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三宅宏美の銀、平岡拓晃の銀

2012年07月29日
(三宅宏美の銀、平岡拓晃の銀)

Photo

http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2012/news/other/weightlifting/1/20120729-OYT1T00456.htm

・柔道の平岡、重量挙げの三宅の試合は両方とも見たが、平岡の銀メダルには、多分に悔いが残っただろう。試合開始40数秒、掬い投げに行ったところを返された。平岡は未だ27歳、男ならリオデジャネイロで燃え尽きるべきだろう?頑張れ!

・一方の女子重量挙げ48キロ級の三宅宏美の銀メダルは見事だった。12年がかりの父娘2人三脚の努力が花開いた、燃え尽きた銀メダルと言えよう。父の三宅義行氏は、東京、メキシコと連続金メダルに輝いた三宅義信氏の弟で、メキシコでは兄の金に添えて、そっと銅の花を添えた感じだった。何と言っても父と娘の12年もの精進は美しい。読売から、その感動のhttpを。

・「ロンドン五輪開幕2日目の28日、銀メダルを獲得した重量挙げ女子48キロ級の三宅宏実選手(26)。三宅選手は父と二人三脚で12年がかりで望みをかなえた。『重量挙げを教えてください』。メキシコ五輪(1968年)銅メダリストの父、義行さん(66)に、三宅選手がこう切り出したのは中学3年の時」

・「義行さんは反対した。鉄の塊と格闘した代償として右手首やひざなど体の節々に痛みが残っていた。音大出身の母、育代さん(62)は三宅選手に4歳からピアノを教え、ピアノの先生になってほしかった。だが、あまりに懇願するので試しにバーベルを持たせてみると姿勢が様になっていた。数か月で義行さんの高校時代と変わらない42・5キロを挙げるまでになった。『五輪でメダルを取りたいか』。うなずく娘に義行さんの覚悟は固まった」

・「親子の闘いが始まった。トレーニングでは1日に挙げる重量が20トンを超えることも。マンツーマン指導が実を結び、アテネ(04年)に初出場。しかし結果は9位。雪辱を期して臨んだ北京(08年)も、股関節痛が響いて6位に沈んだ。父のせいだと思われるのがつらかった」(解説:私如きでも、「この娘にはセンスが無いんだ?」ともう、諦めていたものだ)

・「ロンドンを見据えて練習計画を立て始めた父から逃げるように、三宅選手は翌年3月、黙って埼玉の自宅を出た。行き先は沖縄。シドニー五輪の元選手で、家族ぐるみの付き合いがある高校教諭の平良真理さん(36)を訪ねた。『自信がないんです』。三宅選手は涙をこぼして訴えた。現役を続けるかどうか悩んでいた」

・「平良さんは、練習用のシューズやベルトを持参しているのを見て、三宅選手の本心を見抜いた。『お父さんはきっと宏実ちゃんと同じ気持ちで闘っているよ』。平良さんが指導する高校で練習もさせてもらい、三宅選手の表情は日増しに和らいだ」

・「1週間ほどして帰宅すると、父は何も言わなかった。育代さんから行き先を聞き出し、『心配ない』と思っていた。2人は再びロンドンに向けて走り出した。『親子だからできた』と、証明したい』。その決意はロンドンで結実させた。銀メダルを確定させ、父のもとに歩み寄った。父はねぎらうように、その背中をポンポンとたたいた」・・・

・いやぁ、何度映像を観ても、素晴らしい銀メダルだった。「父の銅の、ひとつ上を行けました」と娘がからかうと、「いや、私のオリンピックはメキシコだけでしたが、宏美はアテネ、北京、ロンドンと3回出ています。とっくに私を超えていました」と謙虚に娘を讃える父が爽やかだった。おめでとう!そして有難う!

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