人は、ほんにスーパーヒーローだったのだ。老いて病んで、左手1本のびっこの老人に、何でこんなに泣けるのだろうと心底思った。そして左手1本で打席に入った老人が「打つ気満々」で背中を丸めた時、涙が吹き出してテレビ画面は見えなくなってしまった。

・松井秀喜も偉かった。自分はあくまで謙虚に、終始この「長嶋と言う英雄」に添っていた態度は日本中のファンに好感を与えただろ?これで「ナベツネの作戦」とは言え、「読売ジャイアンツの次期なのか次々期監督なのか?」は松井秀喜にキマリだろ?いや、それでいいと思うよ。

・お蔭で私個人としては、70歳最後の日を、「松井のサポートの麗しさ」と「英雄・長嶋の健在ぶり」で胸いっぱいに過ごすことが出来た、有難う!報知のhttpから、感動の記事を革めて以下。

・「巨人・長嶋茂雄終身名誉監督(77)=報知新聞社客員=と、巨人、ヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏(38)が5日、背番号『3』と『55』をつけたユニホーム姿で東京Dへ帰ってきた」

・「2人の国民栄誉賞授与式、松井氏の引退セレモニー後に行われた始球式では、夢の“師弟対決”が実現。ミスターは本気で打ちにいったが、投手・松井氏がまさかの大暴投で結果は空振り。それでも2004年の脳梗塞発症後では初となるバッティングを披露して、集まった4万6000人を超えるファンの涙を誘った」

・「まさかの結末に、長嶋さんが悔しさをあらわにした。左手で握ったバットを真ん中あたりで持ち直すと、地団駄を踏むように上下へ大きく振った。打ちたかった。本気だった。『気持ちが高ぶりましてね。いい球が来たら打ちたかったのですが…』。頭の上あたりに来た松井氏の投球に、上体を伸ばしてスイングしたが、あえなく空振りに終わった。それでも、背番号3のフルスイングに、4万6707人の大観衆は酔いしれた」

・「『3』と『55』が東京Dへ帰ってきた。松井氏の引退セレモニー、2人の国民栄誉賞授与式に続いて行われた師弟による始球式。ミスターが2001年9月30日以来、4235日ぶりに東京Dでユニホーム姿を披露すると、拍手と大歓声が鳴りやまない。上着だけの着用だったが、背番号『3』の上に名前を入れないなど、強いこだわりもみせた」

・「続いて松井氏が02年11月23日のファンフェスタ以来3816日ぶりに上下、巨人のユニホームでマウンドへ上がると、球場のボルテージは最高潮に達した。カラフルなミットを手にした原監督が捕手役、『(内閣総理大臣が)96代だから』という理由で、背番号96のユニホームを着た安倍首相が審判という超豪華なメンバーでプレーボール」

・「ミスターは現役時代と同じようにバットを一握り短く持った。松井氏がモーションに入ると、一瞬身を沈めた。『監督が打つという殺気を感じました』と冗談めかして振り返った松井氏が、監督に打ちやすい内角高めのボールを意識しすぎて、まさかの大暴投。原監督が躍り上がるような格好でナイスキャッチした。頭を抱えた松井氏が『もう1球』とお願いするなど、球場は笑いに包まれた」

・「4月1日に国民栄誉賞の授与構想が発表されてから、ミスターは鋭い打撃を披露することで、ファンをあっと驚かせながら病状の回復をアピールするつもりだった。メーカーから支給された重さ600グラムの始球式仕様の特製バットだけでなく、900グラムの硬式バットも使って連日、30分近く素振り。4月下旬にはリハビリ施設でティー打撃を行うと、1球目から真芯でヒット。『すごいライナーのセンター前ヒットという感じでした』と関係者を驚かせていた」

・「松井氏は昨年末の引退後、野球のない生活をしていた。キャッチボールはおろか、ボールすら握っていなかったという。『どれくらい(の速度)で投げようかな』と考えた末に『やっぱり山なりでいこう』と決めたが、ボールはすっぽ抜けた」

・「『入団以来、(長嶋監督から)インハイを打たなくちゃいけないと常に練習させられたので、同じところへ投げました』と苦しい釈明で報道陣を笑わせた。最後は始球式で使われたボールを原監督が安倍首相にプレゼントして夢の時間は終わった。『久しぶりにスイングをしてうれしかったですね』。長嶋さんは松井氏を横目に笑顔をのぞかせた。空振りしても、絵になる男は健在だった」・・・

・うぅん、1日置いても、これだけ書いても興奮は収まらないなぁ。ここは一番、詩人・サトウハチローさんの力を借りるしか無いわ。〔長嶋茂雄選手を讃える詩:サトウハチロー〕より引用。

疲れきった時
どうしても筆が進まなくなった時
いらいらした時
すべてのものがいやになった時
ボクはいつでも
長嶋茂雄のことを思い浮かべる
長嶋茂雄はやっているのだ
長嶋茂雄はいつでもやっているのだ
どんな時でも
自分できりぬけ
自分でコンディションをととのえ
晴れやかな顔をして
微笑さえたたえて
グランドを走りまわっているのだ
ボクは長嶋茂雄のその姿に拍手をおくる
と同時に
「えらい奴だなァ」と心から想う
ひとにはやさしく
おのれにはきびしく
長嶋茂雄はこれなのだ
我が家でのんきそうに
愛児達とたわむれている時でも
長嶋茂雄は
いつでもからだのことを考えている
天気のいい日には青空に語りかけ
雨の日には
天からおりてくる細い糸に手をふり
自分をととのえているのだ
出来るかぎり立派に
長嶋茂雄はそれだけを思っている
その他のことは何も思わない・・・

・有難う、長嶋さん!そしていつまでもお元気で!幸せな70歳最後の5月6日でした。

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コメント

長嶋さんは、今は『巨人の星』ならぬ『リハビリの星』となっているようですね。

なんでも長嶋さんが(リハビリに)来るとパーッと明るくなるそうです。
まわりの(リハビリ中の)人達も元気になるそうです。まったく詩のとおりの存在ですね!

脳梗塞で倒れた人達の希望ですね。もうスゴイとしか言いようがないですよ。

みやとん様、

コメント有難うございました。昭和という時代が生んだのか、日本復興のために古き日本の神々が
遣わされた使途なのか、長嶋茂雄という天性の明るさ・輝きには、そんな思いすら抱かされます。

恐らくナベツネは、自分が描いた筋書きを超越する民衆の反応に、一番驚愕し、一番喜び、
一番涙していたと思います。今の子どもたちってより、我ら昔の子供たちにとって、素晴らしい
5月5日でした。

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