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在日への好き嫌い感

2012年09月01日
(在日への好き嫌い感)

・私の親友で、大の韓流ドラマファンだった『もどき』さんが、「さっすがに許せねぇ!」と韓流ドラマの不買運動ならぬ「不観決意」のメールをくれたのは、李明博の愚かとも言える「自己保身のための日本叩き」が源だ。同じ思いの日本人は多くいらっしゃるのではないか?

・ただ私の思いは実は複雑なのである。8月30日、高校時代からの大親友2人と、「昼下がりの酒」を4時間半も楽しませてくれたのは、名古屋・大須の在日のママである。清い仲(だからだとママは言う)でもう、その居酒屋の席を我が物顔にしてもう、25年になる。

・42歳になったばかりで、縁有って名古屋市熱田区でコンピュータ総合サービス会社を創業した私は、「100人の会社」を夢見て(実際は82人で頓挫)、創業のビルの借り増しが失敗したのを機に、名古屋市中区大須に、新築ビル内100坪の新オフィスを求めていた。1988年春のことだ。

・求人難の頃だったが、オフィスの構えとリクルーティングの巧みさで、私は新卒だけはドッと確保していた。そして「これは?」という何人かに命令したのである。「この大須は、名古屋の心臓部とも言える歴史的繁華街だ。路地裏も隈なく探せ。きっと『篠ひろ子』(当時私が一番好きだった女優)みたいなママが、白い割烹着でやっている小さな居酒屋が有る筈だ!」と勝手に妄想し、新入社員にとってはガビン!となる程の金を持たせて「その、篠ひろ子の店」を探させたのだった。

・ところが1週間経っても、新入社員共は見つけて来ない。10日目だったかに「どうだ?」と詰問風に報告を求めると、「いや、実は我々は社長の言われる『篠ひろ子』を知らないんです。ただ開店したばかりの、縄暖簾が社長のお好みか?と思われる小さな居酒屋は見つけました。歩いて10分もかかりません」

・「そうか、よくやった!開店したばかりってのも何かの縁だ、行って見よう!」と私は誉めたのだが新入社員共はちょっと暗い顔。「何だ?網走務めの旦那の帰りでも待ってる女か?」と言うと、「いえ、それは無いと思いますが、実は在日のママです」「上等じゃねぇか?俺も両親も、兄貴らも親戚も、在日を虐めたということ無い。だから俺らは無実だが、在日は、結構日本では苦労した人達だと思うよ」・・・

・実は創業した熱田の会社の目の前2分が、日本でも有名なうなぎ屋さんで(ここで私は0.1tになった!)、その女将に「行ったことは無いが、何だかアッチの方にゲートのネオンが誘ってる一郭が有るが?」と訊いたら、「ま、社長のようなタイプは、あのゲートを潜ったらイケマセン」的注意を受けていた。創業して1年も経った頃である。

・「イケマセン」と言われたら行ってみたいのが人情。或る夜、Wの背広に当時流行ったセカンドバッグかかえて1人でフラリとゲートを潜ったら、イキナリ「いかにもその道の人」らしい若い衆が2人、「ご苦労様です!」と私に最敬礼。「おう」と言って、小さなその一郭をフラフラ一周してみたら、「熱田駅横に、戦後在日の人々が住み着いた一郭だ」とスグ知れた。アチコチから、ニンニクの香ばしい香りがしている。

・その日は一番キレイそうな大きな居酒屋で1人で呑んだ。別嬪のカミさんよりも、人の良さそうな大将が私に懐きっ放しだった。大将の、お世辞でも上手いと言えない直筆の色紙:「風花は 比良越す雪か しぐれ空」を私が誉めてやったのが始まりだった。

・「アニキ!アニキ!」と私に懐くこの大将の店には、それから毎日のように通ってやったが、私より5歳も若かったろう彼は、スグがんで死んだ。見舞ってやった私に、2階に上がって降りて来たカミさんが泣きながら、「こんな痩せさらばえた姿をアニキに見られたくない。でも心から有難う!と言ってました」と言った。私は「大将!いずれ又会おうな!」と、2階に届く別れをして出て来た。在日の夫婦の店だった。

・その店の隣の、「元映画館跡」というキャバレーに通い始めたのはスグだった。地下の店なのだが、ミラーボールが回り、「上海バンスキングか?」と思われる老人バンドが、音の外れた生演奏をし、チマチョゴリ(その名もここで初めて覚えた)のホステスが40人ほども居る大きな店だった。

・店主も別嬪のカミさんも勿論在日で、隅の方に大人しくしている姐さん(バァさん?)ホステス達は皆、在日だった。韓流ドラマの主人公も真っ青なくらいキレイな若いホステスは皆、「直輸入」の連中だった。27,8年も昔の話である。今や李明博如きにコケにされる日本の国力は強大だったのだ!(この店が潰れ、直輸入の別嬪らが名古屋にアッという間に韓国クラブを広めた。パトロンは言わずと知れた在日成功組だろ?)

