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平泉の文化遺産の『世界遺産認定』は喜ばしい!

2011年5月7日
(平泉の文化遺産の『世界遺産認定』は喜ばしい!)

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http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011050790135415.html

・ク、クソッ!知らぬ他国の大阪の空の下で、独り6回目の誕生日である69歳を迎えてしまった!何か誕生日記念として?と考えて、「そうだ、暫し『現役のがん患者である』という緊張感を失くしていたので、採血検査にでも」と近所のクリニックへ出掛けた。1週間後の『臨床検査センター』からの結果が恙無きよう、謙虚に祈るだけだ。

・さて『浜岡原発停止』だとか、日本にはこのところトンと明るいニュースは無いが、今日の私の誕生日=5月7日に、環境省と文化庁が発表した①小笠原諸島(東京都)と、平泉の文化遺産(岩手県)について、ユネスコの諮問機関が世界遺産への登録を勧告したとの知らせは喜ばしい!勧告は認定に大きな影響力があり、6月にパリで開かれるユネスコの世界遺産委員会での正式登録が濃厚(ほぼ決まり?)となったようだ。

・決まれば、平泉は日本の12件目の世界文化遺産に、小笠原諸島は日本の4番目(白神山地・屋久島・知床に次ぐ)世界自然遺産になるそうだ。私には行くことも無いだろう小笠原諸島よりも、行ったことのある金色堂を中心とした平泉の世界文化遺産認定が嬉しい。特に平泉は、東北大震災からの復興の、シンボルになるのではないか?

・あれは2005年の秋、大阪の友の会社の常務を務める倅と一緒に、東北地方のメーカーさんを回っていた折のこと。たまたま【金色堂⇒】の道路標識を見つけた。クソがつくほど真面目で、出張先でもオヤジの目を怖がるセガレに、「金色堂を観ておくのも、仕事のひとつだ」などと訳のワカラン強制をして観に行った。

・松尾芭蕉の『奥の細道』当時は、打ち棄てられて荒れるにまかされていた様子の中尊寺・金色堂も、昭和の大修復のあと大きな建て屋で覆われ、その中で奥州藤原三代の棺を守る三体の仏と共に(意外に小さい!)光り輝いていた!

・芭蕉と従者の曽良が、奥州藤原氏の栄華と衰亡に想いを馳せ、高館に登って「時のうつるまで泪を落とした」記述と、詠んだ句は余りにも有名である。①「夏草や 兵どもが 夢の跡」、②「卯の花に 兼房みゆる 白毛かな」(曽良)、③「五月雨の 降りのこしてや 光堂」・・・

・芭蕉の句には当然コメントは不要だろうが、曽良の句には薀蓄を少々。〔増尾兼房〕は実在とも架空とも定かでない人物だが、〔源義経〕の正妻=〔郷御前〕の従者であったとされ、65歳は当時としてはもう長老である。義経終焉の衣川で奮戦し、義経の命で介錯して火を放ち、敵の長崎兄弟を道連れにして火中に飛び込んで戦死したとされている。

・怖れを知らない新入社員の頃、今の大阪の友と二人「こんなデカイ会社に売り込んでみたいなぁ」と入ったのが愛知県丹羽郡の『兼房刃物株式会社(現・兼房㈱)』。二人コンビの余りに激しい掛け合い売り込みに、総務部長殿がアングリ口を空け、手に持ったカタログをハラリと落とした光景が今も笑えるが、ハテ?社名の由来とこの兼房爺の関係は知らない。

・うぅん、夕暮れになれば「誕生祝い」とヌカして、またボッタクられるだけの5月7日に、多少なりとも読者の心に染みる(染みないか?)薀蓄が書けて嬉しい!(写真は、GOOGLE画像から拝借)

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