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大鵬=納谷幸喜さん逝く

2013年01月19日
(大鵬=納谷幸喜さん逝く)

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http://sankei.jp.msn.com/sports/news/130119/mrt13011916030000-n1.htm

・寂しい!の一言である。先ずはMSN産経のhttpから。(親しい読者の方から、「青春の大鵬を送るのは、ヒッソリでなく一人でも多くの皆さんと!」というメールを戴いたので、【織伊友作の時事巷談】にも同時掲載します。それにしても今も不思議なのは、何で大鵬関に〔国民栄誉賞〕を与えなかったのだろう?ということ)

・「大相撲の第48代横綱で同じく名横綱の柏戸と『柏鵬時代』と呼ばれる黄金期を築いた元横綱大鵬の納谷幸喜さんが19日午後3時15分、東京都内の病院で死去した。72歳だった」(解説:死因は?脳梗塞の何度目かの襲来か?)

・「納谷さんは北海道弟子屈町で生まれ、16歳のときに二所ノ関部屋に入門。昭和31年秋場所で初土俵を踏んだ。早くから将来を嘱望され、同35年初場所では、19歳の若さで新入幕を果たした」

・「20歳5カ月で幕内優勝など数々の最年少記録を塗り替えて、昭和36年秋場所後に、柏戸とそろって横綱に推挙。このとき、21歳3カ月で、当時の最年少昇進の記録だった」

・「『剛の柏戸』に対し、『柔の大鵬』といわれ、得意の左四つになってからジワジワと相手を追い詰める安定した取り口で、多くの記録を作った。幕内優勝32回、2度の6連覇、45連勝など相撲史に残る大記録を次々に打ち立て、双葉山とともに『昭和の大横綱』と評された。また、当時の子供たちに人気のある代名詞として『巨人、大鵬、玉子焼き』という言葉もあったほど、広く国民に親しまれた」

・「柏戸とのライバル対決に多くのファンが手に汗を握ったが、昭和46年夏場所で引退。優勝30回を記念して、現役の昭和44年9月に贈られた一代年寄『大鵬』を襲名した。親方としては元関脇巨砲らを育てた。また、昭和55年から8期16年にわたり、日本相撲協会の理事を務め、名古屋場所部長などの要職に就いた。脳梗塞(こうそく)の後遺症などで、平成8年2月に理事を辞任。以降は相撲教習所所長として新弟子の教育などにあたっていた」・・・

・色あくまで白く、体は柔らかく懐は深く、土俵際まで攻め立てられても、並みの力士の倍ほど有った出尻で、弓なりになってもこらえた。優勝回数32回という大記録は、いずれ破られはしようが、「巨人・大鵬・卵焼き」と、子供が夢中になる例えの中にも鎮座するハンサムで美しく、大柄な大横綱だった。

・余りの大功績に、日本相撲協会は「一代親方」の栄誉を与え、入門弟子は殺到して順風満帆の引退後人生だと誰もが思っていた。しかし脳梗塞という病魔が大鵬親方を襲った。「一代親方」の栄誉が裏目に出て、親方が稽古をつけてくれない部屋から、弟子の逃亡は続いた。彼は黙したまま庇ったが、カミサンの醜聞も彼を痛めつけた。

・運送会社大手の子会社社長の主催で、「大鵬部屋激励会」が小さなホテルで開催された時、私も参加した。私が長躯なので客が「部屋付き親方」と間違え、トイレに何回も案内させられた。その時、未だオーナーだった松坂屋の伊藤次郎左衛門氏の挨拶が心に残っている。①古今無双の大横綱といえば大鵬関です。②こんなに盛大な部屋だったのですか?の2点である。①は万人が認めること、②は小さくなってしまった部屋を、優しく激励する名門オボッチャマの優しい心遣いだった。

・愛知県津島市の津島神社境内の中の、巡業中の大鵬親方に会わせてくれたのは、私の心友だったRYOさん(55歳で逝去)だった。「昭和15年生・21世紀の会」というワケの分からないネーミングの会だったが、大鵬親方も昭和15年生なので素直に参加していたのだ。

・その折の経緯は、私がココログに投稿を始めた1ヶ月後の「チャンコ料理」に詳しいので読んで戴きたいが、私はその折に、大鵬親方にお土産として「キヤノン・オートボーイ」を置いて帰った。

・その翌日、私の社長デスクに有った事務の女の子からのメモを今も思い出す。「社長、タイホウという方から、カメラのお礼の電話がありました。名古屋場所中とのことでした」・・・そうか、小娘は古今無双の大鵬幸喜も知らないんだ!と。そして大鵬親方は「ゴッツァンです!」体質ではなく、オモチャのような土産のカメラにも、わざわざお礼の電話を下さったのだと、心がほのぼのとした。では「チャンコ料理」を。

・「2010年5月12日・・・古今無双の大横綱と言えば、〔大鵬関〕だろう。縁があって当時の大鵬部屋のチャンコを食べた。〔大鵬関〕は私の対面で、深い話と共に細々と世話を焼いてくれた」

・「『もっと食べてくれ。皆さん呑んでばかりいないで、もっとドンドン食べてくれ。弟子達が腹ペコで接待しているんだから』という彼の姿勢を、その後の呑み直しの会で『あんな細々としたお節介焼きゃがって、あれが大横綱かよ?』と多くの批判が出て、私がキレて『昭和15年生まれで、食うや食わずの生い立ちから大横綱になった〔大鵬関〕だからこその言葉だろ?』と、〔大鵬関〕擁護の大演説をぶったことも懐かしい。チャンコの味も抜群だった」

・「【ChankoDining(ちゃんこダイニング)若】が経営破たんしてしまったという。大体チャンコで多店舗展開が成功するということ自体が変だ。そんなにヤミツキになる食い物では無かったろうに。多店舗とは行かないまでも、有名店のチャンコは、『ナ、ナンダ?これは?”と思わせる飛び切り不味いものが多い。白菜鍋のようで、ブチ切れたのは名古屋と大阪で1回ずつ、ナント東京の国技館近くで2回だ」

・「その点、若い頃に信州松本で食べた名も無い力士名のチャンコ店の胡麻風味は、何十年経った今でも忘れられない。相撲取りとして出世せず、長々とチャンコ番をやった下積み力士が、引退後に食わんがために1店だけ開いた店の味が本物だということが、心底解る」

・「『土俵にバッタリ四つん這いになる』ことを嫌って、かつてのチャンコは『2本足で立つ』鶏料理だったものだ。淡白な鶏を、いかに美味しく食べさせるか?という様々な工夫が、かつてのチャンコにはされていた。おお、こうして書いていたら、又ホントに美味いチャンコを食いたい思いがいや増して来たわ」・・・

・ついこの1月10日、名門二所ノ関部屋が消滅するというニュースに、「寂しいし侘しい。再建を望む」と言ってくれていた大鵬さんだったが、それも気落ちの原因だったのか?献血運搬車『大鵬号』を寄贈し続けた(70台以上!)心優しい人でもあった。若過ぎる死・・・本当の大横綱、古今無双の力士:大鵬幸喜さんのお元気な旅立ちを心底お祈りする、夢を有難うございました。

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コメント

大鵬号を贈っていらっしゃった優しい大鵬さん。誰にでも簡単にできることではないから素晴らしい方だと思いました。

はじめまして様、

コメント有難うございました。強くて美しかった大鵬関と、律儀で優しかった大鵬親方を
懐かしく偲んでいます。

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