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還って参りました:がんへの哲学

2012年12月27日
(還って参りました:がんへの哲学)

・塒からTAXI、新大阪からひかり、名古屋から地下鉄、地下鉄駅からTAXIで今年最後になる愛知県がんセンターへ行った。年末ってこともないだろうが、病院待合はガラガラだった。

・病院の収支には微妙だろうが、がんセンターの待合が所謂切羽詰った患者らで一杯だと焦るが、逆にガラガラだと安堵する。自分ががん患者だから、「みんながんになればいい!」などと人非人のような考えは私には無い。私は耐えなければならないが、皆様にはがんと無縁の人生を行って欲しいと、心底思っているからだ。

・さて待つこと暫し。半年ぶりの主治医・佐野ドクターからの「どうぞ」である。小柄だが精気溢れる佐野ドクターはニコニコとお元気そうだった。「MRI画像に変化は診られません。CEA,CA19-9みな正常値です」

・ホッとしながらも、「しっかしま呑み過ぎで、肝臓の数値はギタギタですが」と言って見てもここはがんセンター、「ま、お酒とは上手にお付き合い下さい」の決まり文句になる。

・「さて先生、来年の検査はどうしましょう?」と言うと、「ま、織伊さん次第です。治ったと言えば治ってますし」「胃と大腸は?」「あれは2年に1度くらいです。消化器内科からは何も言って来てませんし」「じゃぁ来年の6月にMRIをやりましょうよ」「そうしますか」・・・

・佐野ドクターは、「織伊さんは珍しいケース(がんを封じ込めていることだろ?)です」と言って下さる。しかし私のがんに対する哲学は「がんには完治は無く、寛解である」「がんは必ず又、顔を出す」というものである。「そりゃ10年完治のあと、稀に再発する人も居るにはいますが」「先生、それが自分だったら堪りませんよ」

・私は2008年3月27日、佐野ドクターに肝臓再発がんを切除して戴いたあと、病室に今は亡き平井ドクターの訪問を受けた話をした。拙著:【生還へのフォアボール】257Pから。

・「12・7 個室養生継続・二〇〇八年三月二十七日木)・術後七日・入院11日目・・・本当に【G(愛知県)がんセンター 消化器外科】は、私をもう「一丁上がり」と見放したらしい。入院の際に取り上げられた血圧や糖尿の薬をナースが持って来て、自己管理せよと言う。これはもう寝ていたらいかんなと、早期退院に備えて、朝六時に起きてからズッとベッドから離れている。朝飯は全部食べた」

・「午前八時、佐合(佐野)ドクター、安城(安藤)ドクターの回診。『明日採血したCEA腫瘍マーカ値は、四月十日の外来で知らせる。数値が異常なら抗がん剤など今後の対応を考えよう。正常に下がっていたら今回の切除が有効だったということ。今回はもう、明日中にでも出て行っていいから看護師と退院日を話し合って決めて』・・などと私に告げて去る」

・「そのあと八時三十分、嬉しいことに平山(平井)ドクターがヒョッコリ覗いてくれる。この恩人と話すのは二〇〇〇年十一月の大腸がん切除手術以来だが、なんと慈悲深い目をしたお医者さんだろう。私の話を昔のままにジッと聞き、最後に、『五年完治ということで、月次検診をやめなくて良かったですね』と、喜んでくれた」・・・

・この今は亡き名医の言葉:「五年完治ということで、月次検診をやめなくて良かったですね」を本日佐野ドクターに申し上げたのである。佐野ドクターは私の、「がんに対する哲学」を理解して下さってニッコリ、2013年6月のMRI検査の指示を出して下さった。

・毎度書いているように、私は「3がん4バトル」の古参兵である。ズタズタ、ボロボロになりながらも、これまでは生還している。しっかしま、がんバトルの厳しさはよく(誰よりもなどとは言わない)知っている積りである。だから決して「完治」などの夢想はしないのである。

・「何というマイナス思考!」と思われる方々もいらっしゃると思うが、それは「何というプラス思考!」の大間違いである。がんという死病といつも対峙し、常にファイティングポーズを高く維持するには、かなりの精神力と能天気さが必要なのである。

・ただ、「両親が決めてくれたってか、神がセットして下さった寿命を全うするまで、がんを眠らせ、がんを抱いて行ってやろう」と考えていると言えば、ご理解戴けるだろうか?

・早くから呑み食いしながら、カラオケ屋が生意気に「夕方から」などとヌカシたものだからプッツンして、予定より早く近鉄電車で大阪へ帰って参りました。

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コメント

織伊様
がん完治おめでとうございます。 織伊さんの場合、私は素人ながら完治していると思います。
これから先、もし癌が見つかれば、それは再発ではなく新たなものと考えられるのではないでしょうか。
これまで何でもなかった人も癌にかかる可能性が十分あるのでしょうから。
ただ、織伊さんや私の場合、その確率が少し高いかも知れませんが・・・・・。

冴ちゃんさま、

コメント有難うございました。1次バトルの5年生存率10%の末期大腸がんを切除したものの、肝臓へ9個とやら14個とやらが転移していて、抗がん剤25回の2次バトル。この折は恐らく5年生存率は限りなく0%に近かったのでしょう。

それで2次バトルから逃れ、豊臣の残党のように肝臓の裏側で2cmに成長していた転移がん切除の3次バトル。この折の5年生存率は30~40%。その入院前検査で発見された2×4cmの胃がん切除の4次バトル。これは胃壁1層目に居てくれたので、5年生存率は100%とか。

しみじみと12年間を振り返れば、己の命1個と引き換えに、私の持てるあらゆる物が擲たれて来ました。正に凄絶です。持ち前の能天気(世間様から見れば、限りなく無責任)がゆえに、何とか生き延びて来られたと思っています。

研ぎ澄まされた大吟醸の米のような残影になってしまいましたが、死ぬるまでキラリと輝けるよう頑張って参りたいと思っております。「がんの最高到達点は寛解」・・・この戒めだけは忘れないようにしようと思っています。

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