「遵守=ジュンシュ」であって「ソンシュ」ではない!
2012年09月29日
(「遵守=ジュンシュ」であって「ソンシュ」ではない!)
・昨夜、島田卓という方から6月28日だったかの古い投稿に、「たまたま読ませていただきました。『埒を開ける』とありますが、広辞苑などには『埒を明ける』とありますが?」というコメントを戴いた。
・埒(らち)というのは巡らされた馬柵のことである。当然出入り口も付けられているのだから、私は迂闊にも「埒を開ける」で70年も生きて来た。だって「幕を開ける」だって「開ける」だもんね。ところが「埒を明ける」の方が正しいのである。早速赤面しながらも、負け惜しみの返信をしておいた。
・「島田卓さま、ご指摘有難うございました。埒は馬場の柵のことで、「開ける」とばかり信じていました。『埒があける』は『申し開きをする』に転じていますから、その折に『開ける』が『明ける』に転じたのですね?勉強になりました」
・どうかは知らない。「幕をあける」は「開ける」だが、「埒をあける」はハナから「明ける」だったのかも知れない。70になってもスコンスコンに恥をかくものだ。私が膝を痛め、友の息子は思いっ切りの口下手であるため、友がトップセールスということになって長い。
・目より耳が発達しているのだろう。「傍目(おかめ)八目」を盛んに「横目八目」と言っていたのはご愛嬌としても、未だに「的を射る」を「的を得る」と言って憚らない・これは語源があいまいで、「正鵠を射る」のが語源なのだが「得るという場合もある」とされる。
・昨日は盛んに「撒きエサ」と言っていたので「撒き餌(え)」と4回ほど言い直して修正した。しかし直後に「そんな枝葉末端にこだわっても!」と来た。「大将、惜しい!枝葉と来たら末節ですぜ!」
・大親分のことを総帥(ソウスイ)と言うが、「ソウシ!ソウシ!」と下が持ち上げて、ご本人も「オウオウ!」と喜んでいる光景はよく見かける。元帥の帥の字は、上にヨコイチが無く、師匠の師の字はヨコイチがある。私が5社を束ねていた頃、1社を預けたゴマスリが、私に「グループのソウシとして!」と盛んに言うので馬鹿馬鹿しくなって中座したことがある。・・・とかく日本語は難しい。
・で夕方テレビを見ていたら、どもるし余り口上手ではないが好きなタイプの評論家:宮崎徹が「ソンシュ」と言ったのを聞き逃さなかった。これは九九の七の段が苦手なくらい人に馬鹿にされるので気をつけたがいい。「遵守=ジュンシュ」であって、決して「ソンシュ」などとは読まない。余りに誤読が多いため、「悪化は良貨を」の例えどおり、新聞などでは誰もが読める「順守」にかえている程だ。
・電子辞書はもう、家庭の必需品になっているのだが、トンチンカンなことを言う方々は、大抵この電子辞書にも無縁な人が多いナァ・・・
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