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こういうタラレバ野郎にはアッタマ来る:勘三郎の死

2012年12月21日
(こういうタラレバ野郎にはアッタマ来る:勘三郎の死)

http://www.news-postseven.com/archives/20121216_160422.html

・このポストセブンhttpのタイトルは、「勘三郎さん『放射線治療ならあと1、2年は生きられた』と医師」である。ど素人めが!3がん4バトルの戦場からの帰還兵である私は、こういう無責任ってかタラレバ野郎にはアッタマ来る。じゃ、果敢に切りに行った医師ってか病院の立場はどうなる?

・歌舞伎役者ってか役者馬鹿に徹した勘三郎は大好きだったが、大手術のあと「切ったのに何故治らない!」と無智文盲の我儘を言い募り、2回も転院をして死んで行ったのだ。医師と病院を信じる謙虚な気持が無い。それが寿命だったんだよ。一応ポストセブンのhttpを。

・「12月11日、東京・文京区の自宅で中村勘三郎さん(享年57)の告別式がしめやかに営まれた。密葬にもかかわらず、500人もの弔問客が参列し、早すぎる別れを惜しんだ」

・「2012年6月18日、初期の食道がんであることを明かし、治療のため長期休養することを発表した勘三郎さん。2010年末に特発性両側性感音難聴を患い、2011年7月に復帰したばかりだった勘三郎さんにとっては、一難去ってまた一難、思いも寄らぬことだったろう。すでに“死”も覚悟していたようだ」(解説:それは嘘だ。何も覚悟していないから、我儘な2回転院となっている)

・「死後、放送された彼の闘病を追ったドキュメント番組『さようなら勘三郎さん 独占密着 最期の日々』(フジテレビ系)で、勘三郎さんの最後のインタビューが公開された。それはかなり切迫したものだった」

・「『初期なのにさ、1個飛んでるんだよ。転移ももうあるの。進行がんなんだよ。初期なんだよ?こんなこと珍しいんだって。そうすると生存率はぐっと下がって、30%とか12%とかなんだよ。だから笑っていられない状態なの、本当はね…』食道がん治療に詳しいおんが病院統括院長・杉町圭蔵氏は、勘三郎さんのこの発言を、こう解説する」

・「『勘三郎さんの言う“1個飛んでる”というのは、1個だけリンパ節にがん細胞が転移しているということです。それはもう“早期発見”とは言えません。ですから勘三郎さんのがんは“進行食道がん”だったんです。1個でも転移していれば、そのがん細胞はリンパ節を通って体中を流れているわけですから、他のところに転移している可能性も高い。ですから5年生存率も、3割ぐらいになってしまうでしょうね』」

・「リンパ節への転移が見つかったため、抗がん剤でがん細胞を小さくしてからの大がかりな手術が必要となった勘三郎さん。このとき、勘三郎さんの脳裏によぎったのは、今後の役者人生のことだったと前出の番組で明かしている」

・「『(手術をすると)声が出なくなるという可能性もなくはないの。手術しないで放射線でやるやり方もあるんだけど、そうすると再発も多いっていうし。だから声が出なくなってもいいから、62、3まで生きて、この感じを保つ方がいいのかっていろいろ考えるよね』」

・「手術か、放射線か──命とともに、役者生命を支える声とひきかえに下さなければならない決断。前出の杉町氏は専門的な立場からこう話す。『あくまでも仮定の話ですが、手術をせずに放射線で治療して、それから化学療法を行っていたら、少なくとも1、2年は生きられたと思いますよ』」・・・

・私の1次バトルは進行度4の末期大腸がんだった。5年生存率は10%。CT誤診のあと、手術中の目検査で平井孝ドクターが7個の肝臓転移がんを発見。実際には12個だったのか14個だったのか、もう5年生存率は0%の世界だから、ドクターも何も言わなかった。

・「切除不能結腸がん肝転移」という曲々しい病名が冠せられた。それを荒井保明ドクターが、25回に及ぶ肝動注による抗がん剤投与=「肝臓ダイレクト空爆」で奇跡的に全部消して下さった。

・しっかしま、当の荒井ドクターさえ半信半疑だったのだろう。東京の国立がんセンターへ移動の直前、私にこんなことを言われている。生々しく拙著:【生還へのフォアボール】174Pから。「私への最後の外来診察となった二〇〇四年四月二十一日(水)、荒川(荒井)ドクターは、私にしみじみこう言ったものだ。『いや、織伊さんが治ってないとは申しません。勿論完治した方もいらっしゃいますから。でも織伊さんのあれだけ多くの【肝転移がん】が、私共の肝動注の5FUによって、たった半年できれいさっぱり完治してしまったとは、どうしても私の腑に落ちないんですよ』」

・「『ですから大阪からの遠距離通院もあってお嫌でしょうが、これからも月次で通院され、腫瘍マーカチェックだけは続けてくださいね」・・要は【G(愛知県)がんセンター放射線診断部】から私に完治宣言は出されず、経過観察(寛解扱い)とされたわけである」

・「大阪からの月次通院は経済的負担も大きく、私も決して快諾したわけではなかった。しかし二〇〇一年七月十八日(水)の荒川(荒井)ドクターからの転移がん消滅宣言から、ずっとCEA腫瘍マーカ値も落ち着いており、大阪には【府立成人病センター】は有っても、何故か私が信頼できる【がんセンター】が無かったこともあって、私は荒川(荒井)ドクターの指示を飲まざるを得なかったのだ」

・「いや、むしろ私はこの経過観察指示を、異動してしまう荒川(荒井)ドクターの、私への『遺言』と捉えたのである。しかし、患者が狂喜する自信満々の完治宣言ではなく、荒川(荒井)ドクターの慎重なこの経過観察指示が、それから四年後にまた、私の薄氷を踏むような命を救うことになるのである」

・「私が今も荒川(荒井)ドクターを畏敬してやまないのは、命を救ってくださった感謝の念だけでなく、明晰な頭脳やゴッドハンドは勿論として、その膨大な経験と直観力・洞察力である」・・・

・それで2008年の、①肝臓の裏側へ至る部位の、2cmに成長した転移がん生き残りの佐野ドクターによる手術(5年生存率30~40%)と、②入院前検査で発見された2×4cmのなまこ型新生胃がんの、田近ドクターによる剥離手術(5年生存率100%)になって行くのであるが、私に一貫していたのは、「愛知県がんセンターへの絶対の信頼感」と「ここで駄目だったら諦めが付くという諦念」であった。

・だからこそ、勘三郎が死んだあとに、タラレバとかの話にはアッタマ来るのである。因みに私は、1日「マールボロ赤×100本」のヘビースモーカ人生は止めたが、ベロベロに呑んだくれる「酒が伴侶」の人生は全く止めていない。図々しく、寿命までの人生を生き抜かせて戴く積りで居る。(「時事巷談」と「がん患者への応援歌」ブログに同時掲載)

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