・そのキャバレーの隣に、2階が大広間の寿司屋が有った。「エエゾ」と言うと、遠慮を知らないその直輸入の連中を筆頭に、15,6人もの大部隊が2階に上がった。優しい私は、在日の姐さんらも呼んでやっていたのだが、姐さんらは謙虚にいつも遙か下座に坐っていた。別に理(わり)無い仲でもないのだが、私の隣席は一番売れっ子の「直輸入」に空けられていた。しかも在日の姐さんらを尻目に、いつも一番遅れてドッカと私の隣に坐った。そしてベロベロに呑むと始まるのが、「在日」Vs.「直輸入」の口論だったものだ。

・「直輸入」はクソガキの頃から「日本憎し!」の教育を受けている。「直輸入」の本音は、①一番嫌いな国は北朝鮮、②二番目が「イルボン=日本」なのだ。だから酔っ払えば、「誰にゴチになっているか?」などは関係なく、日本・日本人の悪口を口から泡を噴いて絶叫し始める。これを立ち上がって怒るのが在日の姐さんたちだった。

・「お前らはそういう教育を受けてそれを真に受けているが、私らはこの国で育った。そりゃ虐められもしたが、日本はいい国で、日本人は優しい人が多い!お前らは間違ってる!」・・・辛い思いもしたろう在日の姐さんらの日本擁護論に、正直ジンと来たものだった。

・そういう経緯が有ったから、元々在日への偏見など無い私は、新入社員らが見つけた大須の居酒屋には毎日のように通った。当時のママの彼氏とも、スグ仲良しになった。(一人だけ「鯛シャブ」などと特別メニューを食っていたので、スグ分かった!)第3だったかの土曜は、ママの弟さんの友人らを中心の在日大会で、ウッカリ暖簾を潜ってしまった私は、「何だ?今日は民族の大会の日だったか!」と毒づいて帰って来たものだ。みんなそんな私にニコニコと「スミマセン!」などと言ってくれた。

・その居酒屋は、拙著【生還へのフォアボール】に、①R子ママはじめ、②私の大恩人:冨尾タヌ氏との、月一のがんセンター帰りの待合に登場している。お客の大半は日本人だが、在日の人も多いのだろう。未だにタヌ氏と、彼の後見人の宅間クンとの名古屋での呑み会は此処と決めている。

・R子ママは気の毒なくらい謙虚な人で、在日として嫌う言動の欠片も感じさせない。私が羽振りのいい頃のことを今もひたすら感謝してくれ、中仙道霙(みぞれ)旅の今は、心に添って気遣ってくれる。だから居心地が良かったのだろ?私は25年も居座っている。(途中でR子ママが、私と同病であるがんに倒れたことも有るのだろうが)

・今日友の会社へ行き、阪急電車や地下鉄で私が気付いたことがある。それは「名古屋の在日は(恐らく全国だろ?)ヒッソリと謙虚なのに、大阪の在日の、何と傲岸不遜なことよ!」ということである。まるで自分が育った国に唾するように、見苦しいのである。「あぁ、大阪に住んで7年。私の在日へのイメージが変わったんだ?」と感じざるを得ない。

・8月30日、名古屋大須の在日のママは、リンパ転移の腫れがようやく退き、昔のように元気で艶やかだった。私と旧友らの4時間半にも及ぶ居座りにも、「幼なじみの同級生と旧交を温める、愉快な昔話に聞き惚れ、たのしいひと時を過ごしました」とまでメールをくれている。

・李明博の暗愚な行為に激昂し、彼の国と彼の国民(私の体験した「直輸入」と同じ)にむかっ腹を立てるのは日本人として当然と思うが、「大阪の我が物顔の在日」への憤りの蔭に、「私が愛し、私をこよなく愛してくれた名古屋の在日(全国の謙虚な在日?)」が居ることを忘れてはならないと、しみじみ物思う9月のスタートである。

・大切なテーマだと思うので、これも【織伊友作の時事巷談】【織伊友作のがん患者への応援歌】に同時掲載。

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